2月2日にダークエルフの村を焼いたのはお前か
オルクセン王国史 ~野蛮なオークの国は、如何にして平和なエルフの国を焼き払うに至ったか~(樽見 京一郎)
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この連載企画として、外すわけにいかない作品がこれです。
この作品は、陸戦に関しては「だいたい」1870~1871年の普仏戦争を念頭に置いているように思います。
ちょうど明治維新の時期ですよね。このころは火器の進歩が急速に起こり、日本の各藩が海外から買い付けた小銃は、在庫処分の旧式銃から、諸事情で供給される最新銃まで雑多でした。
戦国時代の鉄砲は、滑腔銃です。銃身の内側にらせん状の溝(ライフリング)が切ってありません。まだ手作業で製作される、しかし正確に狙えるライフル銃(施条銃)を最初に手にしたのは猟師たちでしたから、そのワンメイクの銃の手入れも含めて猟師が雇われ、一斉射撃で照準の頼りなさを補う戦列歩兵とは別の単独行動で、敵陣を狙いました。これが猟兵です。日本が天下泰平であったころ、そうした戦列歩兵隊と猟兵隊を率いた王侯がヨーロッパの戦場を往来しました。
最初は弾をグリースを塗った布片に包み、銃身に押し込んでライフリングとのすき間を埋めていましたが、発射の勢いで膨らむミニエー弾、さらに銃口から押し込まなくていい後装銃がつくられました。前装式のライフル銃では、ぎゅうぎゅう弾を棒で押し込む必要があり、前装式ライフル銃の歩兵が立って装填するところを後装銃を持つ伏せた歩兵が一方的に撃った戦争もありました。この作品でも伏せたままでは弾を込められないメイフィールド・マルティニ小銃が登場して、障害物のないところでは一方的に損害を出しています。
後装ライフル銃の草分けのひとつがプロイセンのドライゼ銃でしたが、その採用は1841年でした。じつは幕末日本に入ってきたドライゼ銃は、本家が輸出禁止にしているところ、近隣諸国がコピーしたパチモンです。フランス軍はドライゼ銃を改良したシャスポー銃を作り、ナポレオン三世が江戸幕府に贈りました。ですから普仏戦争は「小銃ではフランスが上、大砲ではクルップ社の鋼製砲を持つプロイセンが上」という状況でした。
加えて、フランス軍にはミトラィユーズ砲がありました。これは銃弾25発を連射するもので、小銃より遠くに飛ぶ装薬の多い弾でした。小型で簡便な榴散弾の代わりとして売り込まれたのです。しかし小銃が届かないほど遠くの敵部隊を見通せるチャンスは少なく、遠くに届いた弾の威力も落ちたので、あまり貢献できませんでした。
大量採用されたので、オチキスというアメリカ人技術者が似たような多連装銃のアイデアを持ってフランスに渡りました。本人は大口契約を取れませんでしたが会社が残り、その製品であるオチキス機関銃は日本陸軍が日露戦争で使うことになりました。
機関銃と言えば第1次世界大戦(1914~1918年)ですよね。フランス系アメリカ人のマキシムはベンチャー企業を立てて近代的な機関銃を開発し、ヴィッカース社に丸ごと買ってもらって「雇われ経営者」となりました。ライセンスを売ったロシアのマキシム機関銃、ドイツのMG08とイギリスのヴィッカース機関銃は基本的に同じものでした。
第1次大戦前のプロイセン陸軍の操典を見ると、やはり機関銃を軽便な大砲のように思っています。だから砲兵が追い付きにくい騎兵部隊に優先配備されるわけで、日本陸軍の秋山支隊が機関銃を野戦に持ち込んでいたのはその真似ですよね。
この当時、列強歩兵は短時間に多くの弾を(ある程度正確に)撃つことを熱心に訓練していました。ですからマキシムの画期的に速い機関銃も、「歩兵何十人分かの火力」でしかないわけで、質的にどう違うかというのがわからなかったわけですね。
第1次大戦では、榴散弾が行きつくところまで発展しました。素早く敵陣を取って壕に入らないと敵弾が降ってきます。ところが守りに入ると、機関銃は敵を寄せ付けず、血の支払いなしで時間を稼いでしまうわけです。これは両軍とも代価を払って学ぶことになったのですね。
この作品にもグラックストン機関砲が登場して、第51話などではまさに後世のように防御戦で猛威を振るっています。これはやはりグスタフ王のチート的介入があったかもしれません。
第1次大戦でドイツ軍が取った「浸透戦術」は、フランス軍が付けた名前で、ドイツ軍はこの柔軟な戦い方をそう呼ばず、防御にも応用していました。日本陸軍の観戦武官は、英仏が真似し始めたこの戦法を「戦闘群戦法」と呼んでいます。従来、戦列歩兵というのは均質なものでした。ところが軽機関銃が入ってくると、「軽機関銃組」とその援護で戦う「突撃組」、さらに場合によって「手榴弾組」や大きな空き袋を持った「土のう積みチーム」が協力して戦うことが普通になってきたのです。この「分業システム」と、下位の指揮官に自分の判断での行動を許す「委任戦術(訓令戦術)」が合わさったのが史実でドイツの取った戦術です。この作品ではエルフの種族的な特性の活用という話になっています。
非力な護衛艦艇が体を張って輸送船を逃がした例としては、第2次大戦で装甲艦アドミラル・シェーアと撃ちあって沈んだ特設巡洋艦ジャーヴィス・ベイなどがあります。
全体に、圧倒的なオルクセンの国力を背景に、ミリメカや戦術によって歴史を傾かせることを慎重に避けて書き進めた印象があります。実際の普仏戦争も、バイエルンなど旧教派ドイツ諸国がプロイセンについてしまうと、マクロ的・国力的にフランスの勝ち目は薄かったと言われます。