ソリューションがなかったら小説ちゃうのんか
今回はいつもと違って、「ネット小説界を駆ける作者たちのストラテジー」という視点でお送りします。
私が本を読みだしたころは、小説というのは「圧倒的なピンチ」「先に犯人を見つけないと殺される」「どっちも大切だがどっちを捨ててもう一方を取るか」といった、主人公が解決すべき問題が提示され、その解決こそが物語だという考え方が普通でした。ある程度以上の年齢の皆さんは、「何を当たり前のことを」とおっしゃるのではないでしょうか。
今世紀に入るころ、つまりまだまだ個人ページがいっぱいあって、個人ページのteacupレンタル掲示板とか、そのころHTML自分で書くより楽だから流行り始めたブログ(のコメント欄)とか、2ちゃんねる、したらばと言った匿名掲示板とかがカオスな言論空間を作っていたころのことです。「SS」という言葉が広まって、小説を投稿する場所よりSSを投稿する場所の方が多いようにすら思えました。
SSというのは、私の感覚では「字で書く一枚絵」であって、それ自体では長いストーリーは語れず、「くすっ」「ほっこり」「ほろっ」「萌え」といった気持ちを伝える(起こさせる)ものです。「萌え」というのは長編小説で起こすものではなくて、小説であれば特定の短い部分から感じ取るものだと思うのですね。だからSSが小説から切り出され鑑賞され、量産されて(同人作品として、あるいは公式二次創作で)買われていく過程というのが、今の意味で物語から独り歩きした「キャラ萌え」が広がった時期なんじゃないかとも思えるのです。もちろん「似顔絵」「一枚絵」はずっと昔からあるし、「萌え」の感覚自体はずっと前からあるのでしょうが。
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今世紀の20年の間に、薄いBDに映画を何本も詰め込める時代、そして高速回線で動画をオンデマンドで個人端末に送り込める時代になりました。発信が安価になり、過去の蓄積も含めてコンテンツがあふれかえった結果、いろいろなエンタメ産業に変化が起きました。とくに音楽では、「××な気持ちにさせる音楽」を束にして売ることが容易になりました。Youtubeなどで各種の長時間「作業用BGM」が編集・公開されていますが、アゲる音楽や落ち着かせる音楽を中心に、「簡単なキーワードでくくれる音楽」が求められ、供給されています。
それらは多くの場合、「何かをしながら聞く」音楽です。昔ならじっくり聞いてもらえたタイプの音楽が市場と売り上げを失い、短時間ですごさを実感させられるアーチストばかりが評価されるようになりました。それも「メガヒット現象」といって、いい音楽の情報がすぐ広まる結果、当たる曲とアーチストはとことん当たり、中規模の売上をもたらす曲とアーチストが減ってしまったために、流行歌の世界でもクリエイターが生き残っていく難しさが増しているようです。
オンライン小説/SSの世界でも、似たようなことが起きているように思います。同じような話だと分かっていながら特定のジャンルの物語ばかりが消費されるのは、まさに「自分のなりたい気分にさせてくれる」小説/SSが求められ、消費されているのだと思います。タグをパッと見て、好みのキーワードがなければ次へ行ってしまうのが、もう当たり前になっているのでしょう。自分の好まない成分が小説/SSに「含まれている」と強く反発する人が目立つのも、そうしたコンテンツの選び方の裏返しなのでしょう。
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情報の受け手が常にオーバーフローしている情報過剰時代には、「どうやって見つけてもらうか」という方法論も様変わりします。「広告を打つとウザがられてかえって悪印象を広めることがある」という話がひそひそと(データ付きで)議論されていたのは、個人ブログの時代でしたから20年近く前でしょうか。今はもう「何を今更」だと思います。
個人ブログや匿名掲示板が発表の場として高いウェイトを持っていたころは、リンク集サイトでカウンタが回る上位作品になること、好意的なコメントをたくさんもらうことが人気作品の証でした。ところが海外に困ったサイトがありまして、そこに登録しておくといろいろな国の(他の登録ユーザがアクセスランキング順位を上げたい)サイトが表示され、それらを踏むほど世界の誰かが自分のサイトを踏んでくれるというものでした。そのシステムの運営者はそのとき表示される広告からアフィ収入を得るという仕組みであったようです。実際にこういうランキングの上げ方をした作品がどれだけあったかは存じませんが、可能でした。
もちろん、登録ユーザのユニークアクセスだけ数えるようにすれば対策できますが、「仲間内でほめ合う」という手があります。だから「ユーザひとりが付けられるポイントを低く制限する」ことが大切ですし、裏返せば「未知の作品を読んで回ってくれる、無名で多数の読み手」が確保できないと、ランキングの操作が簡単になってしまうのです。「小説家になろう」がいったん築いた優位がなかなか崩れないのは、この「スコッパー資産」を築くのが他の投稿サイトにとって難しいからだろうと思っています。
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さて、やっとタイトルの回収に入るわけですが、「読者を特定の気分にさせる」小説がウケるのだとすると、「最初は伏せたカードが召喚されるばかりだがラストは盛り上がる」たぐいの小説は損です。過程を踏んで問題が解決されていく小説には、「途中から読み始めるときつい」という弱点もあります。
「ざまあ」小説が顕著ですが、最近のランキング上位作品(特に週や月の短期ランキング)には相当な数の中編が入っています。2ケタ話数の連載で、読者にざまあ感を与えたら、次のざまあを用意するわけです。まだ文庫本書下ろしが当たり前であったラノベ草創期、たまたま業界関係の方がチャットにやってきて、当時最初のシリーズ執筆中だった某作家さんの話になって、「短編の方が得意なのかもしれないが、最近中編・短編集の企画は通らず、連続長編前提でないと出せないのだ」という話でした。マルチメディア展開でビジネスにしていくには、同じキャラ集団の原作が「たまって」いないといけませんし、キャラそれぞれに推してくれる人たちがつかないと売り上げになりませんから、それはそうだろうなあと思いました。今は「当面のランキング上位を戦い取るために」そんなセルフプロデュースは後回しにしないと、今週の戦いに負けてしまうわけですね。
書き溜めておいて高頻度で少しずつ公開することは、何度も「更新された連載小説」として表示されることでスコッパーに見つけてもらうチャンスを高めるのだろうと思います。そうすると、ひとつひとつの話の中ではストーリーはいくらも進まない……ということになります。それでも、そうすることが「現代のオンライン小説ルール」では高得点への道なのでしょう。
多くの書き手が、こうした事情を踏まえたうえで、自分の書きたいものをよくあるパターンに混ぜ込んで秀作を作り出しています。また何年かすれば事情が変わって、書き手も対応を迫られるのでしょう。