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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第8章 英雄と呼ばれる所以
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祝杯の端

「カエサル閣下へ! ビブラクテの勝利に――!」


杯が打ち鳴らされ、言葉が重なり、火が踊った。

カエサルらローマ軍はリンゴネースからビブラテクに戻っていた。

ヘルヴェティとの会戦が終わった、その勝利を祝うために、ガリア各地の有力者や部族の使節が次々に訪れていた。


「祝意を」

「感謝を」

「今後の友誼を」


言い方は違っても、目的は同じだ。勝った者の側に席を作ること。


カエサルは上機嫌そうに、いつも通り軽い調子で杯を上げる。


「飲め飲め。今日は“仕事の話”は少なめでいい」


「少なめ、ということは、ゼロではないのですね」

書記が小声で言うと、


「ゼロにしたら明日困るだろ」

カエサルは笑うような息で返した。


その一角で、もっと別種の上機嫌が暴れていた。


「おう、そっちの兄ちゃん! それ、飲み方ちゃうって!」

「ほら、肩の力抜け! 勝った日くらい背ぇ伸ばせ!」


テオトニクスが、ど真ん中にいた。

いつの間にか杯を配る係のように立ち回り、誰とでも握手し、誰にでも声をかける。使節の護衛まで笑わせている。


「お前、ここでも観客作るんかよ……」

誰かが呆れると、


「せや。観客おらんと、勝利って薄いねん」

テオトニクスは胸を叩いた。


セリスィンは、その騒ぎの端――火の光が届きにくい場所に座っていた。

目立たないように。だが、気分は悪くない。


(こうやって皆が笑ってるのを見ると……)


胸の奥に溜まっていた冷たいものが、少しだけ薄くなる。

悪夢が完全に消えるわけじゃない。けれど、息がしやすい。


そのとき、影が落ちた。


「どうした。騒がないのか」


ラビエヌスだった。杯は持っているが、飲み過ぎる気配のない立ち方をしている。


セリスィンは肩をすくめた。


「俺は……テオトニクスとは違うんで」


ラビエヌスは、中心で騒いでいるテオトニクスを一瞥して、口元だけを少し緩めた。


「確かにな。あれはあれで才能だ」


「才能って言っていいんですか」


「いい。戦場では役に立たない才能もあるが、今夜は役に立っている」


ラビエヌスは隣に腰を下ろし、火の方を見たまま言った。


「初戦で、つらいことも多かったろう。……笑え。テオトニクスのようにな」


セリスィンは即答できなかった。

笑うことが裏切りみたいに感じる瞬間がある。


ラビエヌスは続ける。声は静かで、命令ではない。


「どの道、時は戻らない。今を生きるしかないんだ。俺も、お前も……閣下も、ヘルヴェティだって」


その言い方が妙に刺さった。

“勝った側”も、“負けた側”も、同じように戻れない。


セリスィンはようやく、杯を持ち上げる。


「……乾杯、ですね」


「乾杯だ」


杯が軽く触れた。


その直後、ラビエヌスの視線が人混みの外れを捉える。


「……あいつもいるな」


セリスィンが目を向けると、デキムスがいた。

輪に入らず、壁際を歩いている。誰かと話すでもない。いつもの顔だ。


ラビエヌスが声を張った。


「おい、デキムス。お前もこっちに来い」


デキムスが一瞬だけこちらを見た。

セリスィンの存在に気づいた目だった。


次の瞬間、デキムスは何も言わず、そっぽを向いてそのまま人の間へ消えた。


ラビエヌスが舌打ちする。


「ったく。あいつはいい年して」


セリスィンは杯を下ろし、言った。


「……そういえば、罰は?」


ラビエヌスが「そうだな」と呟き、少し考えるふりをしてから、笑った。


「デキムスと仲良くやれ。それだけだ」


セリスィンは、笑えなかった。

「それだけ」がどれほど難しいか、もう分かっている。


「……それ、罰ですか」


「罰だ。戦場での罰は血で済む。だが、戦場の外の罰は面倒だ」


ラビエヌスは立ち上がり、セリスィンの肩を軽く叩いた。


「今夜は飲め。無理に騒がなくていい。だが“いる”だけでもいい。お前がここにいるのを、誰かが見てる」


「誰が」


ラビエヌスは火の方を顎で示す。

カエサルが使節の言葉を軽く受け流しながら、場を回している。


「閣下もだし、――お前自身もだ」


ラビエヌスが去ると、テオトニクスの笑い声がまた大きくなった。


「ほらほら! 勝った奴が暗い顔してどうすんねん!」

「セリスィン! お前も来いって!」


セリスィンは小さく手を振った。


「……そのうち行く」


「“そのうち”って言うやつは来ぃへん!」


テオトニクスが笑い、周りも笑った。


セリスィンは、杯をもう一度口に運んだ。

温い酒が喉を落ちる。


(仲良くやれ)


その言葉が、喉の奥で引っかかる。

デキムスと目が合った一瞬の冷たさが、まだ手首に残っている。


それでも今夜だけは――皆が笑っているこの夜だけは、悪夢の底から少し浮かび上がれる気がした。


セリスィンは火を見つめ、息を吐いた。

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