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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第8章 英雄と呼ばれる所以
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「降伏」と「敵」

「……大丈夫やったか?」


配給の列がひと段落したころ、テオトニクスがセリスィンの顔を覗き込んだ。


セリスィンは一拍置いてから答えた。


「ああ」


「“ああ”って顔ちゃうやろ」


「……歩ける。飯も食った」


テオトニクスは言い返しかけて、やめた。代わりに視線だけが、少し離れた場所へ飛ぶ。

デキムスがいる方向だ。


デキムスは誰とも目を合わせない。こちらにも来ない。

セリスィンも、呼ばない。


「……まぁ、ええわ」テオトニクスが小さく吐く。「いまは、仕事や」


------------------------


カエサルの天幕の前は、いつもより静かだった。

武装した護衛の数が増え、出入りが制限されている。中では「戦い」ではなく「整理」が始まっている。


天幕の中には、カエサル、ラビエヌス、書記と通訳、そしてヘルヴェティ側の代表者たち。


通訳が名を告げる。


「ヘルヴェティ代表です。条件の確認を求めています」


カエサルは椅子にもたれたまま、軽く手を振った。


「いいよ。座るな。短く済ませる」


代表者が口を開く。言葉は丁寧だが、疲れがにじむ。通訳がすぐに拾う。


「我らは降伏する。だが、子どもと女と老人まで含めた民がいる。虐げず、道を与えよ」


カエサルは頷くだけで、先に自分の条件を並べた。


「降伏を受ける条件は三つ」


書記が身を乗り出し、筆が走る。


カエサルは指を一本立てた。


「一つ。武器を全部出せ。槍も剣も盾も、隠すな。——武装解除だ」


次に二本目。


「二つ。人質を出せ。約束が守られる形が要る」


三本目。


「三つ。逃亡者と離反者を渡せ。お前らの中にいる“俺のもの”を返せ。逃亡奴隷も、脱走者もだ」


代表者の顔が強張る。通訳が言い換える。


「逃亡者の引き渡し、とは……」


カエサルは軽い声で言った。


「簡単。俺の権威に関わる。——隠したら、降伏じゃない」


代表者が声を荒げかけ、押し殺して言う。通訳が続ける。


「すぐには揃えられない。武器も、人質も、逃亡者も……散っている。集める時間が必要だ。期限を」


カエサルはあっさり返した。


「時間はやる」


代表者の顔に、安堵が走る。


だが次の言葉で、その安堵が凍る。


「ただし条件がある。指定日までに揃えろ。——それまで、お前らはここから動くな」


ラビエヌスが補足するように言った。


「逃げれば、降伏者ではなく敵とみなす」


代表者が食い下がる。


「動かなければ、飢える。リンゴネースは食を与えられぬ」


カエサルが肩をすくめる。


「だから飯は配る。降伏したやつにはな」


代表者が言う。


「では、猶予は何日だ」


カエサルは書記を見た。


「日付を決めろ。——曖昧にするな」


書記が板を確認し、通訳が告げる。


「指定日、〇日後。日没までに提出」


カエサルが頷く。


「その日までだ。揃えられない? ならそれは“降伏しない”って意味だ」


代表者は唇を噛んだ末、頭を下げた。


「……分かった」


カエサルは手をひらりと振る。


「よし。行け。まとめて来い。——逃げるなよ」


その最後の一言だけ、冗談みたいに軽かった。


------------------------


夜。


焚き火が落とされる頃、見張りの声が走った。


「動きがある!」


「どこだ!」


斥候が息を切らして天幕へ飛び込む。


「報告! 一部が離脱しました! およそ六千! 夜陰に紛れて北へ!」


通訳が呟く。


「……ヴェルビゲニの一団かもしれません」


ラビエヌスが即座に問う。


「武装解除の前か、後か」


「前です。集めると言って散った者たちが……そのまま消えました」


カエサルは、怒鳴らなかった。

ただ目が、すっと冷える。


「理由は?」


斥候が答える。


「噂です。“武装解除したら報復される”と。先に逃げた方が生きる、と」


カエサルは頷いた。


「よし。——騎兵を出せ」


ラビエヌスが確認する。


「捕捉した者は?」


カエサルの返事は短い。


「敵だ。降伏者じゃない」


その言葉で処理が決まる。

追跡は“連れ戻し”ではなく“討伐”に近い形になる。


カエサルはテオトニクスとセリスィンの方をちらりと見た。


「見たか。これが“期限”の使い方だ。逃げたら、俺の仕事が減る」


ラビエヌスが低く言う。


「……減る、というより、分かれる」


カエサルが笑ったような息を漏らす。


「分けた方が早いんだよ」


翌朝までに、追撃隊が何度か戻ってきた。

引きずられてくる者もいれば、歩かされてくる者もいる。顔は泥と恐怖で同じ色をしている。


「捕捉。多数」


「抵抗あり。数名処分。残り連行」


“降伏者”ではない扱い。言葉の通り、戻ってきた報告も冷たい。


セリスィンはその列を見て、喉が動いた。

助けると言った口が、敵だと言った瞬間に閉じていく。


テオトニクスが横で小さく言う。


「……逃げたら終わり、ってことやな」


セリスィンは短く答えた。


「……ああ」


そして、もう一つ付け足しそうになって、やめた。

(逃げても、逃げなくても、終わる者は終わる)——それを言葉にしたら、また戻れなくなる気がした。


テオトニクスが、セリスィンの顔を見て言う。


「お前、ちゃんと息しろ。……いまは生き残れ」


セリスィンは頷いた。


「……わかっている」


言い方だけは同じでも、さっきの「ああ」よりは、少しだけ血が通っていた。

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