表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第2章 剣闘士
9/165

前夜祭

セリスィンの初陣を翌日に控えた夜――大会会場となる円形闘技場の近くの宿泊施設で、宴が開かれていた。


今大会は複数の養成所ルドゥスから剣闘士が集められるらしく、名目は親睦会。とはいえ、剣闘士たちにとっては“明日へ向けた景気づけ”だ。普段は自由のない連中も、この日ばかりは豪華な料理と酒にありつける。


「いいか坊主。剣闘士に大事なのは力だろ? だからって肉ばっか食えばいいってわけじゃねえ」


セリスィンは、名前も知らない剣闘士に絡まれていた。酔って上機嫌の男は、講釈のスイッチが入っている。


「大事なのは野菜、木の実、穀物だ。つまりだな、普段の食堂の“しょっぱくて物足りねえ飯”も、案外ちゃんと考えられてんだ」


「……酒飲んでたら意味ないんじゃないですか」


セリスィンが突っ込むと、男は木のジョッキを揺らして笑った。


「ばか言え。酒は体にいいんだ。俺の実家のばあちゃんなんて、毎日飲んで今でもびんびんだぞ」


そう言って、がぶがぶと飲み干す。


「ワインは葡萄だ。葡萄が“良くなった”だけで体に悪いわけねえだろ!」


豪快に笑い、男はセリスィンの肩に腕を回してくる。


セリスィンは鬱陶しさを顔に出さず、そっと腕を外した。杯の中身は水にしてある。明日がある。


ふと、視界の端に奇妙な人物が入った。


布で顔の下半分を隠し、誰とも話さず、ひとり黙々と食べている剣闘士。喧騒の中で、そこだけ空気が違う。


(……なんだ、あいつ)


気になって見ていると、さっきの酔いどれが囁くように言った。


「あいつが気になるのか、坊主?」


「坊主じゃねえ」


即座に返すと、男は肩をすくめた。


「たまに見るんだが、あいつは誰とも喋らねえ。いつも一人だ。腕は確からしいが、よく分からんってことで誰も近づかねえ」


「ふうん……」


セリスィンは立ち上がった。声をかけてみるか、と一歩踏み出す。


「おい、やめとけって」


制止の声を背に、セリスィンは歩く。


――その途中。


酒に溺れてふらつく大男に肩が当たった。


「悪い」


セリスィンは短く謝って通り過ぎようとした。だが、


「おい、待て」


首根っこを掴まれる。


大男は千鳥足で近づき、赤い顔で怒鳴った。


「俺の酒が溢れたじゃねえか。どうしてくれるんだ」


「やめろよ」


大男の仲間らしい男が止めに入る。だが酔いが回った大男は聞かない。


セリスィンは内心で舌打ちし、例の布の剣闘士の方を見る。ちょうどその男が立ち上がり、静かに場を離れようとしていた。


(……最悪だ)


「おい、どこ見てやがんだ」


大男が机を叩く。バン、と乾いた音が広間に響き、周囲がしんとした。


注目されるのが嫌いなセリスィンは、場を収めることを優先した。


「すみません。酒、持ってきます。それで――」


そう言いかけたところで、首根っこをさらに強く掴まれる。


「逃げようとしてんのか?」


(なんで俺ばっか、こうなるんだよ)


そのとき、別の男が割って入った。


「おい、どうした?」


調停役になりたがるタイプの顔だ。騒ぎが“見世物”になる匂いを嗅いでいる。


「こいつが、俺の酒をわざとこぼしたんだ」


大男が言う。


「それは本当か?」


調停役がセリスィンへ視線を向ける。


「わざとじゃない。そっちがぶつかってきただけだ」


セリスィンが言うと、大男が「なんだと」と一歩出る。だが調停役が手で制した。


「なるほど。意見が食い違ってるな」


男は近くから机を引っ張ってきて、にやりと笑った。


「だったらよ。剣闘士らしく、力で決めねえか?」


「……力?」


「腕相撲だ。勝った方が正しい。負けた方は土下座して謝る。どうだ?」


大男――カルガンダが怪訝そうに眉をひそめる。


「俺が負けると思ってんのか?」


「やってみなきゃ分からねえだろ」


調停役はカルガンダの肩を叩き、セリスィンにも振った。


「お前も、それでいいな?」


「ああ。いいよ」


セリスィンは頷いた。


正直、勝ち負けに興味はない。適当に競って、適当に負けて、土下座して終わらせる。それで済むなら安い。


だが酒の入った連中が集まり、いつの間にか“催し”の空気になる。


「さあさあ! 東のセリスィンか、西のカルガンダか! 賭けろ賭けろ!」


賭けまで始まった。セリスィンは眉間を押さえたくなる。


(冗談じゃない。どう見ても向こうが有利だろ)


体格差を見れば誰だって分かる。


「逃げるなよ」


カルガンダが嗤う。


セリスィンは席に着き、肘をつく。握る手を合わせようとした、その時だった。


「――ちょっと待った」


声が飛ぶ。


振り向けば、ダグラス一派だった。


セリスィンの腹の底が、嫌な重さになる。


「どうした?」


調停役が訊ねると、ダグラスは肩をすくめ、いかにも楽しげに言った。


「土下座だけじゃ、つまんねえだろ」


背後で一派が笑う。セリスィンは心底うんざりした。


「……というと?」


「負けた方は、明日の試合――腰布なしで出ろよ」


その瞬間、広間が沸騰した。


「そりゃいい!」 「見てえ! 絶対見てえ!」


酔った連中の歓声が天井を叩く。


調停役がカルガンダに尋ねる。


「だとよ。どうだ?」


「構わねえ」


カルガンダはむしろ都合がいいとばかりに笑った。


セリスィンはダグラスを睨みつける。だがダグラスは涼しい顔で、まるで他人事だった。


場の空気に押され、セリスィンは渋々、頷くしかなかった。


こうして――明日の死闘を前にした宴会場で、最低の条件を賭けた腕相撲が始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ