前夜祭
セリスィンの初陣が控えた前日。会場となるコロシアムの近くの宿泊施設で宴会が開かれていた。
他の剣闘士寮の者たちと混ぜこぜで大会自体が行われるらしく親睦会といった名目での開催であった。
この日ばかりは普段自由のない剣闘士たちも豪華な食事や酒にありつけていた。
「いや、だからな剣闘士に重要なものは力だ。力とくれば肉を食べなければいけないと思いがちだが実は重要なのは野菜や木の実や穀物。だから普段のしょっぱい物足りないと思っている食堂の食生活も存外的を得ているんだ」
セリスィンは名前も知らない他の剣闘士に絡まれていた。
「酒を飲んだら意味ないんじゃないですか?」
セリスィンがそう突っ込むと男は、
「バカ言っちゃいけねぇ。酒は体にいいんだ。俺の実家のばあちゃんなんて酒飲んでびんびんしてるぜ」
そう言ってガブガブと木のジョッキを飲み下す。
「ワインなんてのは元は葡萄からできているんだ。それが腐ったからって体に悪いわけがねぇ」
男は豪快に笑いながらセリスィンの肩に腕を回した。
セリスィンは鬱陶しく思いつつ静かに手を退けて、落ち着く。コップで飲み物(もちろん酒ではない)を飲んでいるとふと奇妙なものが目に入る。スカーフか布で顔を隠している人物。一人で物静かに黙々と食事を取っている。
なんだかおかしな奴だと思いながらセリスィンが見ていると、
「あいつが気になるのか坊主?」
と、先ほどの男が声をかけてきた。
「ああ、ってか坊主じゃねぇ」
セリスィンが否定しつつそう言うと、
「たまにみるんだがあいつは誰とも喋らないしいつも一人だ。よくわからないってんで誰も近づこうとしない。腕は確からしんだが」
と説明してくれた。
「ふうん」
俄然男の様子が気になったセリスィンは声をかけるべく立ち上がる。
「おいやめといたほうがいいぜ」
男の制止を振り払いセリスィンは男の元へ向かおうとする。
その途中酒に溺れてよろめいた大漢にぶつかった。
「ごめん」
セリスィンはそう謝ってその場を後にしようとするも、
「おい、ちょっと待て」
とその男に止められる。
男が千鳥足でセリスィンに近づくと、
「俺の酒が溢れたじゃねーか。どうしてくれるんだ」
と食ってかかってきた。
「おい、やめろよ」
彼の仲間らしきものが止めに入る。
セリスィンは心の中でため息をつきつつ、スカーフの方の男を見る。その彼が立ち上がってどっかに行こうとするのが見えるとセリスィンはより一層ため息をついた。
「おい、どこ見てやがんだ」
男が机をバンと叩くと食堂に鳴り響き、周囲の者たちがシンとなる。
注目を浴びるの嫌いなセリスィンは、
「すいません、今酒を持ってきます」
とその場を後にしようとするも男に首根っこを掴まれる。
「なーに逃げようとしてんだ?」
先日の一件といい、俺は何をそんなに絡まれなきゃいけないんだと自分の不幸を嘆くセリスィン。
男の仲間も止めようとするがアルコールが入った男は言うことを聞かない。
「おいどうした?」
別の男がやってきてセリスィンたちに尋ねる。
「こいつが俺の持っている酒をわざとこぼしたんだ」
大漢は知り合いのなのかやってきた男にそう言った。
「それは本当か?」
男がセリスィンに尋ねる。
「いや、わざとじゃない。通り過ぎようとしていただけでそいつがぶつかってきた」
そう言った瞬間、なんだとと大漢が食ってかかってきたがそれをやってきた男が止める。
「なるほど。両者の意見が食い違っている」
すると男は机を引っ張り出してきて、
「どうだ? どうせなら剣闘士らしく力と力で勝負しねーか?」
と腕相撲を男は提案してきた。
「腕相撲?」
大漢が怪訝そうな顔をする。
「ああ、一回勝負で勝ったほうが真実で負けた方は土下座して謝る。どうだ?」
男がそう言うと大漢は
「俺が負けると思ってるのか?」
と怒りを露わにする。
「やって見なくちゃわからないだろ?」
大漢の肩を男は叩き、
「お前もそれでいいか?」
とセリスィンの方を向いて訊ねた。
「ああ、いいよ」
セリスィンは首肯した。
別にプライドもないセリスィンはある程度男と競った後適当なところで負けようと思っていた。
それでこの場が収まるのであればそれに越したことはない。
急な展開に酒の入った男たちも集まりいつしか催し物の賑わいになっていた。
「さぁさ東のセリスィンに西のカルガンダ。どっちが勝つかかけたかけた」
いつの間にか賭け事も始まっていてセリスィンはため息をつく。
ーー冗談じゃない。それにどう考えたって向こうに賭けるに決まっている。
二人の体格差を考えれば自分だってそうするとセリスィンは思った。
「逃げるなよ」
大漢ーーカルガンダと言う男がセリスィンに言う。
セリスィンは再度心の中でため息をついて組手をしようとする。
当初の予定通り適度に争って負けて土下座すればいい。
そう思っていた時だった。
「ちょっと待った」
と、別の誰かの声が入ってくる。
見るとそれはダグラスたち一派だった。
セリスィンは急に雲行きが怪しくなるのを感じる。
「どうした?」
セリスィンたちを調停してくれた男がダグラスたちに聞く。
「いや土下座だけじゃ面白くねーかなと思って」
そう言って彼の後ろで笑っている一派の連中たちを見てセリスィンは心底恨みを抱く。
「というと?」
「負けた方は明日の試合でフルチンってのはどうだ?」
ダグラスがそう言った瞬間一派だけじゃなく酔った大人たちは一斉に湧いた。
「そりゃあいい」
「面白いそれで」
と皆が賛成する。
「だとよ」
調停の男がカルガンダに尋ねる。
「俺は構わねーぜ」
とカルガンダはむしろそっちの方が都合良いと笑った。
最近なりを潜めていたがこのタイミングでとんでもない提案をしたものだとセリスィンはダグラスを睨みつけるが彼はどこ吹く風だった。
周りの風に押されてセリスィンは渋々承諾するしかなかった。
こうして裸と裸の勝負をかけた最低な一戦が宴会場で開かれることとなった。