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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第8章 英雄と呼ばれる所以
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車輪の砦

逃走を追う隊と、ボイー族・トゥリンギー族を抑える隊。

戦場は、いつの間にか二つに割れていた。


一方では第一陣と第二陣が、山へ退くヘルヴェティを追い立てる。

もう一方では第三陣が、右から噛みついてきた後尾の塊を受け止める。


どちらも同じ“勝ち”の匂いがするのに、どちらも同じ“死”の匂いがした。


セリスィンの視界の端で、丘の下へ流れていく影がある。追撃に走るローマの列が伸びる。伸びれば、薄くなる。薄くなれば、裂ける。

だから第三陣は動けない。ここを割られた瞬間、上に集めた荷も、丘の上の新兵も、全部が背中から食われる。


「右、固めろ! 盾を合わせろ!」


百人隊長の怒号が飛ぶ。セリスィンは盾の縁を隣の盾に押し当て、足を踏みしめた。


ボイーとトゥリンギーの突撃は、ヘルヴェティ本隊の密集とは違った。

粗い。だが、勢いがある。こちらが追撃に気を取られている隙を、狙いすました勢いだ。


切り結びながら、時間だけがずるずる伸びていくのが分かった。


戦闘は朝――七時頃に始まり、夕方まで続いた。

闘技場の一試合とは比べものにならない長さだ。腕が疲れる前に心が疲れる。声が枯れる前に判断が鈍る。


それでもヘルヴェティは、完全には逃げなかった。


山へ退く者たちは退く。だが、散って消える者はいない。

どこかで“戻る場所”が決まっている動きだった。


そしてその“戻る場所”が、はっきり姿を現した。


荷物と車のところだ。


敵は、車列へ集まった。荷車を寄せ、車輪を重ね、即席の堡塁を作る。

車輪の円が壁になる。木の板が胸壁になる。縄が障害になる。


「……砦かよ」


テオトニクスが吐き捨てる。笑いはもうない。


車の上から、雨のようにテラが降った。投槍、石、矢。

ある者は車の上から投げ、ある者は車と車輪の隙間から突き出すように矛を投げつけてくる。


ローマ側も投げ返すが、敵は“守られた高さ”から投げてくる。

盾に当たる音が増え、盾の重さが増える。足元の死体に躓く者が出る。


「押し込むな、崩すな! 壁を作れ!」


号令が飛ぶ。セリスィンは盾を上げ、呼吸を細くした。

車輪の砦は、剣の勝負じゃない。ここは削り合いだ。


そのとき――セリスィンは、砦の向こうに“いるはずのないもの”を見た。


女がいる。若い者がいる。


髪を結んだ手が槍を握っている。

震える指が石を掴んでいる。

泣き声を飲み込む顔が、車輪の隙間からこちらを睨んでいる。


セリスィンの腕が、一瞬だけ止まった。


「……っ」


躊躇いは、一拍で死を呼ぶ。分かっているのに、体が言うことをきかない。

闘技場でなら、相手は“戦う者”として目の前に立っていた。

だが今、あの目は“逃げる者”と“戦う者”が混ざっている。


セリスィンは叫びそうになった。止めろ、と。誰に? 何を?

分からないまま、刃先だけが揺れる。


その瞬間、車輪の隙間から一本の槍が放たれた。


狙いは、セリスィンの胸――盾の縁のわずかな隙間。

投げた腕が女か若者か、それすら見分けられない。ただ“飛んできた”という事実だけがある。


セリスィンは反射が遅れた。


槍の先が視界いっぱいに迫り、時間が薄く伸びる。


――やばい。


金属が弾ける音がした。


横から、力任せに槍がはじき飛ばされた。槍先が空を切り、土へ突き刺さる。

セリスィンの肩に、誰かの体がぶつかる。


「ボケっとすんな!」


テオトニクスだった。盾を強引に差し込み、セリスィンの前に半身を滑り込ませている。


「……テオ」


「今は見るな。見たら止まる。止まったら死ぬ。お前が死んだら、もっと止まるやつが増える」


早口なのに、言葉が妙に冷静だった。

戦場で生き残るために必要な冷静さ。


セリスィンは歯を食いしばり、盾を上げ直した。

躊躇いは消えていない。だが“躊躇っている場合じゃない”が、無理やり前に出てきた。


車輪の砦の向こうから、またテラが飛んでくる。

夕方の光が赤くなり、影が長くなる。なのに戦いは終わらない。


荷の近くでは、夜が更けるまで戦闘が続いた。


セリスィンは盾越しに息を吐きながら、胸の奥が冷えていくのを感じた。

英雄と呼ばれる所以――そんな言葉が、この場所には似合わない。


それでも、さっき自分の命を守ったのは、英雄の剣ではなく、隣の男の“間に入る一歩”だった。


テオトニクスが、槍を弾いた腕を振って血を払う。


「……行くで。次、来る」


セリスィンは頷いた。

刃を握り直し、車輪の砦を見据える。


その向こうにいるのが誰であろうと、槍は飛んでくる。

そして、こちらも止まれない。

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