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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場
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赦しの鎖

「連れてきた」


リスクスの声が天幕の入口で止まり、次いで足音が一つ、遅れて入ってきた。


ドゥムノリクスは、噂で聞く“民衆の英雄”の顔をしていなかった。

外套は上等だが、汗が浮き、喉が上下している。目だけが忙しく動き、逃げ道を探しては見つからない。


背後には護衛が二人。槍は立てたまま、言葉は挟まない。

それだけで、ここが「部族の内輪」ではなく「ローマの場」だと分かる。


カエサルは座っていた。机も地図もない。まるで待ち合わせみたいに、ただそこにいる。


「ドゥムノリクス」


名を呼ぶ声は軽い。だが、呼ばれた側の肩は跳ねた。


カエサルは続ける。


「自分で何をしたか、分かってるか?」


叱責ではない。問いだ。逃げるな、と言うための問い。


ドゥムノリクスの口が動く。だが声にならない。

言い訳を組み立てようとして、組み立つ前に崩れている。


沈黙が長くなる。天幕の外の風の音まで聞こえた。


セリスィンは端に立ち、息を殺して見ていた。

剣を抜かない尋問なのに、刃先が自分の喉に触れているような緊張がある。


カエサルは言葉を重ねない。ただ、同じ目で見続ける。

“答えない”という選択肢の価値を、ゆっくり削っていく。


そのとき、前へ出た男がいた。


ディウィキアクス。


「閣下……」


声が震えている。年長者のはずなのに、今は子が裁かれる場で親が立つようだった。


「弟の蛮行は……俺のせいでもあります」


カエサルは目だけで「続けろ」と促した。


ディウィキアクスは唇を噛み、絞り出す。


「幼いころから、兄――俺が優遇され、弟は二の次だった。俺は“正しい側”に置かれ、弟は“待て”と言われ続けた」

「……弟なりに努力してきた。民衆の中に入り、金を作り、騎兵を養い、部族を守ると言い聞かせ……そうしてここまで来た」


息が乱れる。涙が浮く。それでも言葉を切らさない。


「罰するなら、どうか……このディウィキアクスを」


最後の一言は、ほとんど泣き声だった。


天幕の中が静まり返る。

ドゥムノリクスだけが、助かったのか終わったのか分からない顔で立ち尽くしている。


カエサルは、そこで初めて小さく息を吐いた。


そして視線をドゥムノリクスへ戻す。

軽い声のまま、刃だけを立てた。


「どうする?」


ディウィキアクスを盾にするのか。

認めるのか。

何かを差し出すのか。


ドゥムノリクスの顔が、みっともなく歪んだ。怒りでも反省でもなく、ただ“追い詰められた者”の顔。

口が開きかけて、閉じる。


結局、言葉が出ない。


カエサルは額に指を当て、短くため息をついた。怒りのため息ではない。時間の損失を数えるため息だ。


「……いいだろう」


ディウィキアクスの顔が上がる。希望が走る。


カエサルは淡々と続けた。


「今回はディウィキアクスの顔に免じて、許してやる」


その「許す」は温情ではなく、処理だった。

ここでヘドゥイーを割ることの損得を計算した声。


だが次の言葉で、空気がまた締まる。


「ただし――今後は違う」


カエサルはリスクスへ視線を投げる。


「監視をつけろ。ドゥムノリクスにだ」

「行動を記録しろ。勝手に動くな。勝手に喋るな。敵に情報が流れる“余地”を、ここで潰す」


ドゥムノリクスの顔が青ざめた。

赦されたのに、鎖が増えたと理解した顔だ。


ディウィキアクスが震える声で言う。


「……閣下、感謝する。俺は――」


カエサルは手を軽く上げて止めた。


「礼はいらない。穀物を寄越せ。今日からだ」

「俺の兵は腹が減ってる。言葉じゃなく、荷車で返せ」


ディウィキアクスは深く頷いた。

「必ず」


カエサルは最後にドゥムノリクスを見た。目が笑っていないのに、声は相変わらず軽い。


「お前もだ。次は“兄の顔”じゃ済まない」


ドゥムノリクスは、やっと喉を鳴らして小さく頷く。返事とも誓いともつかない。


天幕の外へ連れて行かれる背中は、さっきより縮んで見えた。


セリスィンはその背を見送りながら、胸の内で言葉にならない感覚を噛んだ。

剣で勝つのは分かる。

だが、赦して縛る――そのやり方で軍が動くことを、今日初めて腹で理解した。


そして同時に思う。

このカエサルは、敵より先に“味方の危うさ”を切り落とす。


それが頼もしくもあり、恐ろしくもあった。

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