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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第1章 無名の孤児
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ひとりでに歩き始める

「くっ……!」


セリスィンは、なんとかダグラスの一撃を受け流し、吹き飛ばされながらも体勢を立て直した。


――だが。


砂を踏みしめた瞬間、背筋が冷える。


自分の剣が、ダグラスの足元に落ちている。


セリスィンが取りに走ろうとした、その一瞬をダグラスは見逃さなかった。ニヤリと笑い、屈んで拾い上げる。


左右の手に剣を握るダグラス。


丸腰のセリスィン。


こうなれば勝負は、ついたも同然だった。


「あばよ」


ダグラスが、ゆっくりと歩いてくる。わざとだ。怖がらせる距離の詰め方だ。


「……勝負あったか」


観戦していたシリアスが、低く呟く。カタルスは何も言わず、その行く末だけを見つめていた。


(くそ……)


セリスィンは心の中で自分に毒づく。


(このまま負けるのか)


ケプトの怯えた顔が浮かぶ。昔の自分の、逃げ場のない目も。


(……嫌だな)


そう思った瞬間には、身体が動いていた。


セリスィンは剣のないまま、ダグラスへ突進した。


「おいおい、まだやるってのか!」


ダグラス一派が嘲笑する。


だがセリスィンは止まらない。距離を詰める。ただひたすらに――剣の届く間合いの外ではなく、内へ。


「ぬるいな」


ダグラスが両手の剣を振るう。上から、斜めから、薙ぎ払うように。


だが、剣は空を切った。


「……?」


ダグラスの足が一瞬止まる。何が起きたか分からない顔。


次の瞬間、回り込んだセリスィンの足払いが決まった。防具の上からでも衝撃は伝わる。ダグラスは膝を落とし、砂を噛む。


ざわり、と観客席が揺れた。


「野生か」


カタルスが、ぽつりと言った。


「どういうことだ?」


思わずシリアスが聞き返す。


「セリスィンは、剣闘士として育ってない」


カタルスは淡々と続ける。


「孤児として、路上で生きてきた。――だから剣が“邪魔”なんだ。あいつにとっては」


「そんな……」


二人は黙って戦況を追った。


「クソが……!」


ダグラスは膝をついたまま剣を地面に突き、セリスィンを睨みつける。


相手は裸の少年一人。剣が二本ある自分が負けるはずがない――その思いが、苛立ちとなって顔に出ていた。


ダグラスは立ち上がり、今度こそ狙いを定めて剣を振るう。


しかしまた、剣は宙を裂いた。


セリスィンは“剣を見て”避けていない。肩の動き、足の踏み込み、重心の移り――身体の予兆を読んで、先に位置をずらしている。


空振りした背中へ、肘打ちが叩き込まれた。


「ぐっ……!」


ダグラスが息を飲み、咳き込む。


「あいつ、剣がない方が強いじゃねえか……」


誰かが呟く。


いつの間にか、ダグラス一派だけではない。シリアス側でもない。寮の連中が皆、二人の戦いに見入っていた。出鱈目に見えるのに、目が離せない。


「なんだってんだ……」


ダグラス一派は互いの顔を見合わせる。剣の腕ならシリアスに引けを取らないはずのダグラスが、丸腰の見習いに押されている――そんな光景、あっていいはずがない。


後押しの声が、野次から“懇願”に変わっていく。


「ダグラス! 行けよ!」 「やれ、押せ!」


ダグラスから笑みが消えた。


呼吸を深く整え、視線を逸らさない。


からり、と片方の剣を捨てる。


そして一本を、両手でしっかり構え直した。


それは見下した相手に向ける構えではない。戦場で敵兵に向ける――本気の構えだった。


セリスィンは、いつしか条件のことも、ケプトのことも、相手がダグラスであることさえ薄れていた。


ただ集中していた。


身体が軽い。砂の感触が分かる。相手の息が聞こえる。


「っ――」


ダグラスの剣が襲う。上、下、右、斜め。


セリスィンは地面と対話するように足を運び、紙一重で躱していく。防具をかすめる風圧が肌に触れる。


「面白い」


カタルスが、そっと呟いた。


シリアスは横顔を見て、ふだん感情を見せない男が“面白い”と言った事実に、小さく息を呑む。そして視線をアレナへ戻した。


戦いは長くなった。


二人だけの世界ができていた。観客も、これが訓練であることを忘れかけていた。


「これが……剣闘士……」


ケプトが呆然と呟く。


遠い。二人が遠すぎる。憧れとは違う場所にいる。


ケプトは違う意味で、この先の自分の姿が見えなくなっていた。


◇   ◇   ◇


互角の勝負は、ひょんなことで決着がつく。


避ける途中、セリスィンの足が砂を滑った。ほんのわずか、体勢が崩れる。


(しまっ――)


「もらった!」


ダグラスがその隙を逃さず、剣を振り下ろす。


迫る刃引きの鉄。防具があっても、まともに食えば骨が折れる。


なぜかその瞬間、セリスィンの脳裏にジムージーがよぎった。


町の広場で、自分を殴り倒してこの世界に引きずり込んだ男。


『お前だけのクルスス・ホノルムを見つけろ』


言葉の意味なんて、まだよく分からない。


だが、手は動いた。


セリスィンは利き腕を差し出し、腕当てごと剣を受ける。衝撃で腕が痺れ、身体が軋む。


同時に、セリスィンの指がダグラスの顔面へ伸びた。兜の隙間――目。そこを狙う動き。


止まる。


互いの動きが、互いの“次”を殺した。


砂の上で、二人が固まる。沈黙が落ちる。


「――戦い、やめぇ!」


沈黙を破ったのは、教官グラシアムだった。


「時間だ。次の組に支える」


張り詰めた糸がぷつりと切れたように、二人は我に返る。


「待て!」


先に声を上げたのはダグラスだった。


「どっちの勝ちだ!」


グラシアムはダグラスを見て、吐き捨てるように言った。


「……お前が一番分かっているはずだ」


そして続ける。


「最後の一撃はセリスィンの利き腕に入った。本番の刃なら、腕は使い物にならん」


視線をセリスィンへ移す。


「だが同時に、セリスィンは迷いなく目を潰しに行った。戦場なら――勝敗はどう転ぶ?」


ダグラスが歯噛みする。


「……くっ」


グラシアムは一拍置き、結論を切った。


「模擬戦としては、引き分け。だが――」


ダグラスへ鋭く言い放つ。


「お前は“勝った顔”をするな。約束があるなら守れ。以上だ」


その言葉で、観客席の空気が変わった。ダグラス一派の笑いが消え、誰もが妙な顔をする。


勝ち負けよりも、さっき見えた“何か”が、全員の胸に残っていた。


セリスィンは条件のことより、今しがた自分の中で加速した感覚――見えていなかった世界が一瞬開いた感覚に、心臓を掴まれていた。


◇   ◇   ◇


模擬戦以来、変化があった。


セリスィンは、自分の中にどれだけの力が眠っているのか確かめたくなった。毎日の稽古が、少しずつ楽しみに変わっていく。


そういう意味では、ダグラスにさえ感謝の念が湧きかけた。


形はどうであれ、自分の潜在を引きずり出したのはあいつだ。皮肉な話だが、不思議とそう思えた。


そして――ダグラスの露骨ないじめは影を潜めた。


相変わらず荒い連中ではある。だがセリスィンとすれ違うと、どこか目を逸らす。話しかけることもない。


いじめられていたケプトは、剣闘士を辞めた。


もうやっていく自信がない、と言い残し、追い出されるような形で寮を去った。奴隷として買われた者の中には、逃げれば死が待つ者もいると聞く。それを思えば――これで良かったのだろう、とセリスィンは自分に言い聞かせた。


最初は自分も逃げるつもりだった。


だが今は、戦いの中で自分を高めてみたい気持ちの方が強い。


逃げることなら、いつでもできる。


だから、あえてここで踏ん張ってみる。


そう決めたセリスィンは――一週間後に控えた、初めての“本当の戦い”を前にしていた。に初の剣闘士としての戦いを間近に控えていた。

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