表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

79/186

言葉の刃

橋を一日で渡った――その事実そのものが、もう武器だった。


ヘルヴェティ族にとって、川は壁だった。二十日かけて、国ごと削りながら越えた壁。

それをローマは、一日で「道」に変えた。


その翌朝、見張りの声が走った。


「使節!」


槍先が揃い、列が自然に割れる。

川風に煽られた外套の向こう、数名の男が歩いてくる。武装は最小限。だが目に宿る硬さは、刃のそれだった。


先頭の男は老いてなお背が高い。顔の皺は深く、視線は真っ直ぐで、若い兵を見下ろすのではなく“測る”ように見た。

名を告げる。


ディウィコ。


――カッシウスとの戦いでヘルヴェティ族を率いた者。昨夜の噂が、ここで肉を持つ。


セリスィンは喉が鳴るのを感じた。剣を握る前の緊張に似ている。だがこれは、剣では始まらない。


ディウィコはカエサルの前で立ち止まり、礼の形だけは崩さずに言った。


「もし貴公たちが我らと和を結ぶのであれば、我らは貴公らが良いと思うところを決めてくれれば、そこへ行って留まろう」


“譲歩”に見える言葉なのに、声色は譲っていない。

条件ではなく、格を置きにきている。


横で聞いていたテオトニクスが、セリスィンの耳へだけ落とす。


「あのおっさん、強がりながら……何ひよっとんねん」


セリスィンは小さく息を吐いた。テオの言葉は軽いのに、状況は軽くない。


ディウィコは続ける。声に古い戦の匂いが混じった。


「もし、あくまで戦うというのであれば――昔の戒めを思い出さねばならない」


脅しだ。しかも、ここにいる誰もが知っている脅し。

“カッシウスの恥辱”を、ローマの喉元へもう一度押し当てる言い方。


カエサルは笑わなかった。だが、怒りもしない。

彼は、軽く頷いてみせた。


「よく知っている」


それだけで空気が引き締まる。


「その時、俺らが悪いことをしたってんなら、警戒の一つや二つでもして止められたさ。だが、特に悪いことはしていない。なのに襲われた」


言葉は平坦だ。

だからこそ、聞く側に逃げ道を与えない。


カエサルは一拍置いて、話を切り替えた。まるで盤上の駒を別の列へ動かすみたいに。


「……まあ、昔のことはどうだっていい。問題はいまだ」


その一言で、ディウィコの“栄光”は過去へ押し戻された。


「ヘドゥイーも、アンバリーも、アロブロゲースも泣きわめいて助けを求めてくるんだ。ヘルヴェティ族にやられたってな。これは許されるものではない」


“泣きわめく”という言い方が、わざとだとセリスィンには分かった。

正義の旗を立てるためじゃない。相手の面子を削るための言葉だ。


ディウィコは眉一つ動かさずに返す。


「はて。なんのことか」


カエサルは肩をすくめる。冗談のような所作で、刃だけを見せた。


「なら、人質を出せ。お前らが泣いてアロブロゲースたちに謝るってなら――許してやらんこともない」


その瞬間、セリスィンは背筋がぞくりとした。


剣の間合いじゃない。

“言葉の間合い”で相手の首を取ろうとしている。


これが大人の喧嘩か、とセリスィンは思った。

勝つために、相手を倒す前に“形”を奪いにいく。


ディウィコの目が、ほんの少しだけ細くなった。


「人質というのは、弱き者が強き者へ差し出すものだ」


彼は胸を張る。老いがその姿勢を崩せない。


「ヘルヴェティ族の掟には載っていない」


拒絶は明確だった。

和の提案は引っ込められ、残ったのは誇りと戦だけ。


沈黙が落ちる。


カエサルは頷く。まるで「そう来ると思ってた」と言うように。

そして淡々と告げた。


「なら終わりだ。戻っていい。だが、道は譲らない」


使節が踵を返す。彼らの背中は、折れていない。

折れない背中が、戦を連れてくる。


セリスィンはその背を見ながら、拳を握っていた。

今日、刃は交わっていない。血も出ていない。


なのに、胸の中では何かが確かに斬られた気がした。


戦いには、剣だけじゃない形がある。

そして、その形の戦いでも、カエサルは勝ちにいく。


――怖い。

――それでも、目が離せない。


カエサルが振り返り、いつも通りの軽い調子で命じる。


「休みは終わりだ。追う。遅れるな」


列が動き出す。

セリスィンは歩きながら、自分が今どんな戦場に入ってしまったのかを、ようやく理解し始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ