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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場
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分断へ

アラル河は、思っていたよりも「川らしく」なかった。


近づくにつれ湿った匂いが強くなり、草の背が妙に揃って見える。だが水面は、風に撫でられてもなお鈍い。広く、長く、ただ横たわっているだけのようで――視線を走らせても、どちらが上流でどちらが下流か、すぐには掴めなかった。


「……これ、ほんまに流れとるんか?」


テオトニクスが、思わずという調子で言う。笑いに変える余裕を探している声だった。


セリスィンは答えず、河の向こうを見た。


見える。いる。


ヘルヴェティ族の列が、対岸に向かって“移って”いた。筏と小舟をいくつも繋ぎ合わせ、縄で縛って、渡し舟のようにしている。牛や荷車、人――数ではなく「かたまり」が動いていた。渡るというより、河そのものに村が浮かんで、ゆっくり位置を変えていく。


セリスィンは喉が乾くのを感じた。 闘技場の砂と違って、ここには歓声がない。ただ、人が国ごと動く音がする。


背後で甲冑が鳴った。護衛が道を開け、カエサルが河畔へ出る。彼は地図板も広げず、まず水面を見た。次に、対岸の“動く塊”を見た。


「いい川だな。急いでない」


軽い言い方だった。褒め言葉にも、冗談にも聞こえる声音。


だがその目は、笑っていない。


カエサルは指を二本だけ立て、近くの騎兵長へ合図した。


「偵察。数を割れ。渡りが何組に分かれてるか、今どこが弱いか。戻ったら、短く言え」


「はっ」


騎兵と斥候が散る。草を踏む音がすぐ薄くなった。


セリスィンは、河面に意識を戻した。水は確かに動いているはずなのに、目はそれを掴めない。だからこそ、筏の進みが速いのか遅いのかも判断しづらい。――いや、判断できないのは自分の方だ。川が狡いのではない。慣れていないだけだ。


「セリスィン」


百人隊長ルキウスが、背中越しに低く言った。


「ここは砂じゃない。相手も一人じゃない。目を一点に置くな。……吐くなら、あとで吐け」


「……わかってる」


セリスィンは短く返した。返しながら、胸の奥が妙に熱いのに気づく。 恐怖ではない。まだ言葉にできない何か――ここへ来てから増えている感覚だ。


しばらくして、偵察が戻った。土を跳ね上げて馬が止まり、騎兵長が膝をつく。


「報告。ヘルヴェティは部隊を分けて渡河しています。すでに三つの部隊が渡り終え、対岸で隊列を整え始めた。四つ目がこちら側、アラル河の手前に残っています。渡しは筏と小舟の連結。護衛は薄い。今なら――割れます」


その言葉で、周囲の空気が一段落ちた。 “割れる”。戦いの言葉だ。試合の言葉ではない。


テオトニクスが、河の向こうを見たまま、ぽつりと言う。


「……渡り終えた三つと、これから渡る一つ。……分断、できるってことやな」


セリスィンは唇を噛んだ。頭ではわかる。いま叩くなら、ここだ。 でも、見えてしまっている。筏の上の荷。人影。国が、家ごと移動している。


セリスィンは、気づけば口を開いていた。


「カエサル。――今、叩くのか」


自分で言っておいて、声が硬いとわかった。問いかけというより、確認に近い。


カエサルは振り返らない。河と、対岸と、こちら岸の残りを見比べるだけで言う。


「今しかない。三つが渡ったなら、四つ目は“置き去り”だ。置き去りは、守りが薄い」


それは説明だった。正当化ではない。


セリスィンの胸の熱が、別の形に変わる。憧れの熱――速さへの熱。 この男は迷っていない。迷いが、軍を遅らせることを知っている。


テオトニクスが半歩前へ出る。


「向こう側の三つは?」


カエサルはようやく、肩越しに視線だけ寄越した。


「追う。だが順番がある。まず目の前だ」


デキムスが低く笑った。乾いた笑いだ。


「分かりやすいだろ。渡り終えた連中は逃げ道がある。まだ渡れてない連中は、河に背中を預けてる」


その「お前らはどうする」という圧が、言葉の裏にあった。


セリスィンは拳を握った。指先が痺れる。剣を握る痺れではない。 “ここから先”に足を踏み入れる痺れだ。


カエサルは、軽く手を打った。いつもの調子で。


「よし。槍を整えろ。盾を濡らすな。騒ぐな。――今からは、音の大きい方が負ける」


そして、最後にだけ声の温度が落ちた。


「四つ目を、叩く」


号令が走り、兵が動き始める。鉄と革が擦れ、縄が締まり、列が形を作っていく。 セリスィンも剣帯を確かめ、息を吐いた。


河は相変わらず、どちらへ流れているのか分からない顔をしている。 だが、ローマの列だけは、迷いなく一つの方向へ流れ始めていた。

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