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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場
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奪われる境界、最西の影

セグシアーウィ族の領内を進む列は、もう“追う足”になっていた。

助ける、と言った直後の足だ。速い。迷いが減るぶんだけ、土の抵抗が重くなる。


止まる暇はなかった。


最初の使者が去って間もなく、また馬蹄の音が増えた。

今度は一騎ではない。二騎、三騎。土煙が薄い線になって、隊列の前へ突っ込んでくる。


「ヘドゥイー族より続報!」

「アンバリー族の使者!」

「アロブロゲース族からも!」


声が重なる。内容も重なる。


――ヘルヴェティが来た。

――掠奪が起きている。

――家畜が奪われ、人が縛られ、穀物が消えている。


セリスィンの胸の奥が冷えた。

「助ける」と言った瞬間に、助ける対象が増えていく。


テオトニクスが小声で言った。


「……あっちもこっちも、燃えとるやん」


デキムスが即座に刺す。


「燃える前に折らなきゃ、全部燃える」


言い方が乱暴でも、現実は乱暴だった。


アロブロゲース族の使者は、特に顔が険しかった。

属州民だ。ローマの統治下にいる者の目だ。だからこそ、恐れの出方が違う。


使者は通訳を挟み、怒りを噛み殺すように言った。


「我らはローヌ東岸の属州民だ。だが、対岸にも財産がある。集落もある。畑もある。——そこが踏み荒らされている」


一瞬、兵の中に「対岸?」という空気が走る。

属州の外側、つまり“ローマの札が刺さっていない側”にも、飛び地のような土地や財産がある。交易、婚姻、昔の縁、あるいは単純に土地の境界が川できれいに切れていない。


だから、ヘルヴェティが通るだけで、アロブロゲースも噛まれる。


カエサルは難しい顔をせず、いつもの調子で頷いた。


「なるほど。川ってのは境界のふりをするが、金と畑は境界を嫌う」


軽い言い方のまま、目だけが冷たくなる。


「で、噛まれたなら噛み返したいだろ?」


使者は即答した。


「噛み返す前に、止めてほしい!」


カエサルは肩をすくめた。


「はいはい。止める。……だから泣き言より先に位置を出せ」


“同情”より“情報”が先。

その順番が、戦場の順番だった。


使者たちは地図板の上に震える指で点を刺した。

点が増えるたび、被害の線が見えてくる。


ヘルヴェティは止まらない。

止まらないから、奪う。奪うから、敵が増える。


セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足裏が戻る。頭が整理される。


(これは、偶然の暴走じゃない)


(国ごとの移動だ)


国ごとの移動は、通過だけで災いになる。


報告が落ち着いたあと、カエサルは地図板の上に指を置いた。

指は西へ滑る。さらに西へ。ガリアの端へ。


「ヘルヴェティの最終目的地は、サントニー族の領地だろう」


誰かが息を呑む。

サントニー。ガリアの最西端に近い。海が近い。属州の西側にも近い。


テオトニクスが小声で言った。


「なんで分かるん?」


デキムスが答える前に、カエサルが軽く返した。


「勘。……と言いたいところだが、道と腹の話だ」


カエサルは指で線を描く。


「西へ行けば土地がある。土地があれば座れる。

そして一度座ったら、動かない。国ごとの移動ってのは“目的地”で終わるんじゃない。“居座る”で終わる」


その言い方は軽いのに、背筋が冷えるほど現実的だった。


「居座られるとまずい」とカエサルは続ける。「属州(外プロウィンキア/ナルボネンシス)に近い西側に、強力で好戦的な集団が根を張ることになる」


セリスィンは、その言葉の重さを遅れて理解した。

戦いは今の掠奪を止めるためだけじゃない。未来の地図のためだ。


テオトニクスが珍しく真面目な声を出した。


「……要するに、近所に“強い悪い隣人”が引っ越してくるのは嫌、ってことっすね」


デキムスが「雑だが合ってる」と吐き捨てる。

カエサルは笑った。


「その言い方、好きだな。そう。嫌なんだよ。——面倒だからな」


面倒、という言葉で戦争の理由を言う。

だがセリスィンには分かった。これは軽口ではない。守りの言葉だ。


「属州はローマの顔だ」とカエサルは続ける。「顔に傷がついたら、ローマは笑われる。笑われたら次が来る。次が来たら、もっと面倒だ」


理屈が短く繋がっていく。

短いから、兵が動ける。


カエサルは手を叩いた。


「よし。決まりだ。ヘルヴェティを止める」


“止める”が軽い。

軽いのに、誰も反論しない。反論している暇がない。


「ヘドゥイー、アンバリー、アロブロゲース——連絡を返せ。ローマが動くと」


使者たちが深く頭を下げる。

救いの言葉を聞いたというより、これで自分たちの部族に“言い訳”ができる顔だ。ローマの名は、盾にもなる。


セリスィンはその顔を見て、胸が痛んだ。

守るというのは、剣を振ることではない。誰かの“言い訳”になることでもある。


テオトニクスがセリスィンの横で小さく言う。


「戦場って、ほんま……思ってたんと違うな」


セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足裏が戻る。


違っていても、引き返せない。

そして引き返さないと決めたのは、自分だ。


カエサルが歩き出す。


「混む前に行くぞ。——ヘルヴェティを追い越す」


五箇軍団の列が、また一段速くなった。

初めての戦場は、いま“助ける”から“止める”へ形を変えようとしていた。

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