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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場
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ローヌ再び

アルプスの冷たさを背中に置いてきたはずなのに、外プロウィンキアの風もまだ硬かった。

ただ、山の硬さではない。土の匂いに人の暮らしが混じり、畑の湿り気が戻ってくる硬さだ。


一行が踏み入れたのはウォコンティー族の領地。

敵地というより、通り道の気配が濃い。家並みは遠巻きで、犬の鳴き声が遅れて聞こえる。人は見ているが、近寄らない。


「休む。短く」


カエサルが軽く言った。軽いのに、止まる時間はきっちり短い。

火を大きくしない。荷を広げない。水だけ回す。兵は座るより先に靴紐を直し、革紐を締め直す。


テオトニクスが水を飲みながらぼそっと言った。


「休憩って、こんな味気ないもんやっけ……」


デキムスが即座に刺す。


「味がある休憩は死ぬ」


「はいはい」とテオは笑って受け流し、周りの兵の肩を少しだけ軽くする。

この場での“口”は、煽りじゃない。空気のひびを塞ぐ役目になっていた。


休憩が終わると、すぐ動く。

目指すのはアロブロゲース族の領地――属州の“喉”だ。橋を落とし、壁を伸ばした場所へ戻る。


セリスィンは歩きながら吐いた。吸う前に吐く。

足裏が地面を掴む。山の斜面で覚えた“戻し方”が、平地でも生きる。


(ローヌへ戻る)


戻るというより、追いつくために戻る。

ヘルヴェティ族はすでに西へ流れている。彼らを追うには、こちらも川を越えなければならない。


アロブロゲースの地を抜け、さらにセグシアーウィ族の領地へ部隊を進める――そのための道筋が、地図板の上だけでなく現実の道になっていく。


そして、ローヌ川を渡る前の地点まで来たときだった。


見張りが前方を指し、短く言った。


「旗だ」


霧の向こうから、整った列が現れる。

軍団の足音。見張り台の匂い。土塁の匂い。――“守っていた側”の匂いだ。


先頭を歩く男が、こちらを見た。


ラビエヌス。


ゲナウァを守っていた男が、そこにいた。

表情は相変わらず硬い。だがその硬さが、いまは頼もしい。


ラビエヌスはカエサルに一礼し、報告だけを落とした。


「壁線は維持。ヘルヴェティの渡河は阻止。使節は二度。拒否を通達。夜襲未遂は数度。こちらの損害は軽微」


余計な飾りがない。

だから、報告がそのまま“壁”になる。


カエサルは軽く頷いた。


「上出来。俺が居ない間に退屈しなかったか?」


ラビエヌスは一瞬だけ目を閉じてから答えた。


「退屈はしません。寝不足です」


「それは悪い」とカエサルは笑い、すぐ真顔に近い軽さで言う。

「じゃあ今日で寝不足を増やす。――渡るぞ」


ローヌ川が目の前にある。

あの日、橋を落とした川。境界の川。


セリスィンは川面を見た。流れは重い。優しくない。

だが今日は“渡れない川”ではなかった。


川辺にはすでに準備があった。

橋脚の残りを活かす材が集められ、舟が寄せられ、縄が張られている。ラビエヌスが守っていたのは壁だけじゃない。“渡るための条件”も守っていたのだと分かる。


「今日中に渡る。迷子になるなよ」


カエサルがいつもの調子で言うと、テオトニクスが小声で返した。


「迷子ネタ、まだ引っ張るんや……」


デキムスが横から低く言う。


「喋るな。落ちる」


それが冗談じゃないのは、川が教えてくれる。

一歩間違えれば飲まれる。


隊列が組まれ、渡河が始まった。

盾が水滴を受け、革紐が鳴る。荷駄が揺れ、馬が鼻を鳴らす。兵の顔が硬くなる。硬くなるが、足は止まらない。


セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足裏が板を掴む。視界が開く。


(川を越えたら、もう“属州の外”だ)


ここから先は、ローマの土ではない。

ローマの命令が通るとは限らない土。


それでも、隊列は前へ進む。

カエサルの軽い声が背中を押し、ラビエヌスの硬い仕事が足場を作り、軍団の数が川の恐さを薄めていく。


最後の兵が岸に上がったとき、ローヌの音が少しだけ遠くなった気がした。

渡った。境界を越えた。


カエサルが振り返り、いつもの調子で言った。


「よし。渡れたな。――じゃあ次だ」


“次”が軽い。

軽いのに、胸の奥が重い。


初めての戦場は、いよいよ川の向こう側に始まる。

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