表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場
70/165

破竹の勢い

そこからは、圧巻だった。


第七・第八・第九が合流し、ローマ軍は“五箇軍団”になった。

数が増えたのに、遅くならない。むしろ速い。補給が回り、哨戒が回り、伝令が回り、隊列の外側に見えない刃が増えていく。


カエサルはその中心で、相変わらず軽かった。


「よし、揃った。あとは歩くだけだ。……簡単だろ」


簡単なはずがない。

なのに、その言い方を聞くと足が前に出る。足が出れば、隊列はもっと揃う。


そして一行は、ガリア・キサルピナ最西の町――オケルムに着いた。


町は大きくない。だが“端”の町には独特の匂いがある。

荷の匂い、馬の匂い、旅の匂い。ここから先は、道が変わる匂いだ。


セリスィンはオケルムの門をくぐりながら、空を見上げた。

西の地平に、白い線が見える。雲ではない。山だ。


(……あれを越えるのか)


テオトニクスが、さすがに声を落とした。


「なぁ、閣下。……あの山、冗談やろ?」


カエサルは振り向きもせずに言った。


「冗談ならよかったな。あれがアルプスだ」


軽い。軽いのに、言ってることは重い。


「オケルムからアルプスを越えて、外プロウィンキアへ入る。――戻るぞ、ローヌへ」


“戻る”がさらっと言われる。

だがその戻り道は、闘技場の帰り道じゃない。山を越える戻り道だ。


セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足裏が地面を掴む。


(この山を越える)


それだけで胸が締まる。

高さも寒さも知らない。けれど、知らないことが怖いのが戦場だ。


翌朝、列はオケルムを出た。

前方の空気が薄くなり、風が刃みたいに乾いていく。


アルプスの麓に近づくほど、道は狭く、地面は荒れた。

荷駄の足が滑れば列が止まる。列が止まれば、上から石が落ちる。


そして――落ちた。


最初は小石だった。偵察の合図みたいな落とし方。

次に、拳ほどの石が盾を叩き、最後に、岩が道を削るように転がってきた。


「上だ!」


誰かが叫ぶ。

高地、道の上の岩棚に影がいる。弓、石、槍。待ち伏せの位置。


「ケウトロネース族か……」

「グライオケリー……!」

「カトリゲースもいるぞ!」


名前が飛ぶたび、敵の輪郭が増える。

だが輪郭が増えても、列は止まらない。止まれば死ぬからだ。


カエサルの声が、妙に軽く聞こえた。


「いい場所だな。高いところは気持ちいい。……だから奪う」


冗談みたいな調子のまま、命令が落ちる。


「登れ。回れ。挟め」


合図は短い。

短いのに、百人隊長たちはすぐ動く。第十が道を押さえ、盾で雨を受ける。別の隊が斜面へ散り、岩の陰を繋いで上へ上へと登る。


セリスィンも登った。

指先が岩を掴み、靴底が砂利を噛む。胸が焼ける。視界が狭くなる。


(吐け)


吐く。吸う前に吐く。

肺の熱が一段落ち、足裏が戻る。


隣でテオトニクスが、息を切らしながらも笑っていた。


「闘技場よりキツいって、どういう冗談やねん……!」


その直後、上から槍が突かれる。

テオトニクスが半歩ずらし、盾で受ける。セリスィンはその半歩に合わせて肩で入った。山では剣を振るより、距離を殺すほうが速い。


敵の膝が崩れ、足が岩の縁を外す。

落とす必要はない。崩れた時点で、上の“優位”が剥がれる。


高地を取った。


石を落とす側が、追い払われる側になる。


それが一度では終わらなかった。


ケウトロネース族の位置を破り、

グライオケリー族の岩棚を奪い、

カトリゲース族の狭い高地も押し崩す。


戦いは連続するのに、軍団の動きは途切れない。

淡々と、道を“通れる形”に戻していく。


セリスィンは何度も吐いた。吸う前に吐く。

止まりそうになるたび、戻す。戻せた。


(俺は、動いてる)


闘技場の勝ちではない。

戦場の流れの中で沈まずにいる、それだけが今は誇りだった。


テオトニクスも変わっていた。

観客に見せる刃ではなく、味方の背中を守る刃。喋りも煽りではなく指示になる。


「右、空いとる! そこ詰めろ!」

「荷駄止めんな! 列が割れる!」

「見上げるな! 足元見ろ!」


声が場を動かす。

それは闘技場では使わなかった“強さ”だった。


デキムスは相変わらず、余計な言葉を置かない。

戦いが終わる場所に、いつの間にか彼がいて、次の地点への道がもう整っている。


セリスィンは思う。


(俺とそう変わらない年で、あの顔で、あの数を動かす)


畏怖と羨望が、同時に湧く。


そして、ほぼ七日目。


山の冷たさが薄れ、湿り気が戻る。

土が柔らかくなり、風の匂いが変わった。


「外プロウィンキアだ」


誰かが言い、列の中に小さなどよめきが走った。


七日。

たったそれだけの日程でアルプスを越え、高地を奪い続けて、もう戻った。


セリスィンは足を止めずに、その事実を背中で受け取った。

凄いと思うより先に、怖いが来る。


(これがローマの速度)


(この速度で、次は――ヘルヴェティを追う)


カエサルが振り返り、いつもの調子で言った。


「よし。遅れてない。……靴も生きてる。上出来だ」


軽口のまま、次の戦いへ繋げる声だった。


セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足裏が地面を掴む。


初めての戦場は、まだ入口だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ