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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第1章 無名の孤児
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模擬戦

模擬戦の日が来た。


ふだんの訓練では木剣を使う。だがこの日ばかりは、鉄の剣を握る。もっとも、刃は引かれ、切っ先も丸められている――殺さないための“本番用”だ。鎧や兜、腕当て脛当ても着け、致命部への攻撃は禁じられている。


それでも骨は折れる。運が悪ければ、二度と戻らない怪我になる。


「逃げるなよ」


更衣室で、ダグラスが声をかけてきた。


対戦相手は本来教官のグラシアムが決める。だが、よほどのことがない限り「希望」は通る。今のこれが、まさにそうだ。


セリスィンは鼻で息を鳴らし、ダグラスを睨んだ。


(逃げる? 最初から考えてねえよ)


心の中だけで答える。


◇    ◇    ◇


「それでは、ただいまより模擬戦を開始する」


定型の号令が、ルドゥスの円形訓練場アレナに響いた。


砂の匂い。汗の匂い。鉄の匂い。


ダグラスは剣身を撫でるように指でなぞり、じろりとセリスィンを見る。その仕草ひとつが見せつけだった。


食堂での一件以来、この勝負は寮中の話題になっていた。野次の中心は当然ダグラス側。反対にシリアスの一派は腕を組み、黙って見ている。


セリスィンはひとつ息を置き、ちらりと観戦の列を見た。


同室のカタルスがいる。


昨晩、あの寡黙な男が珍しく口を開いた。


「明日の戦い、策はあるのか」


「……いや。いつも通りやるつもりだった」


そう答えると、カタルスは淡々と言った。


「やつは速攻型だ。力もある。慣れるまで厄介だ」


――ダグラスのことだ。すぐ分かった。


「だが、長くなるほど荒さが出る。焦って追うな。隙は、向こうが勝手に作る」


「……ありがとう」


セリスィンが礼を言うと、カタルスは理由を言わずに視線を外した。


セリスィンが「なんで急に」と尋ねると、返事は短かった。


「お前が負けたら、俺が困る」


それきり黙った。


(同室が潰れたら、次は自分に飛ぶ――ってことか)


セリスィンはそう解釈していた。情ではない。合理だ。だからこそ信じられた。


「ダグラス、セリスィン。止めの合図には必ず従え」


グラシアムが言う。


「――始め!」


合図と同時に、ダグラスが突っ込んできた。


予想通り。セリスィンも剣を合わせる。だが、刃と刃が噛み合った瞬間――ダグラスの蹴りが飛んだ。


「っ……!」


剣だけじゃない。そういう“汚さ”も込みで来る。セリスィンは体勢を崩し、砂を踏み外す。


ダグラスの兜の奥で笑っているのが分かる。来い、と誘っている。


野次が跳ね上がった。


セリスィンは歯を食いしばり、踏み直した。怒りはある。だが焦って追えば、相手の間合いに飲まれる。


――長期戦。


カタルスの声を思い出し、セリスィンは距離を保って剣筋を見た。だが、ダグラスは慣れている。剣の癖でこちらの受けを崩し、重い一撃を上から叩き落としてくる。


「ほらよ!」


鈍い衝撃が腕に伝わり、セリスィンの肘が痺れた。防いだのに、身体が削られる。


(このままだと……慣れる前に終わる)


セリスィンの中に、焦りが芽を出した。


◇   ◇   ◇


「同室のお前から見て、どうだ」


観戦の列で、シリアスがカタルスに声をかけた。


「……まだ慣れていない」


カタルスは目を切らずに答える。


「慣れてない? セリスィンが?」


「持ち方も、振りも、受けも。剣は素人だ」


淡々と、残酷なくらいに正確だった。


「だが――」


カタルスが言葉を継ぐ。


「だが?」


「あいつは野生だ。剣に慣れたら……ダグラスや俺だけじゃない。お前にも届く」


シリアスは、少しだけ目を細めた。


「お前がそんなことを言うのは珍しいな」


そして二人は、また黙って砂地を見つめた。


◇   ◇   ◇


「くそ……!」


セリスィンの口から、呻きが漏れた。


腐っていても、ダグラスは剣闘士だ。剣そのものの技量は向こうが上。素手の殴り合いなら自信があるが、ここは剣の場だ。郷に入らねば勝てない。


防ぐのも限界が見え始めた、そのとき――ダグラスがふっと攻め手を止めた。


距離を取り、剣を右から左へ持ち替える。


観客がざわつく。挑発だと一目で分かる。


ダグラスは指で、くいくいと「来い」を作った。野次と嘲笑が降る。


「あの野郎、ふざけてやがる!」


仲間が笑う。


だがセリスィンが胸に感じたのは、怒りより――安堵だった。


(助かった。これで“慣れる時間”が増える)


利き手じゃないぶん、剣筋が鈍る。わずかでも、その“わずか”が今のセリスィンには必要だった。


なりふりは構っていられない。勝てばいい。過程も、プライドも、今はどうでもいい。


セリスィンは踏み込み、今度は自分から剣を当てにいった。


立場が逆転する。ダグラスが受けに回った。


「おいおい、大丈夫かよ!」


野次が飛ぶ。


セリスィンは構わず打ち込みを重ねる。ダグラスは後退しながら受ける――だが、その表情(兜の奥の気配)は余裕のままだった。


ニヤリ、と笑っている。


数合ののち、セリスィンは気づいた。


ダグラスは「受けてから返す」瞬間、剣を持つ側の脇腹が一瞬空く。そこだけは、確かに空く。


(……待て。焦るな)


完璧なタイミングを待つ。


その瞬間が来た。


ダグラスが大きく剣を振り上げる。脇腹が、空いた。


セリスィンは横薙ぎに刃を走らせた。


――もらった。


そう思った瞬間、ダグラスの口元が緩んだ。


ダグラスは、ゆっくり横へ滑るように身をずらし、剣で“いなす”。


(……まさか)


セリスィンが引こうとした刹那、ダグラスの剣が振り下ろされる。


――罠だったのか。


セリスィンは反射で剣を立て、目の前に壁を作った。


金属がぶつかる、嫌な音が響いた。

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