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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第7章 初めての戦場
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瞬断

ローヌ川の防壁は完成しても、戦いが終わることはなかった。

柵の向こうで起きていることが、こちらの寝床まで届く。噂ではなく、報告として。


「ヘルヴェティ族はセークァニー族の地を抜け、西へ向かっている」


伝令がそう言った瞬間、天幕の空気が少し重くなった。

次に出た地名が、その重さをはっきりさせた。


「サントネース族の領地へ入る動きです」


テオトニクスが小さく息を吐いた。


「……ほんまに西へ西へ、やな」


ラビエヌスは地図板の上で指を滑らせ、短く言う。


「サントネースの方向へ抜ければ、属州プロウィンキアの西端が揺れる」


カエサルは難しい顔をしないまま、問題の中心だけを口にした。


「トロサーテスだな」


属州に近い、トロサーテス族の領域。

そこが荒れれば、ローマの属州が“通り道”ではなく“戦場”になる。壁を作った意味が薄れる。


カエサルは指を鳴らした。


「よし。二手に分かれる」


軽い調子で言い切ったせいで、逆に皆が身構える。

“よし”の一言で、国の動きが変わるのを、セリスィンは何度も見てきた。


ラビエヌスが即座に確認する。


「こちらの防壁線はどうします」


「置く」とカエサル。「俺はここを捨てない。捨てたら全部がただの土だ」


それから、当たり前のことのように続けた。


「ラビエヌス。ここはお前に任せる」


ラビエヌスの表情は変わらない。だが天幕の空気がわずかに固まった。

“任せる”という言葉が、実質的に「お前がここで全責任を取れ」だからだ。


ラビエヌスは短く答えた。


「了解しました。守備隊を増やし、見張り台の交代を詰めます」


カエサルは満足げに頷き、次を言う。


「俺はイタリアに戻る。ガリア・キサルピナへ」


“北イタリア”のことだ。

軍団を集める、つまり――数を増やして戻ってくる。


テオトニクスが思わず口を挟む。


「閣下、イタリアまで戻るって……また戻るの?」


カエサルは肩をすくめた。


「おん、そうだけど?」


軽口の形なのに、中身は強行軍そのものだ。


ラビエヌスが補足する。


「第十一軍団、第十二軍団と合流する。新編成だ。時間はかけられない」


デキムスが吐き捨てる。


「時間をかければ、ヘルヴェティはもっと奥へ入る。奥へ入れば、追うのが面倒になる」


「ほら、デキムスも“面倒”って言うじゃないか」とカエサルが笑う。

デキムスは笑わない。


「俺は面倒が嫌いなんじゃねぇ。遅れるのが嫌いなんだ」


その言葉が、妙に兵っぽかった。


カエサルは地図板をトントンと叩く。


「だから“少数精鋭”で行く。速いやつ。動けるやつ。黙って足が出るやつ」


その瞬間、セリスィンの胃が沈んだ。

“選ぶ”という言葉が出る前から、もう選別が始まっている。


選抜は、あっさり決まった。


ラビエヌスの側が必要な人数を残し、カエサルは連れて行く人間の名を口にした。

荷の量、護衛、伝令、そして“戦える人間”。


「テオトニクス」


テオトニクスが「ほい」と返事をして、あとで自分でも驚いた顔をした。

闘技場の軽さとは違う、兵の返事だった。


「セリスィン」


呼ばれた瞬間、セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足裏が地面に落ちる。


「……はい」


「デキムス」


デキムスは一拍も置かずに答える。


「当然だ」


カエサルが笑った。


「当然だってさ。いいね。そういう顔がいると速くなる」


セリスィンは、自分が“精鋭”と呼ばれる側に入ったことが信じられなかった。

誇らしいより先に、怖い。責任の形が変わる怖さだ。


(俺は昨日、止まった)


(なのに、選ばれた)


選ばれた理由が「強いから」ではないのが分かる。

カエサルが見ているのは、剣の技術より――戻り方だ。止まった次に動けるか。


天幕の外へ出ると、ラビエヌスが無言でこちらを見た。

その目が、命令より重い。


「ここを任せた」と言われた側の目だ。

そして「戻ってこい」と言っている目でもある。


テオトニクスが小声で言った。


「……なんか、空気重いな」


デキムスが即座に返す。


「重くていい。軽いと死ぬ」


セリスィンはデキムスの横顔を見た。

この男は“止まらない”のではなく、“止まる暇がない”ように自分を運んでいる。そういう強さだ。


出発の準備は早かった。

カエサルは荷を減らし、馬を選び、伝令の数を決める。迷いがない。


最後にカエサルは、防壁の方角を一度だけ見て、ラビエヌスへ軽く手を上げた。


「じゃ、留守番頼む」


軽すぎる言葉。

なのにラビエヌスは、最敬礼に近い角度で頷いた。


「任務を遂行します」


カエサルはそれに満足して、こちらを向く。


「よし。戻るぞ」


テオトニクスが、息を吐いて笑った。


「北イタリアって、遠足の距離ちゃうで……」


デキムスが横から刺す。


「喋る余裕があるなら走れ」


セリスィンは吐いた。吸う前に吐く。

足が前へ出る。


ローヌの壁を背に、少数の隊はガリア・キサルピナへ向かった。

第十一、第十二軍団を連れて戻るために。

そして――本当の戦場に間に合わせるために。



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