誓い
その日もセリスィンはいつも通り起床し、食堂で朝食を取っていた。
もうすぐ食べ終わる、というところで――がしゃり、と大きな音が響いた。
「おい、悪いねえ」
見れば、ダグラスの一団が一人の男を囲んでいる。
「……確か、あれは」
床に散った器をせかせかと拾い集めているのは、ケプトという若い剣闘士だった。気の弱い性格で、声を荒げるところを見たことがない。
状況は分かりやすい。ぶつかったのは偶然ではない。ダグラスらがわざとぶつかって、食事の邪魔をしたのだろう。
連中はニヤニヤしながら、屈み込むケプトを見下ろし、
「おっと」
と、床を転がる器を蹴った。わざとだ。追い打ちだ。
周りの剣闘士たちは黙っている。見ないふりを決め込む者、面白がっている者、視線だけで済ませる者。セリスィンも同じように、黙って見ていた。
セリスィンは正義感で動く人間ではない。以前、少年の家へ飛び込んだのだって、ただ過去の自分が重なったからだ。
(標的が俺じゃなくなった……)
胸の奥で、情けない安堵が湧くのを感じた。面倒ごとから少しでも遠ざかりたい。それが本音だった。
セリスィンは視線を逸らし、食堂を出た。
*
日中の鍛錬を終え、寮へ戻る道すがら。
セリスィンは川沿いの草むらで、妙な動きを見つけた。近づくと――ケプトが、今にも川へ飛び込もうとしていた。
「おい!」
考えるより先に身体が動き、セリスィンは背中を掴んで引き止めた。
「何してんだ」
ケプトは腕を振りほどこうと暴れる。
「離してくれ……!」
「落ち着け」
セリスィンは力で押さえ、呼吸を合わせるように声を落とした。しばらくしてケプトの抵抗が弱まる。
ケプトは唇を噛み、絞り出すように言った。
「……もう、いじめられるのは嫌だ。毎日、毎日……」
自殺するつもりだったのだ、と続けようとして言葉が詰まる。
「だからって死ぬことはないだろ」
そう言った自分の声が、思ったより硬かった。説得というより、拒絶に近い。
ケプトは憔悴しきっていた。目が焦点を結ばず、肩が小刻みに震えている。
セリスィンは舌打ちしそうになるのを堪えた。
(俺は面倒が嫌いだ。正義感なんてない。……でも)
目の前の人間を見捨てるほど、腐っちゃいない。
「わかった。俺に任せろ」
セリスィンはそう言い切った。
*
その晩。
ダグラスたちが食堂で騒いでいるところへ、セリスィンはまっすぐ歩いていった。
「おい。ちょっといいか」
空気が一瞬で変わる。笑い声が止み、視線が集まる。
「なんだ?」
ダグラスがニヤついた。
「次の模擬戦で――俺がお前に勝ったら」
セリスィンは静かに言った。
「ケプトへのちょっかいをやめろ」
ダグラスは椅子から立ち上がり、わざとらしく首を傾げる。
「なんでてめえがケプトと関係してんだ?」
それから仲間へ目を配り、
「それに、いじめた覚えはねえが。なあ?」
どっと笑いが起きる。「そうだそうだ」と口々に囃す声。
「ケプトは今日、死のうとした」
セリスィンがそう言うと、今度は本当に一度、場が静まった。
ダグラスも一瞬だけ表情を固める。だがすぐに、吐き捨てる。
「それがどうした」
セリスィンは一歩だけ踏み込んだ。
「……そこまでやる必要はないだろ」
ダグラスは鼻で笑い、肩を回す。
「ああ、いいぜ。条件を呑んでやる」
そして、わざと大きな声で言った。
「次の模擬戦で、お前が勝ったら――金輪際、ケプトには手を出さねえ」
仲間が「おお」と囃す。
「だがな」
ダグラスがセリスィンを指さす。
「俺が勝ったら、お前は何を差し出す?」
「俺が負けたら」
セリスィンは迷いを隠して言った。
「お前らの言うことを、金輪際――何でも聞く」
ダグラスの口元が歪む。
「言ったな?」
「ああ」
「決まりだ。次の模擬戦で、お前を潰してやる」
二人は視線を切らないまま、その場を離れた。




