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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第6章 少年の旅立ち
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裏門へ走れ

煙が目に刺さる。油の匂いが喉に絡む。

正門の方角では怒号と咳が混じり、松明が倒れて火が跳ねた。――ダグラスの一派が作った、わざとらしい混乱だ。


「こっち! 走れ!」


取り巻きの一人がセリスィンの腕を掴み、廊下へ引きずる。

テオトニクスも続いた。ふらつきはあるが、遅れない。遅れればそこで終わると分かっている目だった。


曲がり角ごとに、別の男が待っている。

「次、右だ」「ここは通るな」と短い指示だけが飛ぶ。まるで普段から抜け道の稽古でもしていたみたいに迷いがない。


「……お前ら、いつの間に」


セリスィンが息の合間に絞り出すと、取り巻きは口だけ歪めた。


「自慢じゃねえが、このルドゥスの“裏”は俺らの飯だ。裏が分からん剣闘士は、いつか死ぬ」


廊下の先、木戸の隙間から外光が差していた。獣舎の搬入口だ。

臭気が強い。藁と糞と汗。鎖の金具の匂い。剣闘士が“商品”だと否応なく思い知らされる場所。


木戸の前で、案内役が足を止めた。


「……静かに」


耳を澄ますと、外から足音が聞こえる。

世話役の走り方じゃない。もっと静かで、間が揃っている。狩りの足音だ。


テオトニクスが眉を寄せ、声を落とす。


「……あの影、もう回り込んできとる」


案内役が歯噛みした。


「正門で揉めてる間に、裏へ来やがった。早い。――こいつら、ただの賭け屋じゃねえ」


木戸の隙間から覗く。

路地の影に二人、いや三人。荷を持つふりは捨てている。短剣の柄が見える。顔は見えないが、立ち方が“兵”に近い。


セリスィンの背中が冷えた。


(殺しに来てる)


引き渡しが成立しようがしまいが関係ない。

このまま揉めて時間が伸びれば伸びるほど、狩りは近づく。


そのとき、背後からドスの利いた声が飛んだ。


「おい」


振り向くと、ダグラスが立っていた。息は上がっていない。むしろ楽しそうにすら見えるのが腹立たしい。


「出番だ。お前らは“ここ”から先に行け。俺らがあいつらを噛ませる」


セリスィンが口を開く前に、ダグラスは先回りして吐き捨てた。


「勘違いすんな。義理じゃねえ。面子だ。

このルドゥスの稼ぎ頭が、檻の中で“消されました”じゃ、誰の顔が潰れると思ってんだ」


取り巻きが短く笑う。

悪態の形でしか言えない連中の、覚悟の笑いだ。


木戸の鍵が外された。

軋む音が嫌に大きい。外の影がわずかに動くのが見えた。


ダグラスが顎で命じる。


「行け」


セリスィンは一瞬だけ迷った。

ここで立ち止まるのは簡単だ。助太刀もできる。だが――それをした瞬間、逃げ道が潰れる。


テオトニクスがセリスィンの袖を掴み、低く言った。


「今は、行くんや。……借りは返せる」


ダグラスが、わざと軽い調子で追い打ちした。


「そうそう。返せ。あとでな」


セリスィンは歯を食いしばり、木戸を抜けた。

冷たい外気が肺に刺さる。路地は狭く、壁が高い。逃げ道は一本に見える。


その背後で、ダグラスの声が響いた。


「おい、犬ども。ここは通行止めだ」


影が応じる。金属が鳴る。短剣が抜かれる音。


「どけ。二人を渡せ」


「渡す? 誰に? ここは俺の通り道だ。勝手に歩かせるかよ」


次の瞬間、乱戦の音が始まった。

殴打、壁に叩きつける鈍い音、鎖が鳴る音。刃の“走る”音が混じり、それを“潰す”音が追いかける。


セリスィンは走りながら、背中越しにそれを聞いた。

胸の奥が熱くなるのに、足は止めなかった。


(生きろ――“ここで”じゃない)


カタルスの声が脳裏に落ちる。シリアスの声も続く。

生きろ。勝てとは言わん。死ぬな。


路地を二つ曲がったところで、案内役が最後の指示を吐いた。


「この先、獣舎の裏を抜けて、井戸の横の低い塀を越えろ。裏門へ出る。

……そこに、待ってる奴がいる」


「誰だ」


案内役は答えなかった。答える余裕がない。

後ろから追い足が来る。ダグラス一派が噛みついているはずなのに、それでも“狩り”は一匹ではない。


塀を越えた瞬間、背後の路地に影が一つ現れた。

短剣の刃が月明かりを拾う。


「止まれ」


セリスィンが振り向くより早く、テオトニクスが前に出た。

足元はまだ万全じゃない。それでも、出た。


「悪いな。急いどる」


軽口の形のまま、テオトニクスは短剣の手を“崩す”ように踏み込んだ。

闘技場の剣じゃない。街の喧嘩より早い。短く、確実に距離を殺す動き。


短剣が振られる前に、手首が止まる。

肩がぶつかり、相手が壁へ背を打った。息が漏れる。


セリスィンは一撃だけ添えた。

殴るのではない。倒すための押し。相手の足を奪い、砂利の上へ転がす。


殺さない。止めるだけ。

それがいま必要な“勝ち方”だった。


二人が走り出すと、すぐ先の影から声がした。


「……遅い」


聞き覚えのある、冷たい声。


カタルスが、井戸の陰から現れた。

その横に、シリアス。腕を組み、苦笑している。


「若いのは走り方が派手だ。追手に分かりやすい」


セリスィンは息を整える暇もなく、二人を見た。


「なぜ……ここに」


カタルスは答えず、短く言った。


「裏門はもうすぐだ。――最後の砦が待っている」


シリアスが頷く。


「ここから先は、体裁の話になる」


体裁。

その言葉が、今夜のすべてを支配している。


路地の向こうから、また足音が増えた。

狩りは終わっていない。


カタルスが一歩前へ出る。


「行くぞ」


セリスィンは頷いた。

拳を握り、ほどき、また握る。


次の角を曲がれば、裏門。

そこに立つのが誰か――もう想像はついていた。

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