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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第1章 無名の孤児
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しきたり

その後セリスィンはジムージーとケニスに別れを告げ、プナガンダに連れられて応接間を出た。


「じゃあ次に会うのは試合の後だな。……もっとも、それまでお前が生きていればの話だが」


ジムージーが、最後に縁起でもないことを言う。


剣闘士という仕事柄の冗談か、それとも別の含みがあるのか。ここでの別れが今生の別れになることもある――そう言いたいのだろう。いずれにせよ、セリスィンは「それでも構わない」と思ってしまう自分に気づいた。


「さて」


廊下へ出たところで、プナガンダが改まって言った。


「ここから先は、舎監しゃかんである私の仕事でございます。以後、お見知りおきを」


深々と頭を下げる。


「それにしても……すごいですよ。あのケニス様から一本取りかけるなんて」


「結局、駄目だったけどな」


セリスィンはぶっきらぼうに返す。


「いえいえ。それでも、十分すごいです」


プナガンダは譲らなかった。


「まずは施設の構造と、剣闘士の一日について押さえましょう」


そう言って、広い建物の中を案内し始める。


「ここが先ほどの広間。こちらが食堂。風呂場と洗濯場、そして医務室がございます」


大人数が寝起きする共同の建物に入るのは初めてで、セリスィンは妙に落ち着かなかった。屋根の下に“居場所”がある感覚が、まだ身体に馴染まない。


「二階と三階は部屋です。基本は二人一部屋。全部で二十四部屋ございます」


(単純に数えれば四十八人。……入れ替わりがあるにせよ、ずいぶんな数だ)


「では、お部屋へ」


プナガンダとともに二階へ上がり、廊下の奥の一室へ通される。


「こちらがセリスィン殿のお部屋になります」


狭い。だが、ベッドが二つある。長いあいだ外で寝てきたセリスィンには、それだけで豪華に見えた。


「相部屋の方がおります。名はカタルス。数年ここでやっている剣闘士です。物静かで、あまり喋りませんが……何か知りたいことがあれば聞けるでしょう」


プナガンダは説明を続ける。


「今は皆、訓練に出払っております。……ところで、セリスィン殿」


そこでプナガンダが振り返り、声を落とした。


「このような場所では、あらぬ噂も立ちます」


「あらぬ噂?」


「はい。剣闘士同士の諍い、いじめ――そういったことです。新人が標的にされることもございます」


セリスィンは眉を動かした。


「中には、それが苦で自殺した者もおります。あるいは、訓練の厳しさに耐えきれず……という者も」


いちばん聞きたくない話だ、とセリスィンは思った。


「私も常に目を行き届かせられるわけではありません。どうしても、手の届かぬところが出ます。くれぐれもお気をつけください」


そして言い添える。


「……もっとも、セリスィン殿の腕前なら、心配は薄い気もいたしますが」


「なるほど」


セリスィンは頷いた。


強い男が密集する場所だ。序列ができ、張り合いが生まれるのは自然だろう。路上でも同じだった。ただ――ここは、その“強さ”の密度が違う。


「説明は以上です。明日の訓練前に皆の前で紹介します。それまでは施設内を自由にして結構。眠りたければ休んでください」


特にやることもない。セリスィンは久々の柔らかいベッドに身を沈め、目を閉じた。


*


どれほど眠ったのか。


気づけば夕暮れだった。セリスィンは目をこすり、顔を洗おうと部屋を出て階段を下りる。


ちょうどそのとき、訓練から戻ってきた剣闘士たちが玄関になだれ込んできた。


(……今は避けるべきか)


一瞬迷う。だが、初日から尻尾を巻けば、余計に舐められる。セリスィンはその場に留まった。


近くで見ると、全員が大きい。十五歳の自分とは違う、“出来上がった体”だ。日々の積み重ねが、肩や胸に刻まれている。


「あー疲れた疲れた。今日もありえねえくらいキツかった」


一人が愚痴をこぼす。


「まじでな、グラシアム。いつかぶっ飛ばしてやる」


別の男が言った、その視線がセリスィンに引っかかった。


「……おい」


戻ってきた男たちの目が、一斉にセリスィンへ向く。


「新入りか?」


「ああ」


「そうかよ。今度の新入りはずいぶん“お子ちゃま”だな」


どっと笑いが起きる。


「ママが怖いよーって泣き叫ぶなよ」


下卑た嘲笑が廊下に反響する。セリスィンは胃の奥が嫌な感じに冷えた。


立ち去ろうとすると、「こっち来いよ」と呼ばれた。


セリスィンは近づく。


次の瞬間、男の一人が腕を上げた。殴る気だと察して、セリスィンは反射で身を引く。


「おいおい、腰が逃げてるぜ」


また笑いが起きる。


(プナガンダの言った通りか……いや、それ以上だな)


ため息を噛み殺した、そのとき。


「どうした?」


別の一団が帰ってくる。先頭にいた男が、場の空気をひと目で掴んだ。


「おう、シリアス。新入りだぜ」


最初の男が言う。


「新入り?」


シリアスと呼ばれた男が近づき、セリスィンを一度見た。それから、取り巻きへ低い声で言う。


「おい。まさか、またやってないだろうな」


「なーに、軽い挨拶だよ」


肩をすくめる。周りもくすくす笑う。


「すまんな。こいつらは分を知らん」


シリアスはそう言って、セリスィンへ手を差し出した。


セリスィンは警戒しつつも握手に応じる。


「何かあれば遠慮なく言え」


シリアスは背後へ目を投げ、「行くぞ」と仲間に告げた。からかっていた連中も含め、一団は水浴び場へ消えていく。


「へいへい」


去り際に、男たちがニヤニヤしながらセリスィンを見る。


嵐が過ぎた後のようだった。


セリスィンは顔を洗いに来たことを思い出す。だが、今から水浴び場に入る気にはなれず、大人しく部屋へ戻った。


*


翌日。


プナガンダの言ったとおり、訓練の前にセリスィンは皆の前で紹介された。すぐに日中の鍛錬へ加わることになる。


相部屋のカタルスにも会った。だが、噂どおり寡黙で、挨拶を交わしただけで会話は終わった。


訓練場へ向かう道すがら、話しかけてくる者もいれば、顔を見て笑うだけの者もいる。砂地に出て準備をしていると、「おっと、悪い」とわざと肩をぶつけてくる者までいた。


新参者が狙われるのは分かっていた。だが、ここまで露骨だとは思わなかった。


――それでも、セリスィンは折れなかった。路上の五年で、心の骨は鍛えられている。


砂地に整列する剣闘士たち。その前に、教官が一人立った。


「今日も一日の訓練を始める」


男が言う。


「その前に。今日は新入りが一人いるな。前に出ろ」


視線が集中する。自分だ。


セリスィンは列から出て、教官の前に立った。


教官は無言で拳を突き出す。セリスィンは動かない。目線を外さない。


「……覚悟はできてるようだな」


教官は拳を引き、名乗った。


「グラシアムだ。ここでは俺が教える」


(昨日、あいつらが愚痴ってた教官か)


厳格そうな空気をまとった男だった。仕事柄なのか、表情が硬い。


「まずは準備運動。周回だ」


合図で全員が走り出す。セリスィンも遅れて加わる。


すぐに集団に追いつく。だが、数人が合図し、露骨に進路を塞いできた。肘で押され、足を引っかけられそうになる。


グラシアムは見ていないのか。見ていて黙っているのか。何も言わない。


セリスィンは最後尾で周回を終えた。


「遅い。追加でもう一周」


罰だ。セリスィンは無言で走った。


*


午後、組み合わせ稽古。


「おい。俺と勝負しねえか」


声をかけてきたのは、昨日絡んできた連中のリーダー格――ダグラスだった。


わざとだ。自分を貶めるつもりが見え透いている。


「ああ。いいぜ」


セリスィンは受けた。


練習とはいえ、初めての一対一――そのはずだった。


木剣がぶつかり合ううちに、セリスィンは違和感に気づく。周囲の組み手が、じわじわと近づいてくる。距離が詰まり、流れ弾のように攻撃が飛んでくる。


ついに、誰かの打ち込みがセリスィンへ直撃した。


セリスィンは反射で振り向き、その相手へ一撃を返した。


「いてえ!」


男が大げさに呻いたところで、グラシアムが近づいてきた。


「何があった」


「セリスィンに殴られました。俺、相手じゃないのに」


「俺も見ていた」


――来た、とセリスィンは思う。悪者に仕立てる気だ。


だが、グラシアムは即断しなかった。


「お前たちの言い分だけでは断定できん。証拠がない」


厳格に言い放ち、周囲に命じる。


「距離を取れ。相手も交代だ」


連中は不服そうに顔を歪めた。だが、手出しは止んだ。グラシアムが“公平な教官”であることが、ここでは効くらしい。


セリスィンは何も言わず、呼吸を整えた。


*


何日か過ぎると、この寮が大きく二つに割れているのが見えてきた。


ひとつは、シリアスを中心とする穏健な連中。


もうひとつは、ダグラスを中心とする過激な連中。


なぜそう分かれたのか、理由はまだ分からない。だがセリスィンは消去法で、シリアス側と口を利くようになった。


セリスィンが一筋縄ではいかないと悟ると、露骨ないじめは徐々に鳴りを潜めていった。


――しかし。


セリスィンが寮に入って一か月が過ぎたころ、ある事件が起きた。

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