溜めの一閃
セリスィンの低い構えは、祈りにも見えた。
剣先を誇示せず、刃を“寝かせて”溜める。腰は落ち、踵は砂を噛み、視線は相手の胸元――肩と腰が動く、その始まりだけを拾う位置。
息は浅くしない。短く、静かに回す。
肺の熱が、ようやく一段落ちた。
テオトニクスは一歩、入ってくる手前で止まった。
止まっても余裕は消えていない。消えていないのに、いつもより慎重だ。さっき“荒い振り”で手順を崩されたのを、まだ覚えている。
「……分からん形は、嫌やなぁ」
軽口の形で言って、テオトニクスは剣先をわずかに揺らした。
揺らすのは刃ではない。相手の目線だ。目線が揺れれば、足が揺れる。足が揺れれば、構えは崩れる。
セリスィンは揺れなかった。
観客がざわつく。
動きが止まると、砂は静まり、その静けさに人の心臓の音まで混じる。
テオトニクスが半歩、外へ角度を変えた。
入るのか、入らないのか。その曖昧さで相手の筋を張らせ、先に疲れさせる――いつもの勝ち方だ。
(来い)
セリスィンは心の中でだけ言った。
来ないなら、いつまでも溜めることになる。溜めるのは力だ。力は残っていない。
テオトニクスが、突然砂を強く踏んだ。
一気に距離を詰める“来る”の合図――に見せかけて、そこで止まる。相手の反射を釣るための踏み込み。
だがセリスィンは反射で動かない。
動かない代わりに、呼吸だけを一つ、深くした。
テオトニクスの目が細くなる。
「……ほんまに動かへんのか」
次は、踏み込みが“本物”になった。
砂が鳴る音が違う。重心が乗る。肩が沈む。腰が入る。
セリスィンは、その“腰が入る瞬間”だけを待っていた。
肩でも剣でもない。腰だ。腰が入った瞬間、人は方向を変えにくい。
テオトニクスの刃が走る――その直前。
セリスィンの体が弾けた。
溜めていた刃が、下から上へ跳ね上がる。
抜き打ちのような一閃。腕ではない。腰の回転で刃を送り、最後に手首で刃筋を立てる。刃先は大きく見せず、最短で“そこ”へ行く。
金属音が一つ、鋭く鳴った。
テオトニクスの剣が弾かれ、同時に肩口の防具が跳ねる。
踏み込んでいた分だけ、テオトニクスの体が流れた。流れて、足が追いつかない。
「……っ!」
声が漏れ、テオトニクスの身体が横へ飛ぶ。
派手に吹き飛んだわけじゃない。だが、闘技場の真ん中で“勢いの男”が崩れた、その事実が大きかった。
背中が砂を擦り、鈍い音がした。
一拍。
客席が、嘘みたいに静まった。
次の瞬間、静けさは破裂した。
「当てた!」
「今の見たか!」
「セリスィンだ!」
「テオが倒れたぞ!」
歓声が石段を跳ね、天蓋の影まで揺らした。
審判役が慌てて前へ出かけ、管理者たちが顔を見合わせる。さっきまで“見世物”の温度だったものが、一気に本番の刃へ近づいたのを感じ取った顔だ。
セリスィンは息を吐いた。
吐いた瞬間、肺が焼ける。腕が痺れている。足が震えそうになる。
(決まったか?)
剣先を下げず、油断しない。
ここで止めの合図が入るなら、それでいい。勝ちは勝ちだ。
だが――合図は落ちなかった。
テオトニクスが、砂に手をついた。
ゆっくりと上体を起こす。肩口に当たった場所を一度だけ確かめ、口元の血を親指で拭った。浅い。けれど確かに当たっている。
そして、笑った。
怒っていない。怯えていない。
むしろ、目が明るい。さっきまでの余裕とは違う、燃え方をしている。
「……おもろいわ」
テオトニクスは砂を払いながら立ち上がり、剣を握り直した。
その足取りが、さっきより軽い。
セリスィンの背中を、観客の声が押す。
審判役が割って入るか迷っている気配がする。管理者が止める合図を探している気配もある。
だが、二人はもう――止まる気配がなかった。
テオトニクスが一歩、入る。
今度は確認じゃない。奪い返すための一歩だ。
セリスィンは剣を上げ、息を吸った。
足裏が砂を噛む。
(来い)
次の連撃は、さっきまでより苛烈になる。




