鈍る刃、削れる肺
守りを捨てて、振った。
セリスィンの剣は、狙いを失ったようでいて、狙いを一つに絞っていた。
当てることではない。勝つことでもない。――テオトニクスの速度を“崩す”こと。
一閃、二閃、三閃。
刃が風を切るたび、観客の声が波打つ。分かりやすい。荒い。危ない。だから、熱が上がる。
テオトニクスは最初、半歩引いた。
いつものように外へ外し、手首を叩いて終わらせる――その型へ入ろうとした。
だが、入れない。
荒い剣筋は、読むための合図が少ない。
「ここを打つ」という“丁寧な意思”がないぶん、逆にタイミングが掴みにくい。掴めないから、踏み込む瞬間を選べない。
「……やるやん」
テオトニクスの声が、ほんの少しだけ低くなった。
軽口の形は保っているのに、空気の温度が変わる。観客には気づかれない程度の変化。けれど、セリスィンには分かった。
(鈍った)
鈍ったのは剣ではない。
“入る手順”が一拍遅れた。
セリスィンはその一拍を追いかけた。
押し切るのではなく、振り続ける。間合いを詰めるのではなく、相手に“位置を決めさせない”。
テオトニクスの刃が何度か返ってくる。
だが連撃にならない。一本一本の返しが、確認に変わっている。
「よし、そのまま……」
セリスィンは振り、振り、振りながら、気づいていた。
腕が重い。
肺が熱い。
足裏が砂を掴む感覚が、少しずつ薄くなる。
(削れてる)
勝ち筋を作るために、体力を燃やしている。
このやり方は長く持たない。持たないのに、止めればまた押し込まれる。
だから、止められない。
セリスィンの刃が、偶然に近い角度でテオトニクスの肩口へ触れた。防具が鳴り、火花が散る。浅い。だが、当たった。
観客が吠えた。
「当てたぞ!」
「いける!」
「もう一発だ!」
その声に煽られたのは観客だけじゃない。
闘技場の縁、管理者たちの顔が変わった。“見世物の域”を越えそうな匂いを嗅いだ顔だ。
審判役も杖を握り直し、いつでも割って入れる位置へ半歩寄る。
止めるべきか、まだ見せるべきか――その境目に立っている。
一方でテオトニクスは、慌てない。
慌てないが、受け方が変わった。
外すだけではなく、受けて“切り返す”準備をする。
刃と刃が触れる回数が増える。金属音が増え、危険が増える。
「……それ、長う続かんで」
テオトニクスが言った。
忠告の形をしているが、中身は冷たい計算だ。
“お前が先に尽きる”。そう言っている。
セリスィンは答えなかった。答える息が惜しい。
代わりにまた振った。
その瞬間、テオトニクスが初めて“踏み込んだ”。
ただ速い踏み込みじゃない。
セリスィンの剣が戻る一拍――腕が重くなって戻りが遅れるその一拍へ、刃を差し込む踏み込み。
セリスィンの前腕に衝撃が走る。
刃が滑り、防具が鳴る。深くはない。だが、腕が痺れる。
(来た……!)
来たのは連撃の入口だ。
このまま一度でも流れを掴まれたら、また防戦一方に戻る。
セリスィンは無理に剣を引き戻し、さらに振る。
振ることで“間”を埋める。振ることで“入る場所”を消す。
だが、体が追いつかない。
足が半拍遅れた。
踵が砂に取られ、腰が浮く。
テオトニクスの刃が、今度は確信を持って走った。
肩、手首、膝――浅く、確実に、削る。削りながら、相手の呼吸を増やす。
セリスィンの胸が上下する。
息が乱れ、視界の端が白くなる。
(まずい。…このままじゃ本当に尽きる)
“鈍らせた”成果はあった。
だが勝ちになっていない。勝ちに変える手がない。
セリスィンは数歩、下がった。
観客が騒ぐ。「逃げた!」という声が混ざる。だが今は構わない。
距離を切る。
一瞬でいい。息を一つ、深くする。
テオトニクスは追ってこない。
追わないことで、セリスィンの焦りだけを増やす。あの男はそれも武器にする。
「さっきのは面白かったで」
テオトニクスが言う。からかいではない。評価だ。
そして続けて、刃先をわずかに揺らした。
「……でも、もう一回やるには、足が死にかけやな」
その言葉が図星で、セリスィンの内側が冷えた。
足が死ねば、剣は飾りになる。
セリスィンは剣先を下げた。
下げたまま、腰を落とした。
膝を曲げ、重心を低く沈める。
刃を前に突き出さず、“溜める”。
呼吸は浅くせず、短く整える。視線は相手の胸元――肩と腰の始動を拾う位置。
さっきの低い構えより、さらに低い。
逃げではない。一撃で流れを変えるための形。
観客のざわめきが、また薄くなる。
分からないものが出ると、人は黙る。
テオトニクスが、ゆっくりと首を傾げた。
「……まだ、何か持ってる顔やな」
セリスィンは答えない。
体力はもう多くない。だからこそ――次は無駄にしない。
(ここで、取る)
テオトニクスが一歩、入ってくる。
砂が鳴った。




