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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第4章 穿つ剣戟
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影を踏むな

「セリスィン。相手、テオトニクス」


名が落ちた瞬間、砂地の空気が変わった。

ざわめきは期待の色を帯び、外のルドゥスの連中は肩を寄せる。こちらの剣闘士たちは無言で円を作る。


セリスィンは一歩前へ出た。

掌の中でルーディスの柄が微かに鳴る。握りが強すぎる。


向かいから歩いてきたテオトニクスは、軽い顔のままだった。軽いのに、目だけは笑っていない。砂の粒の動きまで読んでいるような目。


「よろしくな」


短く言って、彼は礼をした。馴れ馴れしくもなく、壁も作らない。距離の取り方が上手い。


セリスィンは返事の代わりに構えた。


審判役が両者の間に立ち、杖を砂へ落とす。


「――始め!」


一合目。セリスィンが踏む。

その瞬間、テオトニクスは“消えた”ように見えた。


消えたのではない。半歩、外へ逃がしただけだ。

けれど、その半歩が――セリスィンの刃先を空にする。


(外だ)


昨日から頭に貼りついた答えに、身体が飛びつく。

セリスィンはすぐに追う。追うと、足が前へ出る。前へ出たところへ、テオトニクスの打ち込みが来る。


浅い。けれど、正確。

面の縁、腕の外側、膝の上――当てれば痛い場所だけを選んで叩く。


「焦らんでええ。踏み込み、ええの持ってる」


テオトニクスは喋りながら退く。退きながら当てる。

息が乱れない。声が乱れない。


セリスィンは歯を噛み、もう一段踏んだ。

押し切る。押し切って、相手を止める。


――止まらない。


テオトニクスは受けずに流し、盾の縁でセリスィンの剣筋を“撫でて”外した。剣がずれる。ずれた剣を追って、セリスィンの肩が開く。


その瞬間に、肋へ軽い打ち込み。


セリスィンの息が一瞬詰まった。


(ずれる)


今のは技の差ではない。

自分の中の命令が二つに割れているせいだ。


“押せ”という古い命令と、“外へ回れ”という新しい命令。

その両方を同時にやろうとして、どちらも中途半端になる。


テオトニクスは、それを見抜いている。


「今の、無理してるやろ。無理したら癖が出る。癖出たら――読める」


言い終える前に、また半歩。

セリスィンの刃先がまた空を切る。


周囲がどよめく。「圧されてる」「追わされてる」

そんな声が混ざる。


セリスィンは一度、わざと踏み込みを止めた。

追うのをやめる。足を止める。


テオトニクスが少しだけ眉を上げた。止まったのが見えたのだ。


(……いま)


セリスィンは次の瞬間、直線で突っ込んだ。

外へ回るのを捨てる。相手の“外”ではなく、相手の“芯”を踏みにいく。


テオトニクスの表情が初めて動いた。驚きではない。警戒だ。


だが――やはり、速い。


テオトニクスは下がらず、角度だけ変えた。

セリスィンの踏み込みの力を受け流し、すれ違いざまに手首を叩く。


ルーディスが落ちかける。

セリスィンは落とさない。握り潰すみたいに耐え、肩をぶつけて距離を殺した。


剣が振れない距離。

ここなら、勝負は力になる。


テオトニクスの息が一瞬だけ変わった。

軽い呼吸が、ほんの少し深くなる。初めて“圧”を感じたのだ。


セリスィンはそのまま、足をかけにいった。

昨日の“外”ではない。自分の土俵の崩し。


――しかし、テオトニクスはそれすら読んでいた。


掛けられる前に、相手の重心が抜ける。

抜けた重心で、反対にセリスィンの膝を軽く叩く。力ではない。合図みたいな一打。


セリスィンの足が、わずかに浮いた。


その一瞬で、テオトニクスは距離を取り直し、刃先をセリスィンの喉元に“置いた”。


動けば、当たる。

動かなければ、終わる。


セリスィンは動かなかった。


「――そこまで!」


審判役の杖が鳴る。

砂地が一度、静まり、それから小さな歓声と笑いが起きた。見応えがあったという反応だ。圧勝を見たときの熱とは違う。技を見たときの熱。


テオトニクスはすぐに刃を引き、距離を空けた。

そして、セリスィンへ軽く頭を下げる。


「強い。入ってこられたとき、肝冷えたわ」


勝者の余裕で言っていない。

本当に、少しだけ肝が冷えた者の口ぶりだった。


セリスィンは喉元に残った感触を、黙って飲み込んだ。

悔しい。けれど、さっき一瞬だけ――相手の呼吸を変えた。


テオトニクスは周囲にも聞こえる声で、余計に場を荒らさないように言う。


「今のは俺が勝った、でええ。けどな、次は分からん。踏み込み、あれは武器や。捨てたらあかん」


セリスィンは視線を上げた。


「……捨ててない」


「せやな。せやけど、途中で“借り物の足”になってた。あれ、危ないで」


テオトニクスは言い切ると、すっと後ろへ下がった。

助言は置くが、踏み込んでこない。押しつけない。――距離の取り方が徹底している。


外の教官が短く笑い、グラシアムは何も言わずに次の組を指示した。


だがセリスィンには、もう他の打ち合いの音が遠かった。

喉元の感触と、相手の呼吸が変わった一瞬だけが、頭の中で反復される。


(影を踏んだ)


(踏んで、負けた)


それでも――ただ負けただけではない。

自分がどこでずれて、どこで戻れたのか。輪郭が見えた。


セリスィンが砂を払って控えへ戻ろうとしたとき、背後からカタルスの声が落ちた。


「今ので分かっただろ」


セリスィンは振り返らない。


「何かを得るには、何かを捨てるしかない。……お前が捨てるべきは“真似したい欲”だ」


その言葉が、頬の浅い傷より痛かった。


門の向こうでは、外のルドゥスの連中がテオトニクスを囲み、次の手合わせの話で盛り上がっている。

テオトニクスは笑いながらも、何度かこちらの砂地へ目をやっていた。誰かを探しているというより、相手の列を“記憶している”目だった。


セリスィンは拳を握り、ほどいた。


(次がある)


合同訓練は、まだ二日残っている。

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