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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第3章 女騎士”ジョルテ”
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倒木の牙

足音が、近い。


湿った土を踏む音。枝を払う音。低い息遣い。霧の薄い林の中で、追う側は声を抑えている――慣れている。


倒木の影で、ジョルテが膝を折ったまま息を整えている。外套の下で小刀を握る指が白い。


セリスィンは土の感触を確かめた。根がえぐれた窪みは深い。片足を落とせば立て直すのが難しい。ここなら数で押されても“並ばせない”戦いができる。


(薄くする)


それだけを考える。


セリスィンは倒木の反対側へ回り、わざと草を踏んだ。小さく、しかし確実に音を立てる。


すぐに声が飛んだ。


「いたぞ!」


男が二人、霧の中から現れる。棒を持ったのが先、短い刃が後ろ。距離の詰め方がいやらしい。前で受けて、後ろで刺す。


セリスィンは走らない。逃げない。逆に、半歩だけ前へ出た。


「こっちだ」


自分の声が驚くほど冷たい。


「小僧か。さっきの橋の――!」


棒の男が踏み込んでくる。上から叩き潰す軌道。


セリスィンは受けない。横へ滑り、男の手首を叩く代わりに――足元を蹴った。


根のえぐれた窪みに、男の踵が落ちる。


「ぐっ!」


体勢が崩れた瞬間、セリスィンは棒の柄を掴み、引いた。男の肩が前へ落ち、膝が土にめり込む。


すぐ後ろの短刃が動く。


狙いは首ではない。脇腹だ。刺しにくる。


セリスィンは身体を捻り、刃を外す。刃先が外套をかすめ、布が裂けた。風が冷たい。


「ちょこまかと!」


短刃が二度目を出す前に、セリスィンは倒木へ背を当てた。そこから一歩も下がらない。狭い場所へ誘う。


短刃が踏み込む。足がぬかるみに沈む。


セリスィンはその瞬間だけ、腕を伸ばした。


手首ではない。肘の内側。そこを叩く。


刃が落ちる。


金属音が土に吸われ、短刃の男が顔色を変える。


「……っ!」


セリスィンは落ちた刃を拾わない。拾えば隙ができる。代わりに、短刃の男の胸を肩で押し、倒木の根元へ叩きつけた。息が詰まる音。


棒の男が立ち上がろうとする。


セリスィンは棒を奪ったまま、柄尻で男の鎖骨を打った。骨が鳴るほどは打たない。だが腕が上がらない程度には入れる。


「ぐぁ……!」


二人が戦意を失った、その瞬間だった。


奥から、別の足音が増えた。三、四――。


(来るのが早い)


セリスィンは棒を捨て、倒木の影へ戻ろうとする。


「ジョルテ!」


合図を出した。


――だが、出てきたのは“逃げるためのジョルテ”ではなかった。


ジョルテが影から跳び出し、倒れている短刃の男の腕に小刀を突きつけたのだ。


「動けば切る」


声が低い。冷える声だ。


「……おい、何してる」


セリスィンが言うと、ジョルテは振り返らない。


「こいつらを放したら、また来る」


「来る。だから今逃げるんだ」


「逃げ続けて、何になる」


ジョルテの言葉が鋭い。


そのとき、霧の向こうから声がした。


「そこだ! 囲め!」


複数。さっきより近い。もう“探して”いない。位置が割れている。


セリスィンはジョルテの肩を掴み、強引に引いた。


「来い!」


「離せ!」


「死ぬぞ!」


ジョルテの足がもつれかける。踵の傷が限界だ。それでも彼女は歯を食いしばって踏ん張った。


その一瞬の遅れが、最悪を呼ぶ。


霧から飛び出した男が一人、ジョルテの背へ棒を振り下ろした。


セリスィンは反射で身体を入れた。


鈍い衝撃が肩甲骨に叩き込まれる。視界が白くなる。


「っ……!」


歯を食いしばり、セリスィンは男の膝へ蹴りを入れた。男が崩れる。だが次が来る。数が多い。


「ジョルテ、走れ!」


「貴様が――!」


「いいから!」


セリスィンはジョルテを押し出し、自分は追手の正面へ立った。時間を稼ぐために。


棒が二本、同時に来る。セリスィンは一歩下がってかわし、一本を掴んで引く。引いた腕の肘へ、もう一本が落ちる。痺れる。だが倒れない。


そのとき、追手の一人の腰に、見慣れたものがちらりと見えた。


革紐に下がる、小さな金具――剣闘士の寮で見たことのある留めフィブラと同じ意匠。


(……こいつら、ただの雇われじゃない)


剣闘士の周辺の人間だ。運営側か、仲介の筋か。


セリスィンは背中を反らして棒を避け、相手の肘を叩き、棒を落とさせた。だが数が減らない。包囲が固くなる。


「小僧、邪魔をするな」


男が低い声で言う。


「女だけ寄こせ。そうすりゃ――」


言い終わる前に、セリスィンは男の喉元へ頭突きを入れた。骨の音。男がむせる。


「寄こさない」


セリスィンは言った。


その瞬間、遠くで笛が鳴った。短く鋭い合図――橋の上で聞いた音と同じだ。


追手の動きが揃う。


そして、奥から別の影が現れた。軽い足取り。無駄がない。さっき橋の端にいた“戦える男”だ。


セリスィンの呼吸が一段重くなる。


(来たか)


男は笑いもしない。ただ、淡々と距離を詰めてくる。


「終わりだ」


男が言った。


セリスィンは肩の痛みを無視して構えた。素手しかない。だが、素手なら――。


そのとき。


林の奥で、ジョルテの声がした。


「セリスィン!」


振り向くと、ジョルテが遠くからこちらを呼んでいる。逃げたのではない。離れた場所で、追手の視線を引いている。


――馬鹿か。


だが同時に、道が開いた。


追手のうち二人がジョルテの方へ向きを変える。


セリスィンはその隙に、残っている男の足元へ飛び込んだ。膝を折り、脛を払う。倒れたところへ踵を落とす。動きを止めるだけ。殺さない。


「行くぞ!」


セリスィンは霧の中を走り、ジョルテの方へ向かった。


合流できるか。


できなければ――今度こそ、本当に終わる。



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