落ちる石、折れる列
「……ジョルテ。合図したら伏せろ」
「何をする気だ」
「橋ごと、壊す」
セリスィンが言い切った瞬間――橋の上の空気が凍った。
フードの男が眉をひそめる。
「何を――」
セリスィンは答えない。答えている暇がない。
欄干へ飛びつき、指先を石の継ぎ目にねじ込む。古い石橋だ。苔が薄く、目地の砂が痩せている箇所がある。さっきから頭の片隅で“弱い場所”を探していた。
(ここだ)
セリスィンは体重を預けるようにして、石を揺らした。
ぐらり、と嫌な感触。
だが一度では落ちない。セリスィンは腰を落とし、肩からもう一度押し込んだ。
石の内側で、何かが砕ける音がした。
「ふざけるな!」
橋の端にいた短刃の男が動く。ジョルテへ――いや、欄干にしがみつくセリスィンへ向かって踏み込んだ。
刃が光る。
「伏せろ!」
セリスィンが叫ぶ。
ジョルテが反射で身を沈めた。刃はジョルテの頭上を切り、空を裂く。
その瞬間――
セリスィンの腕の下で、欄干の石が抜けた。
石塊がずるりと滑り、橋の外へ落ちる。
ごうっ、と風を切る音。
次に、鈍い衝撃と水柱。
川へ落ちた石が水を叩き上げ、霧を一瞬押し散らした。
「うおっ!」
近くにいた男たちが反射で身を引く。橋の縁へ寄っていた者ほど足が止まる。人間は落ちるものを怖がる。反射だ。
フードの男が叫ぶ。
「離れるな! 囲め!」
だが命令が届くより先に、二つ目が落ちた。
セリスィンは抜けた箇所の隣――同じように目地が痩せた石に手をかけ、肩で押し込む。石がきしみ、ずれて、落ちる。
今度は橋の縁に立っていた棒の男の足元が崩れた。
「っ――!」
男は体勢を崩し、咄嗟に欄干へ手を伸ばす。だが欄干は“いま落ちた”場所だ。掴むものがない。
男の身体が宙に浮く。
次の瞬間、川へ落ちた。
水しぶき。叫び声。
観客はいない。拍手もない。あるのは生の恐怖だけだ。
ジョルテが顔を上げ、セリスィンを見た。
「……本気か」
「本気だ。行くぞ!」
セリスィンは欄干から離れ、ジョルテの手首を掴んで走った。
橋の上に残った追手たちは、一瞬だけ“足場”を疑う。落ちた仲間の悲鳴が耳に残る。古い石橋がぐらつく気がして、踏み込みが遅れる。
そこへジョルテが飛び込んだ。
伏せていた状態から、獣のように低く滑り、短刃の男の脇を抜く。男が刃を振るうが、ジョルテは外套の布で刃筋をずらし、身体を当てて押しのける。
「っ!」
短刃の男がよろめく。
その隙にセリスィンが肩でぶつかり、男を橋の内側へ転がした。落とすのではなく、通路を空けるための一撃。
フードの男が怒鳴る。
「殺すな! 捕らえろ!」
命令の端が、ひどく歪んで聞こえた。
(捕らえる? ――何のために)
答えを考える暇はない。セリスィンとジョルテは橋の端へ抜け、土の道へ飛び降りた。
背後でまた石が落ちる音がする。欄干の欠けた箇所が、追う者の足を鈍らせている。
「止まるな!」
セリスィンが叫ぶ。
ジョルテは踵を引きずりながらも走った。痛みを無視している。痛みより先に、失うものがある顔だ。
橋を抜けた先は低い林だった。朝霧が木々の間に残り、視界を白く曇らせる。だがそれは追手にも同じだ。
セリスィンは林へ入る直前、振り返った。
フードの男が、橋の上で立ち尽くしている。
追わせているのに、焦っていない目だ。
まるで――逃げ道が一つしかないと知っている者の目。
(まだ終わってない)
セリスィンはジョルテを引っ張り、林の奥へ走った。
背後で、笛の音がした。
短く、鋭い合図。
次の瞬間、林の右手側――別の道から足音が湧いた。
「こっちだ!」 「囲め!」
セリスィンの喉が鳴る。
(……前からも来る)
橋での混乱は、時間を稼いだだけだ。包囲そのものは崩れていない。むしろ、逃げ道を絞られた。
ジョルテが息を切らして言う。
「……もう、戦うしか」
「戦うにしても――場所を選ぶ」
セリスィンは林の先を見た。木々が途切れ、草地が開けている。その向こうに、細い道が一本。川沿いへ落ちる崖道。
(まずい。追い込まれる)
だが、左手には倒木がある。根がえぐれ、土が盛り上がった窪み。人が身を隠せる。足場も悪い。
「左だ」
セリスィンはジョルテを引き、倒木の影へ滑り込ませた。
「いいか。ここで一回だけ、追手を“薄く”する」
「どうやって」
「俺が先に出る。お前は、合図で背後を抜けろ」
ジョルテが睨む。
「貴様を餌にする気か」
「違う」
セリスィンは短く言った。
「俺は死なない。お前も死ぬな。――弟に会うんだろ」
ジョルテの瞳が揺れた。
その揺れは一瞬で消え、固くなる。
「……分かった」
足音が近い。枝が折れる音。息遣い。
セリスィンは拳を握った。
橋から落ちた石の音が、まだ耳の底に残っている。
追手の狩りは、次の段に入った。
そしてこの先は――石を落とせない。拳と刃の距離で、決まる。




