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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第3章 女騎士”ジョルテ”
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もう一つの影

路地の角を曲がった先――人の流れの外れで、見覚えのある“歩き方”があった。


棒を持って騒ぐ連中ではない。隊列でもない。だが、足運びが静かで、視線の切り替えが速い。無駄がない。


(……戦える奴だ)


セリスィンは反射でジョルテの腕を掴み、物陰へ引いた。


「止まれ」


「何だ」


「もう一組いる」


ジョルテが息を詰め、外套の襟を握る。


通りを横切る男が二人。旅人の格好だが、荷が軽い。武器が見えない位置に手が落ち着いている。視線が人ではなく“逃げ道”を見ている。


追跡者の目だった。


セリスィンは口の中で舌打ちした。


(橋の連中とは別口……雇い主がいる)


目が合う前に離れるしかない。セリスィンはジョルテの背を押し、反対側の細道へ滑り込んだ。


歩く。走らない。だが速度は落とさない。


「こっち」


「古い橋は上流だろ」


「上流へ行くには、まず“見えない場所”に潜る」


セリスィンは短く答えた。


表の通りは危ない。人混みに紛れるには明るすぎる。追手が“確信”を持った瞬間、叫ばれる。そうなれば、どれだけ人がいても逃げ道は塞がる。


裏だ。臭いと暗さのある場所。


角を二つ曲がったところで、鼻を突く匂いが強くなった。革なめしの臭気。染め物の湿った臭い。水桶と排水溝。


(……ここなら犬も嫌がる)


セリスィンはジョルテを、軒下の陰へ押し込んだ。染め場の裏。麻布が垂れ、藍の水が桶に揺れている。人は少ない。だが目はある。


セリスィンは通りの端に落ちていた濡れ布を拾い、ジョルテの外套の裾と自分の手にこすりつけた。臭いを上書きするためだ。


「……何をしている」


「匂いを殺す」


「犬がいるのか」


「いるかもしれない。最悪に備える」


ジョルテは言い返さなかった。代わりに、外套の襟を深く引き上げた。


そのとき、通りの向こうに人影が二つ現れた。


さっきの男たちだ。


近い。思ったより早い。


男の一人が足を止め、染め場の方を見た。視線が、桶と排水溝と濡れた地面を舐めるように動く。


セリスィンは背中の筋肉を固めた。いま動けば目に入る。動かなければ――運に賭けるしかない。


男が一歩近づく。


ジョルテの指が小刀に触れた。抜こうとする。


セリスィンは肘で軽く制した。抜くな。今は駄目だ。


男が、染め桶の縁を指でなぞり、指先の青を嗅いだ。


「……ここ、臭うな」


もう一人が顔をしかめる。


「犬は嫌がる。外れだ」


「だが、通った痕はある」


「痕なんていくらでもある。朝だぞ」


男たちは短く言葉を交わし、通りを横切っていった。


視線が離れる。


セリスィンはようやく息を吐き、ジョルテを見た。


「今のは、ギリギリだった」


「……追い方が違う」


ジョルテが低く言った。


「ああ。多分、剣闘士を捕まえる仕事に慣れてる」


「誰がそんな」


セリスィンは即答しない。言い切ってしまうと、ジョルテが今すぐ刃を抜いて突っ込む顔をしている。


「……話は後だ」


セリスィンは言って、裏口の板塀を指した。


「塀の向こうに出る。街道を避けて上流へ回る」


ジョルテが頷く。


二人は板塀を越え、畑の縁へ出た。朝霧が薄く残り、遠くに小さな石橋の影が見える――上流側だ。


だが、その手前に、一本の細道がある。そこを通らなければ橋へは出られない。


セリスィンは足を止めた。


道の脇、石に刻まれた小さな傷。新しい。靴底で擦った跡。複数。


「……先回りされてる」


セリスィンが呟くと、ジョルテが即座に反発した。


「なら急げば――」


「急いだら、そこに突っ込む」


セリスィンは言い切った。


ジョルテの呼吸が荒くなる。


「弟が――」


「分かってる」


セリスィンはジョルテの目を見る。


「だからこそ、死に方を選ぶな。生き方を選べ」


ジョルテの唇が震えた。怒りか、焦りか、それとも――胸の奥を突かれたか。


「……どうする」


セリスィンは周囲を見回した。畑、木立、用水路、石垣。遠回りをすれば時間がかかる。だが、時間を惜しんで捕まれば終わりだ。


そして、セリスィンは“音”を聞いた。


遠くから、馬のいななき。荷車の車輪。人の声。


(……巡回じゃない。移動してる)


追手は散っている。橋へ集める気だ。獲物を“橋”に追い込む狩りのやり方。


セリスィンは決めた。


「橋へ行く。ただし、正面からじゃない」


「また回り込むのか」


「橋の下に降りる。川沿いを這って、橋の影から様子を見る」


ジョルテが眉を寄せた。


「会う約束の相手が来ていたら?」


「確認してからだ。罠なら罠で――逃げ道を作ってから動く」


ジョルテは歯を食いしばったが、頷いた。


その瞬間、背後の木立がわずかに揺れた。


セリスィンの背筋が凍る。


(……近い)


さっきの二人か。あるいは別の誰かか。


セリスィンはジョルテの肩を掴み、低く言った。


「走るな。落ち着いて、早歩きで行く」


「……分かった」


二人は畑の端を切るように進み、川へ向かった。


だが――視界の端に、人影がひとつ、ふたつ、増えた。


追手は、もう“探す段階”じゃない。


包囲の形に入っていた。

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