表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第3章 女騎士”ジョルテ”
20/165

橋の影

橋の上で松明の光が増えた。


「この辺りだ! 川沿いを洗え!」 「橋の下もだ。――犬を入れろ!」


犬、という言葉にセリスィンの胃がきゅっと縮む。


橋脚の窪みの奥で、ジョルテが兜を握りしめた。さっきまでの告白の余韻は消え、目が獲物の色に戻っている。


「ジョルテ」


セリスィンは息だけで呼ぶ。


「今は動くな。犬が来たら、川に入る」


「……寒さで動けなくなる」


「なら死ぬよりマシだ」


ジョルテが小さく舌打ちした。だが反論はしない。


橋の上から、革が擦れる音が落ちてくる。犬の鼻息が近い。爪が石を叩く音が、窪みの入り口を探るみたいにうろついた。


セリスィンは身体を低くし、石積みの陰で息を止める。ジョルテの呼吸が早い。抑えろ、と言えば逆効果になる。だから何も言わない。


松明の光が橋脚の縁を舐め、窪みの入口が一瞬だけ白く照らされた。


――犬が吠えた。


セリスィンの背中が冷える。


「いたか!?」


「……違う。水の匂いだ。こっちじゃねえ」


男の声。犬は引かれ、足音が橋の上を遠ざかる。吠え声も薄れていく。


セリスィンはようやく息を吐いた。


ジョルテが小さな声で言う。


「……運が良かっただけだ」


「運も実力のうちだ」


「その言い方、嫌いだ」


セリスィンは答えず、外を覗いた。


霧が薄くなってきている。夜明けが近い。夜明けは人を増やす。人が増えれば、逃げ道が減る。


(ここにいても詰む)


橋を渡る? 正面は押さえられている。川沿いは犬が来る。なら――上でも下でもない場所。


セリスィンはジョルテの肩に触れ、合図した。


「行くぞ。橋は使わない」


「じゃあどうする」


「川を下る」


ジョルテが目を細める。


「泳ぐのか」


「泳がない。歩く」


「……意味が分からない」


「浅瀬がある。石が並んでる場所がある。そこを渡る」


セリスィンは言い切った。路上の勘だけではない。さっきまでの追跡で、川の音と流れの癖を見ていた。


ジョルテは一拍だけ迷い、頷いた。


窪みから滑るように這い出し、川縁へ。二人は霧に紛れて下流へ進んだ。足元はぬかるみ、湿った草が足首にまとわりつく。水の匂いが濃い。


やがて川幅が少しだけ広がり、流れが緩む場所に出た。水面の下に、丸い石が連なっている。普段は子どもが遊ぶような浅瀬だ。


「ここだ」


セリスィンが言うと、ジョルテが顔をしかめた。


「滑る」


「滑るな」


「無茶を言う」


それでもジョルテは石へ足を置いた。踵の傷が痛むはずなのに、歯を食いしばって一歩ずつ渡る。兜が揺れる。腕がぶれる。だが、落ちない。


そのとき――背後で犬が吠えた。


近い。見つかったわけではないが、匂いを拾い始めた。


「急げ」


セリスィンが言い、ジョルテの背へ手を添えて押す。ジョルテが苛立ったように振り返るが、今は文句を言う余裕がない。


二人が浅瀬を渡り切った瞬間、対岸の茂みの向こうで松明が揺れた。


「いたぞ! 川だ!」 「逃がすな!」


声が跳ね上がる。数は三、いや四。橋を押さえていた連中の一部が回り込んできたのだ。


セリスィンは迷わず、ジョルテの腕を掴んで走った。


「走るなって言っただろ!」


「今は例外だ!」


藪を割り、土を蹴り、林の陰へ飛び込む。背後で水音がする。追手も浅瀬に入った。犬の吠え声がさらに近づく。


ジョルテが息を切らしながら言う。


「……戦うか」


「まだだ」


「いつ戦う!」


「必要になった時だ!」


セリスィンは走りながら周囲を見た。畑。低い石垣。そこに――古い水路。人が一人通れるほどの溝が、畑の端を走っている。


「入れ!」


セリスィンはジョルテを先に押し込み、自分も滑り込む。二人は泥を這うようにして進んだ。上からは畑の草が覆い、霧と混じって視界が曖昧になる。


追手の足音が頭上を通り過ぎた。


「どこだ!」 「こっちに匂いが――いや、消えたぞ!」


犬がぐるぐる回るような足音。鼻息。だが水路の泥と草の匂いが、匂いを攪拌している。


セリスィンは手でジョルテに合図する。


止まれ。息をするな。


時間が伸びたように感じた。


やがて足音が遠ざかり、松明の光も薄れる。


「……見失ったか?」 「橋へ戻れ。女は必ず渡る。でかい橋だ。街道の――」


その言葉に、セリスィンは内心で舌打ちした。


(こっちの狙いは読まれてる)


追手は、ジョルテが“街道の橋”を目指すと踏んでいる。つまり――街外れの大きな橋。そこが最後の関門になる。


足音が完全に消える。


水路の中で、ジョルテが小さく息を吐いた。


「……貴様、慣れているな」


「生き延びるのに慣れてるだけだ」


セリスィンが言うと、ジョルテが硬い声で返す。


「私は、慣れたくて慣れたわけじゃない」


その言葉は刃より鋭かった。


セリスィンは何も言わず、水路の出口を探った。少し先に、崩れた石の隙間がある。そこから外へ出られる。


朝の光が少し強くなっている。鳥が鳴き、遠くで人の声も混じり始めた。


セリスィンはジョルテを見た。


「……橋へ行く」


ジョルテの目が揺れる。


「行けば、待っている」


「だから行く。待ってるなら、待ってる前提で動くしかない」


セリスィンは一拍置いて続けた。


「そこで、お前の話の続きを聞く。金が届いてなかったって言ったな。――それを取り戻すのか、弟を探すのか、どっちだ」


ジョルテは視線を逸らし、短く言った。


「……両方だ」


セリスィンは頷いた。


「なら、急ぐ。夜が明け切る前に」


二人は水路から這い出し、霧の残る畑の端を走った。


街外れの橋へ向かって。


追手が先に着くか、自分たちが先に抜けるか。


勝負は、そこからだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ