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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第1章 無名の孤児
2/16

青年の名は

「生きて、セリスィンお願い生きて」

 悪夢の光景が蘇る。そこでセリスィンは目を覚ました。

 市街地から少し離れたところにある路上。建物の陰で目立たないところでセリスィンは生きている。

「またあの夢かよ」

 セリスィンは舌打ちをした。 

 カンパニアの街が朝日に照らされる。

 ブドウ園に大きく広がる草原。朝から市場で物を売るために馬車の荷台に果物がいっぱい入った箱を詰め込む商人。散歩がてら今後の行く末や政権について語る老人たち。

 いつもと変わらないカンパニアの風景がそこには広がっていた。

 そして、セリスィンもまたいつもと変わらないようにゆっくりと起き上がる。ゴミや食べ物のカスが捨てられ、ネズミが通り過ぎていく。使い古され道に捨てられていた古汚いトガが彼の一張羅であった。彼はのそのそと歩きながら路地裏から出る。

 なるべく朝早いうちに出て一目につかないようにしなければいつあそこを追い出されるかわからない。

 太陽が眩しいほど光っている。セリスィンはそれを見上げながら片手で目の上を隠し、目を細める。

 いやというほどに眩しい光であった。

「食べ物でも探しに行くか」

 そういって彼はその場を後にする。

 紀元前60年イタリア南部カンパニア地方カプア。

 首都ローマのティレニア海の沿岸部を南下したところにある地域。

 今から遡ること300〜400年前にエトルリア人によって建設され、紀元前343年にローマと同盟を結ぶ。紀元前312年には、軍事道路であるアッピア街道により、首都ローマと結ばれカプアは重要性を増した。

 しかし、紀元前219年に始まったポエニ戦争においてカルタゴと同盟を結んだカプアはローマと対立し、紀元前211年カプア包囲戦によりカプアはローマ人に占領されカプアはローマの支配下に置かれた。

 それ以降カプアは混沌の時代へと突入したが、カプアの町は地道に繁栄もしていった。スペルト小麦、ワイン、バラ、軟膏などの栽培が盛んになり、さらには青銅器も作られるようにった。ちなみにかの有名なイタリア料理のカプレーゼもこのカプアが由来となっており「インサラータ・カプレーゼ(カプリ島のサラダ)」という意味である。

 ポエニ戦争以来徐々に落ち着きを取り戻すカプアであったがある重大な事件が起こる。

 遡ること13年前ー紀元前73年。

 この年、カンパニアにあった剣闘士の学校から抜け出した人物スパルタクスがその部下を連れ第三次奴隷戦争を引き起こしたのだ。カプアの剣闘士を抜け出した70名の剣闘士奴隷は次第にその母集団の数を増やし10万の兵にも膨れ上がりイタリア各地を脅かした。元剣闘士たちが核となっていることもあり、討伐隊、民兵隊をことごとく破りさらには執政官率いる軍団をも撃退するにまで至った。

 最終的にローマの二大英雄、クラッススとポンペイウスによって反乱は鎮圧されたがその遺恨は今なお後を引いている。

 しかしとてそれをセリスィンが知るのはまだ先の話だ。

 彼の日課は川にいって体と服を流し、そして森や海や街の中で食べ物を探すことだった。

 食べられる山菜や果実を見つけ、海や川では自ら作った釣具によって魚を取って焼いて食べる。なるべく人様のお家から果実や野菜を取る事はしないセリスィンであったが、どうしても困った時においてはその限りではなかった。そういう時は手を合わせて謝罪し食べられるだけのものを取り静かにその場を後にした。

 かれこれ5年以上近くこの生活をしているが、なんとか生きながらえることができていた。

 毒花や謎の病原菌に襲われ死にそうな思いをしたことも何度かあったが自然治癒の力が高いのかセリスィンが倒れる事はなかった。

 今日も今日とて野に咲くいちごを食べ、自前の木製の槍を作成し高い木にできた木の実や無花果やプラムやオリーブを取っていた。そして日が暮れる頃には自分のお気に入りの寝床に戻りまた明日に備え休みをとる。

 寝床に着いたセリスィンは1日生きながらえることができた安堵とそして一抹の寂しさを覚える。

 いつまでこんな生活が続くのだろうと彼は思う。生きていること自体奇跡といってもいいのだが、自分の一生がこのまま年老いていくまで路地でその日暮らしをするものだと思うと得もしれない感情に襲われた。

 今でこそ元気に体が動くがいつか衰えるときがくる。その時にはたまに見かける路上でやせ細って安眠しているどこかの人間みたいに自分も周りの人に哀れまれながら死んで行く。

 一体なんのために生まれてきたのだと思う。

 男の子なんだからと小さい頃に母親によく言われた。男に生まれたのだから歴史に名を残すこととまでは行かないまでも子孫たちに誇れるような一生を送りたい。その思いがあるセリスィンであったがしかし現実は非常なまでに陰鬱であった。

 普段は生きながらえることに精一杯。たまに街に行ってお祭りや見世物、事件を野次馬のようにみる。

 今日もそんな何気ない一日が続くと思っていた。

「おい、てめー」

 ふと怒った声が聞こえた。

 声の方を見ると一人の少年に何人かの青年が群がっていた。少年の足元にはプラムの実が落ちている。

「てめー俺様が誰だと知ってぶつかってきたのか?」

 青年チームの大頭のような人物が少年に怒気を浴びせる。

「いや、そんな」

 わざとじゃないのか少年はすまなそうな態度をしている。

「なんだと」

 青年はそういうと少年に蹴りを入れた。少年はゴホゴホと咳こみ周りの青年たちがそれを見てくすくすと笑う。

 セリスィンがこうしたいざこざに巻き込まれることは珍しくはない。路上の生活をするということはそれだけ外にいる機会が多く、こうした暴力沙汰、不貞や盗人、まれに殺人をも目撃することがあった。その度にセリスィンは何とかかかわらずにその場をやり過ごそうとするのだが、今日のところは運がなかった。周りの取り巻きの一人が彼に気づき当頭をひじでちょんちょんつついた。

「んあ?」

 当頭がセリスィンを見る。セリスィンは目を合わさず、その場を逃れようとしたが、ちょっとまてと声がかかった。

「お前この辺じゃ見ない顔だな。この俺様、ブオルティクの前で礼も言わずに去ろうとは」

 当頭はくいと首を傾げ、取り巻きの連中がセリスィンに迫ってくる。

「何も俺は何も見ていない」

 セリスィンはそういうも取り巻きは迫ってくる。

「そうはいかない。お前は俺様に忠誠を尽くすまで地べたを這いずりまわるしかない」

 そういってなおも取り巻きは近づいてくる。

「やめておいた方がいい。けがをする」

「そりゃそうだお前がひどいけがをする」

 そうして取り巻きの連中がかかってくる。すぐに戦いが終わると思えたが、蝶のようによけるセリスィンに攻撃があたらない。疲れたところで今度はセリスィンの反撃が始まった。まるで彼の攻撃が取り巻きの一人に当たると攻撃を食らったものはその場にうずくまり立ち上げれなかった。一人また一人と敵を倒していき、ついにはセリスィンだけが残る。

 その様子を見ていた少年と大頭は言葉を失い、大頭に至ってはそこから逃げ出す始末であった。

 倒れていた少年は呆然とセリスィンの方を見つめると「ありがとう」と彼に向けてお礼を言った。

「気にするな」

 セリスィンはその場を後にする。めんどくさいことはできるだけ避ける主義だが、それでもなお巻き込まれたのであればなおさら穏便にすませる。それは彼が過去に体験したとある事件からくるものであった。


 夕刻になりある程度の晩御飯を確保したセリスィンは今夜の寝床を探すことにした。路地裏でもいいのだが、土の痛さがそろそろ身に染みていた。そのためセリスィンは草原に咲く木のふもとを今夜のお供にする場所に選んだ。

 木のふもとに寝ころんでセリスィンは一息つく。今日も生きながらえることができたという安堵感とそれを助長するような心地の良い風。セリスィンは考えることをやめしばらく風に当たることを決めた。

 5年間。独り身になってからよく生きながらえたと我ながら思う。

 自分は強い方だと思うがそれでも今まで貧しいながら母親と二人生活をしていた中での悪夢の出来事。最愛の母を失い、そして孤独に生きていくしかなくなったあの日。

 それから悲しみの連続がセリスィンを襲っていた。そして何よりセリスィン自身にその自覚がなかった。

 生きることで精いっぱい。心をすり減らしたことさえも自分で気づかずセリスィンは一瞬一瞬を懸命に生きていた。

 そのままうとうと目を閉じようとした瞬間だった。遠くの方で犬の遠吠えのようなものが聞こえた。どこかの民家の犬か野良犬が鳴いているのだろうと彼は思ったが、幾分か様子がおかしい。中々収まらない上にさらには何匹もの声に聞こえた。そしてさらにはどこか聞きなじみのない不気味な音まで。

 セリスィンはめんどくさいことにはできるだけ関わらない主義だ。だが、それでも好奇心に勝つことはできなかった。


 近づくにつれて火事が起きていることにセリスィンは気づいた。

 町から草原の端にある民家から出火しているようだった。そこで飼っているらしい犬たちが吠えている原因だった。

 さらに近づくとセリスィンは昼間見た少年を見かけた。少年は火を前にあわあわして泣いている。

「どうした?」

 セリスィンが近づいて声をかける。

「知らない間にうちが燃え始めたんだ。中にお母さんが……」

 そういって少年は家の中を指さす。

 火の手は家全体に広がり今にも家は倒壊しそうであった。

「ここで待ってろ」

 近くにあった桶の水を頭からざぶりとかぶりセリスィンは民家の中に飛び込んだ。

 予想外にも家の中はなんとか動けるほどには燃えていなかった。しかし煙の量といつ倒れてもおかしくない木柱がセリスィンの行動をせかした。あまり時間はなくセリスィンは煙を吸い込まないように家の中を移動し始める。

 いくつかの部屋を回った後倒れている女性を見つけた。近寄って息をしているのを確認しセリスィンは女性を背負ってその場を後にする。火の粉を浴びながら今にも倒れてきそうな屋内を移動するセリスィン。出口へとつながる階段に差し掛かろうとしたところで材木が倒れ路が塞がれた。やむを得ず別の路を探そうとするも来た道も火の手が強くなっており得策ではなかった。

 セリスィンは階段と向かいのところでまだ火の手が回っていなさそうな部屋を目指した。

 運よくその部屋にはセリスィンが予想した通り窓がありそこから下を見下ろした。2階から下。セリスィン一人では簡単に着地できる高さではあるが、問題は意識を失っている少年の母親をどうするかであった。セリスィンは部屋の中を物色しはじめ、藁を運ぶためと思われる縄紐を見つけた。それを母親に括り付け窓枠から、

「おい、少年いるか!」

 と叫んだ。声を聞きつけた少年がとことこと駆け寄ってきてセリスィンを見上げる。

「今からゆっくり母さんを下すからお前が受け取るんだ」

 そう言ってセリスィンは縄を家具に結び付けそしてゆっくりと母親を窓枠から出す。そして結び目をほどくと同時に力いっぱい縄を持ち、ゆっくりと下へおろしていった。下の少年のもとへ届いたのか縄が軽くなったところでセリスィンは窓枠に寄って安全におろせたことを確認する。

「よし」

 そこでセリスィンも窓枠から飛び降りた。

「ありがとうありがとう」

 泣きながら少年がセリスィンに抱きついてきた。セリスィンは肩をすくめながら少年の頭を撫でてやる。

 落ち着いたところでセリスィンは家から母親と少年を離し、少年に話を伺った。

「でも本当にいつの間にか家が燃えていたんだ」

 少年がそう話す。なんでもいつもの飼い犬たちの散歩を済ませ戻ってこようとしたら犬たちが駆け出しその時には家が燃えていたのだった。

 大方、火の不始末で燃えたのだろうという仮説だが、セリスィンはふとあるものを草むらに見つけた。

「これは……」

 それは昼間に見た少年に絡んでいた青年たちが身につけていたものに思えた。


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