火のそばの問い
ゲルマンとの一件が片づいてから、しばらく軍は休息を与えられていた。
休息といっても、寝転ぶためのものではない。
訓練は続き、武具は直され、次の戦のための段取りが静かに積み上がっていく。
夜になれば、兵は食い、飲み、笑って精気を養った。
セリスィンもまた、火のそばで粗い椀を傾けていた。
脂の浮いた煮込みは旨い。
だが旨さより先に、胃が「生きている」と答える。
それだけで十分な夜がある。
その夜、笑い声が一つ途切れた。
人の影が火の向こうに立ったからだ。
デキムスだった。
「まだ、生きているようだな」
冗談なのか、ただの確認なのか。
声の調子だけでは分からない。
分かったのは、彼が酔っていないことだけだった。
「閣下の海戦のおかげでな」
セリスィンは椀を置き、礼を崩さず返した。
「礼は要らん」
デキムスは近くの丸太に腰を下ろした。
「ここは宴会だ」
「宴会で来る顔じゃない」
セリスィンが言うと、デキムスは鼻で笑った。
「そう見えるなら、俺の勝ちだ」
火の爆ぜる音が、二人の間の沈黙を埋めた。
周りの兵は酔いに夢中で、こちらを気にしていない。
意図的に視線を外している者もいる。
指揮官同士の会話を、兵は妙に嗅ぎ分ける。
デキムスが言った。
「お前は今後どうしたいんだ?」
「……唐突だな」
セリスィンの口から、答えではなく時間稼ぎが出た。
「唐突じゃない」
デキムス。
「今は死ななかった」
「だから次の話ができる」
「次の話」
セリスィンは火を見た。
デキムスは椀を取らない。
酒にも手を伸ばさない。
まるで戦場で尋問するみたいに、淡々と続けた。
「千夫長、副将」
「軍事として成り上がっていきたいのか」
「それとも、戦果を上げて、その先に何かを求めているのか」
セリスィンはすぐに答えられなかった。
答えようとすると、言葉がどれも嘘に聞こえた。
「俺は」
セリスィンはようやく言った。
「剣闘士からここに移ってきて」
「ただ、がむしゃらにやってきただけだ」
デキムスは頷きもしない。
だが遮りもしない。
聞いている。
「目的があったかと言われると」
セリスィンは自分の声の鈍さに苛立った。
「……あったようで、なかった」
「ただ、なんとなく」
「こっちの道が、俺にとってのクルスス・ホノルムだと思って走ってきた」
「なんとなく、で百人隊長まで来たのか」
デキムスが言った。
責めているのか。
感心しているのか。
そのどちらにも聞こえた。
セリスィンは続ける。
「最近になって、百人長になって」
「色々戦いを得て」
「俺は、どこへ行きたいんだって」
「分からなくなってきた」
言い終えた瞬間、急に喉が渇いた。
恥ではない。
怖さだ。
目的が分からないまま剣を振るうことの怖さ。
それを言葉にした怖さ。
デキムスは小さく鼻を鳴らした。
「お前は自分のことをあまり分かっていない」
セリスィンは反射的に言い返しかけて、飲み込んだ。
反論できるほど自分を持っていない。
今それが痛い。
デキムスが続ける。
「だが、それは皆一緒だ」
「自分のことは、存外自分ではわからない」
セリスィンは目を上げた。
デキムスの目は火の光を映して、冷えたままだった。
冷たいのに、逃げない目だ。
「カエサルも一緒か?」
セリスィンが聞くと、デキムスは即答した。
「ああ、カエサルも一緒だ」
「……あの人が?」
セリスィンは自分でも意外そうな声を出した。
あれほど迷いなく見える男が。
デキムスは肩をすくめる。
「迷いがないように見せるのが上手いだけだ」
「迷う暇がないほど先へ行くのも、才能だ」
火のそばで誰かが笑い、別の誰かが皿を叩いた。
宴は続いている。
なのにこの一角だけ、妙に静かだった。
デキムスが言った。
「そんなお前だから、あいつも気にするのかもな」
「あいつ?」
セリスィンが聞き返すと、デキムスは答えない。
答えないまま立ち上がった。
「食え」
「寝ろ」
「考えたければ、槍を磨きながら考えろ」
それだけ言って、デキムスは火の外へ消えた。
セリスィンは椀を取り直した。
煮込みは冷めている。
だが喉を通った。
あいつが誰かは分からなかった。
分からないのに、なぜか心は少し軽かった。
初めてデキムスと、ほんの少しだけ腹を割って話せた気がした。
そして、その「ほんの少し」が。
妙に長い夜を、短くしてくれた。




