レーヌスの西へ
冬営地の天幕は火の匂いよりも先に蝋板の匂いがした。
封蝋の割れる音が続く。
カエサルは封を切った。
そこで、声が変わる。
「……レーヌス河を越えた」
カエサルの指が文字の上で止まった。
「誰がです」
セリスィンの問いは早い。
「ウシペテース族とテンクテーリー族」
カエサルは名を並べた。
「弱小が二つ」
ラビエヌスが即座に受け取る。
「なら背後にいる」
「スヴェヴィだ」
カエサルが答えた。
テオトニクスが口を尖らせる。
「また強いやつかいな」
「ゲルマンで最強の部族だ」
ラビエヌスが言った。
「強いというより、作りが違う」
「作り」
セリスィンが目を細めた。
カエサルは火鉢のそばの席を顎で示した。
「聞いたことを、整理しろ」
ラビエヌスは頷き、指を折った。
「スヴェヴィは部族を百の共同体に分けている」
「百」
テオトニクスが笑う。
「数えるの大変やな」
「笑うな」
セリスィンが言った。
「意味がある」
「そう」
ラビエヌスも同じ言葉を置いた。
「毎年、各バグスから千人の戦闘員を徴集する」
「百のバグスで十万だ」
天幕の中の空気が少しだけ重くなる。
「十万が、国外侵攻要員」
ラビエヌスが続ける。
「出る年の者が戦い、残る年の者が養う」
「自分の家族だけやないんか」
テオトニクスが眉を上げた。
「違う」
ラビエヌスが首を振る。
「国内に残った者は、自分の家族以外も養う」
「戦闘に出ている者の家族もだ」
セリスィンがゆっくり息を吐いた。
「共同体が家族の代わりになる」
「そういうことだ」
ラビエヌスは認めた。
デキムスがようやく口を挟む。
「翌年は?」
「交代する」
カエサルが引き取った。
「国外組が帰り、国内組が出る」
「戦闘と生活が、仕組みで回るわけか」
セリスィンは言いながら、どこか苦くなる。
「仕組みで回るやつは手強い」
デキムスが短く言った。
テオトニクスが腕を組む。
「ほな、あいつら戦うのが職業みたいなもんやな」
「職業ではない」
ラビエヌスが訂正した。
「生活そのものだ」
カエサルはさらに尋ねた。
「土地はどうしているんだ?」
ラビエヌスが即答する。
「私有地を持たない」
「はあ」
テオトニクスが目を丸くする。
「それ、ケンカになるやろ」
「ならないようにしている」
ラビエヌスは淡々と言った。
「一か所に一年以上、定住しない」
「耕して縛られる前に、移る」
セリスィンが小さく頷く。
「奪われる財産が少ないほど、撤退は速い」
「守る畑がない軍は、追っても捕まらない」
デキムスが言った。
テオトニクスが舌打ちする。
「厄介やな」
「畑がないってことは、焼くもんも少ないやん」
「焼くために戦うな」
セリスィンは冷たく言った。
「冗談や」
テオトニクスは手を上げた。
「でも、手ぇ出しにくいのはほんまやろ」
カエサルは蝋板を机に置いた。
「ウシペテースとテンクテーリーは、なぜ渡った」
「スヴェヴィに追われた可能性が高い」
ラビエヌスが言った。
「弱小が動くときは、背中を押されたときだ」
「西へ逃げるなら、こちらにぶつかる」
デキムス。
「ぶつかった先に、ローマがいると教える必要がある」
カエサルは声を低くした。
セリスィンが問う。
「交渉しますか」
「する」
カエサルは即答した。
「だが、受け身の交渉はしない」
テオトニクスが首を傾げる。
「受け身ちゃう交渉って何やねん」
カエサルは笑わない。
「こちらの時間と場所で話す」
「彼らの仕組みが強いなら」
「こちらも仕組みで勝つ」
ラビエヌスが頷く。
「十万の輪番が本当なら、今日ここにいる敵だけを見ても意味が薄い」
「次の年の敵が、同じ速さで出てくる」
「なら、速さを折る」
デキムス。
セリスィンは火の揺れを見つめた。
「定住しない者は、帰る場所がない」
「だから、追い詰められた時に危険になる」
「その危険を、こちらが先に選ぶ」
カエサルが言った。
外で角笛が短く鳴った。
見張りが雪を踏む音がする。
「伝令を返せ」
カエサルは命じた。
「ポンペイウスとクラッススの当選祝いは、ローマに置いてこい」
「こちらはレーヌスの動きを先に片づける」
テオトニクスが小声でぼやく。
「ローマの祝いって、いつも血ぃいるな」
セリスィンは答えなかった。
ただ、盾の縁を指で確かめた。
カエサルが立つ。
「スヴェヴィの話は、噂で終わらせるな」
「噂はいつも、遅れて刃になる」




