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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第2章 剣闘士
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Great Escape

 ある夜。

 セリスィンは窓辺に腰掛け外を眺めていた。

 その日は月が眩しく感じられた。

 つい最近まではこんな生活が考えられなかった。それくらい現在の剣闘士としての生活に慣れ始めていた。寝るときに屋根があることも麻や羊毛でできた布団も丁寧に編まれた服も入寮当時は違和に感じられた。

 当たり前だがそんな普通の生活がセリスィンにとっては手が届かないものであった。

 しかし、あの親子を助けジムージーという謎の男に目をかけられた一件以来、この剣闘士としての道を歩むことを決めて以来、セリスィンにとってはそれ自体がクルム=ホノルルと言っても過言ではなかった。

 セリスィンは今でも夢を見る。

 業火に当てられて叫ぶ最後に見た母の姿。

「あなただけは逃げて」

 そういって手を伸ばしながら二度と届かない距離へと誘われる。

 セリスィンはため息をつく。剣闘士になることを決意した日のことよりも思い出される苦渋の思い出。あの悪夢が全てここに繋がっているかと思うとなんという世の中の歪さがあるのかとセリスィンは感じた。

 しかし、セリスィンがやることは変わらない。どの道自分はもう一般や庶民の生活とは違う生き方をせざるを得ない。後には戻れない一本道を進むと決めた時、セリスィンは自分の思うがままに生きることも決めた。どうせ一度は死にかけ普段の生活には戻れないのだ。そうであるならば何よりも生きている間は自分が思うようなことを死にたい。

 そう改めての決意をして窓辺から離れようとした瞬間だった。

 窓の外で動く物体が目に入った。

 しばらくそれを眺めていたがセリスィンはそれが人間の動きであることを確認した。

 こんな夜遅くに何をしているんだ。

 セリスィンは訝しげにしばらく見つめていた。この近くはローマの都心部からは少し離れており周囲にはポツンポツンと民家があるのみだ。こんなところに泥棒のような不審者もなかなか現れることはないはずだ。

 そしてセリスィンはあることに気づく。

 あの動きは……。

 どこかすり足のような動きに最小限の首を回す動き、ある程度訓練をやってきた今ならわかるが兵隊か自分と同じ戦闘者のそれであった。

 普段ならここで見て見ぬ振りをするセリスィンだが今日はなかなか寝付けないこともあり様子を伺ってみることに決めた。

「ちょっくら出かけてみるか」

 同室の眠っているカタルスにバレないようにセリスィンはそろりと自室を後にした。


  ◇    ◇    ◇


 剣闘士の寮自体はもちろん抜け出しづらい構造に作られていたが、かといって脱出はできないこともない。夜中毎晩見張っている者もいなければ塀も頑張れば抜け出せる高さであった。野生児として木登りや塀登りを何度もしてきて、訓練をしてきたセリスィンにとってその壁を抜けるのは容易であった。

 寮外に出て月明かりを頼りに先ほどの不審人物を探すセリスィン。

 しばらく歩いたところでこそこそと怪しげに移動する者の姿をセリスィンは捉える。

 本当に何をしているのか。辺りを伺いつつ頭まで布着を被ったその人物は少しづつ歩いている。

 そして近づいてよりセリスィンはどこか既視感を覚える。

 あの動きは……。

 月明かりの下ではっきりとは見えずらかったが、その独特な動きはどこか見たことがあるものだった。

 直近で見たことがある洗練されたような動き。

 そしてそれはコロシアムで見たことがある動きであった。

「まさか」

 そして首から上をセリスィンは捉える。

 頭まで隠していたが横顔を見てセリスィンの思いは確信へと変わる。

 それは直近で戦ったあの女騎士であった。

 なぜこんなところにいて、そしてなぜこのように怪しく移動しているのか。

 セリスィンははじめよくわからなかった。しかしこんな夜遅くに同業者が何を思ってこんな行動に出るかは大体予測がついた。

 女性は自分が所属している寮から逃げているのであろう。

 それしか理由が考えつかない。

 セリスィンが剣闘士になってから脱走する者はいたが数は少なかった。

 それは捕まったら重い処罰が待っていることよりも特段逃げる理由がないというところにあった。剣闘士たるもの命懸けでは戦っているものの従前のように商品としての扱いもあるから簡単に切り捨てて死なせるものでもなくなっていた。特にスパルタクスの一件からは剣闘士にも人権が認められより一層一人の人間として扱われる傾向になってきていた。

 そのため剣闘士で無下な戦いさえしなければ生活は保障されているため多くの剣闘士はある程度納得感を持って剣闘士の職についていた。

 もちろんそれ以外の選択肢がないものが大半を占めるがそれでも野外で野垂れ死ぬかよりかは幾分かマシなものであった。

「おい」 

 だからセリスィンは女性に声をかけた。誰から言われたわけでもなく自分のためになるでもなくただ女性の身を案じて彼はすり寄った。

「!?」

 一瞬どこからともなく飛んできた声に女性は驚きセリスィンの方を向く。

 暗くて見えなかったのだろうか。女性はセリスィンをしばらく見ると走ってその場を去ろうとする。

「おい、待てよ」

 セリスィンのそんな声に女性が待つわけもなく夜の追いかけっこが始まる。

 よくよく考えれば脱走した身で見ず知らずの者から逃げるのは当たり前であろう。

 セリスィンは自分の手が過ちだったかと思いながら後を追いかける。

 街路は静寂だった。

 まるで街に自分たちだけがいるかのように女性とセリスィンの足音だけが聞こえた。

 どれくらい走っただろうか。剣闘士が試合が1試合は終わるであろうくらいに女性は立ち止まった。かなりきつかったのか膝に手を当てて肩で息をしている。

 ようやく話を聞く気になったか。

 セリスィンはどこか落ち着くように女性に近づいていくと急に女性がセリスィンの方を振り向き何かを振った。セリスィンはいつもの剣闘士の動きで後退しながらそれを避けた。

「危ね」

 暗くて見えづらかったが女性は簡単な麻の紐や皮剥ぎ用の鋭利なナイフを持っていた。

「ちょっと待てって言っているだろ!」

 セリスィンがそういうのもつかの間女性は再度間合いを詰めてセリスィンに襲いかかってくる。

「くそっ」

 已むを得ず再び後退するセリスィン。

 その隙を見て女性はまた立ち去ろうとするが、

「待てっ!」

 と、セリスィンが半ばタックルのように女性に飛びついた。

「きゃ」

 以前の彼女の様子からは想像もつかないような華奢な女性の声を出して女性も地面へと転ぶ。

「離せ!」

 すぐに女性はセリスィンから離れようと全力でもがく。

「待てって言っているだろ」

 セリスィンは暴れた魚を離さないように女性を抑えつけようとする。

「俺だって!」

 このままでは拉致があかないと思ったセリスィンはふとそんな言葉をかけた。

 女性がセリスィンの顔まで覚えている保障なく覚えていたとしてもそれが何になるのかセリスィンは言葉をかけた後思ったがそれでも何か止める術を探すしかなかった。

「…………」

 一瞬女性は動きを止めセリスィンの顔を見るが、

「誰だ」と言ってセリスィンの希望を打ち砕いた。

「ほら俺だあの剣闘士の試合の時の!」

 セリスィンがそう言うも女性は何のことかという顔をしていたが次第に何かを思い出すように、苦虫を噛み潰したような顔に変わっていく。

「まさか、貴様……」

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