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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第13章 疾風怒濤
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雨に勝てぬ日

森は黙っていた。


黙っているのに、こちらの息だけを重くする。


モリニー族とメナピー族の土地へ踏み込んでから、カエサルの軍は一度も「まとまった敵」を見ていない。

見えない敵は、倒せない敵だ。

倒せない敵は、こちらの足と季節を削る。


「出てこないな」

幕僚が言う


「出てこないのではない」

ラビエヌスが返す

「出ないで済む場所にいる」


目の前は森。

森の下は沼。

沼の先も森。

盾が沈み、靴が吸われ、馬が嫌がる。

こちらの列は長いほど邪魔になる。


斥候が戻ってきた。

濡れた泥が鎧の隙間にまで入り込んでいる。


「閣下」

斥候が言う

「敵は村を捨てています」

「家畜も穀物も引き上げました」

「森の奥へ入った形です」


幕僚が歯を噛む。


「追えば沼だ」

「追わねば終わらない」


カエサルは森を見たまま言った。


「終わらせる手段は一つではない」


彼が手を上げると、工兵たちの斧が鳴り始めた。

木が倒れる。

枝が払われる。

道が作られる。

だが森の広さに対して、こちらの斧はあまりに少ない。


「村は焼け」

カエサルが言う

「穀物は刈れ」

「隠れる者には、隠れるための糧を残すな」


命令が落ちると、煙が上がった。

村は火を吐き、畑は黒くなり、風が灰を運んだ。

敵は見えない。

だが見えない敵の「腹」には確かに届く。


兵が言う。


「これで出てきますか」


百人隊長が吐き捨てる。


「出てきたら楽だ」

「出てこないから森なんだ」


だが季節がこちらの味方をしなかった。


雨が降り始めた。

一日で終わる雨ではない。

降り続く雨だ。

盾は重くなり、弓弦は緩み、火はつきにくくなる。

乾かない靴は足を腐らせる。

足が腐れば、軍が腐る。


「雨が止みません」

幕僚が言う


「止まない雨はない」

別の者が言う


ラビエヌスが首を振る。


「止む前に冬が来る」

「この土地の冬は」

「森と沼が槍になる」


カエサルは短く頷いた。

勝てる戦いだけを選ぶ男ではない。

だが勝てない条件で無理に勝ちへ行くほど愚かでもない。


「今日で切る」

カエサルが言う


幕僚が身を乗り出す。


「撤収を」


「冬営に入る」

カエサルが言う

「この戦は森を焼いて終わらせる類ではない」

「今は引いて、兵を生かす」


不満が顔に出る者もいた。

見えない敵に背を向けるのは、誇りが許しにくい。

だがカエサルが次に置いた言葉は、誇りより腹に効いた。


「兵を濡らして殺すな」

「敵を殺せずに兵を殺すのが、いちばん下手な将だ」


誰も反論しなかった。

雨は議論より強い。


撤収は静かに行われた。

静かに行われる撤収は、敗走ではない。

形を崩さずに引くのは、勝つための引きだ。


「列を崩すな」

「荷駄は中央」

「負傷者を先に」


百人隊長たちの声が重なり、雨の中でも規律が保たれる。

森の奥から矢が飛んだ。

だが散発的で、追撃にはならない。


「出てこないな」

兵が呟く


「出てきたら困るんだ」

隣の兵が言う

「出てこないから、こっちは生きて帰れる」


カエサルは後ろを振り返らなかった。

振り返る必要がない。

森は森のままだ。

こちらが去っても、森は勝利の声を上げない。


それが一番腹立たしい。

だが腹立たしさで軍は動かない。


冬営地の配分が命じられた。

軍団を散らし、各地に置き、補給と秩序を優先する。

散らすのは弱さではない。

散らしても、戻れる強さがあるからだ。


「この冬は」

カエサルが言う

「海と森に奢らせる」

「来年、奢りを折る」


ラビエヌスが頷いた。


「来年は」

「森が隠れ家にならぬよう」


雨の中で、軍は冬営へ向けて歩き出した。

モリニー族とメナピー族は、その背中をどこかの暗がりから見ているはずだった。

だが見ているだけだ。

戦は、見るだけでは終わらない。


終わらない戦を、カエサルは「終わらせる順番」に並べ替えただけだった。



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