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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第13章 疾風怒濤
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臆病の仮面

同じ頃。

ウェネリー族の領地に布陣していたサビヌスは、敵からも味方からも非難を受けていた。


敵は毎日のように部隊を繰り出してくる。

森の端から現れては槍を見せ、退いては笑う。

挑発が仕事になっている。

それでもローマ側は、完全には応じない。

出ては引き、引いては見守り、火を焚いて夜を越す。

戦が始まりそうで始まらない日が続いた。


敵の声は、遠慮なく届く。

谷と風は悪口を運ぶのが得意だ。


「あいつら完全に呑まれてやがるぜ」


「ローマが震えてる」

「海で負けたんだろ」

「カエサルの名も、ここじゃ助けにならねえ」


笑いが起きる。

その笑いは、槍より鋭い。


味方の方でも、声が溜まっていく。

溜まった声は、いずれ噴く。

噴けば陣が乱れる。


「なぜサビヌス閣下は攻撃命令を出されない」

百人隊長が苛立ちを隠さず言った。


「敵は出てきている」

「こちらは軍団だ」

「叩ける時に叩かねば、士気が腐る」


副官たちも顔色をうかがいながら言葉を並べる。


「閣下がどんなお気持ちで今の状態を作っているのか」

「意図がおありなら、せめて我らに」


サビヌスは天幕の中で、穏やかに頷いた。

穏やかすぎて、かえって不気味だった。


「よいよい」

サビヌスが言う

「血気盛んな方が、怖気づくより何倍もマシだ」


副官が言う。


「しかし、このままでは」


サビヌスは笑った。

笑いは軽いが、目は軽くない。


「このままでは、何だ」

「敵が増長するか」

「味方が焦れるか」

「両方だろう」


副官が黙る。

サビヌスが両方を口にした瞬間、彼がそれを計算していると分かる。

計算していない者は、面倒なことを言葉にしたがらない。


サビヌスは椅子から立たず、地図板も叩かない。

ただ杯を置き、指先を組んだ。


「敵が毎日出てくるのは、理由がある」

「出てこなければ、こちらの“弱さ”を確かめられないからだ」


副官が言う。


「弱さなど見せておりません」


サビヌスは首を振る。


「見せている」

「わざとだ」


その言葉で、副官の顔が固まる。

わざと。

つまり今の屈辱は、意図された屈辱だ。

兵が怒るのも当然だ。

怒りは刃になる。

刃は敵にも味方にも向く。


サビヌスは続けた。


「敵は勇敢だ」

「勇敢な敵は、勝てると思った時に一番無防備になる」


「勝てると思わせるのですか」

副官が問う。


「そうだ」

サビヌスは頷く

「しかも、こちらが逃げると思わせる」


副官の一人が思わず言った。


「逃げる」

「そんな噂が立てば、我らの名が」


サビヌスは笑みを消し、静かに言う。


「名を守って死ぬな」

「生きて名を取り戻せ」


その言葉が落ちると、天幕の空気が少しだけ冷えた。

冷えたのは恐れではない。

命令の温度だ。


サビヌスは、話巧みなガリア人を一人呼んだ。

舌が滑らかで、目が軽い男だ。

軽い目は裏切りの目にも見えるが、裏切りは使い方次第で武器になる。


「お前に頼みがある」

サビヌスが言う


ガリア人が頭を下げる。


「何なりと」


「敵地へ行け」

「そしてこう言え」

サビヌスは言葉をゆっくり選んだ。

選んだ言葉ほど、遠くでよく燃える。


「ローマは怖気づいた」

「今夜ひそかに抜け出す」

「カエサルたちと合流に向かうらしい」


ガリア人の眉がわずかに動く。


「信じるでしょうか」


「信じる」

サビヌスが即答する

「信じたいからだ」


「報酬は」

ガリア人が言う


サビヌスは小さく頷いた。


「払う」

「生きて戻ればな」


ガリア人は笑った。

その笑いは軽い。

軽い笑いができる者は、夜道に慣れている。


「承知しました」


男は夜の闇へ消えた。


その夜。

敵の陣に、ざわめきが走った。

火の数が増え、影が動き、槍の先が揃う。


「ローマが逃げるらしい」


「今夜だ」

「今夜なら背中が取れる」


「こんな機会はない」


噂は油になり、油は火を大きくする。

敵はその火に煽られ、攻め入る準備を始めた。


森の中で足音が増える。

鎧が擦れる。

合図の声が低く交わされる。


サビヌスの陣では、逆に静けさが濃くなっていた。

兵は不満を抱えたまま槍を握っている。

だがその不満が、今夜は刃になる。


副官がサビヌスに近づき、声を落として言う。


「……来ます」


サビヌスは頷いた。


「来させろ」

「そして」

「来たところを殺せ」


言葉は短い。

その短さが、今夜の血の量を決める。

敵も味方も、臆病の噂を信じた者から死ぬ夜だった。


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