それぞれの道
ルッカの会談は終わった。
終わった、というより、終わらせた。
言葉はすでに決まり、あとは人と軍と金が動くだけだ。
三人は互いの顔を確かめるように最後の一拍を置き、同時に席を立った。
廊下へ出れば、待たされていた者たちの息が一斉に戻る。
扉の向こうで何が決まったのかを、誰も正確には知らない。
だが誰もが知っている。
この扉の向こうで決まったことが、ローマの形になる。
ポンペイウスはまず、当初の予定どおりピサへ向かった。
港へ出て、そこからサルディニア島へ渡る。
食糧の視察。
名目は穀物だが、実際はローマの腹と喉を握る仕事だ。
「腹を満たせば街は静かになる」
彼は馬上でそう呟いた。
隣の従者が頷く。
誰もその言葉の裏にある「静かになれば誰が支配するか」を口にしない。
クラッススはローマへ戻った。
戻れば、帳簿がある。
票がある。
借りがある。
そして返させるべき借りもある。
彼の戦場は石畳と議場で、刃は数字だ。
「帰ればまた増える」
クラッススは自嘲のように言った。
「敵も、頼みも」
従者が言う。
「閣下、それが閣下の力でございます」
クラッススは答えない。
力は褒められるものではない。
力は請求されるものだ。
カエサルは急いでガリアへ戻った。
ルッカで大事を決めたからこそ、小事が怖い。
小事が積もれば大事の足を引っ張る。
そして今、ガリアには厄介ごとがある。
クラッスス・ジュニアの周囲の部族が、反乱を起こしている。
「戻らねばならん」
カエサルは淡々と言った。
「放っておけば、噂が先に勝つ」
随行の者が問う。
「閣下、休まれぬのですか」
カエサルは肩をすくめる。
「休めば、元老院が休ませてくれない」
その声は軽い。
だが軽い声ほど、覚悟が硬い。
場面はローマへ移る。
キケロの邸宅。
新しい壁。
新しい柱。
焼かれたはずの場所に、国家の金で新築された家が立っている。
正義が勝ったのだ、と彼は言う。
そして実際、勝っている。
その朝、執事が封の固い手紙を運んできた。
差出人の名が見えた瞬間、キケロの口元が自然に歪む。
笑みではない。
苦味と興味が混じった歪みだ。
「……カエサルか」
封を割る音が、小さく響いた。
文面は簡潔だった。
余計な修辞がない。
まるで命令書のように丁寧だ。
貴公の弟クインティウスを、ガリアの戦いで軍団長に任命したい。
キケロは紙を置き、指で顎を撫でた。
舌が動きたがっている。
だが彼はまず、舌を止めて裏を読む。
「これは……いかなるものか」
彼は独り言の形で言った。
独り言は、最も正直な会議だ。
「カエサルが、何の意図もなく人を持ち上げるはずがない」
「人を動かすときは、いつも二つ三つの糸を結ぶ」
机の上の紙を軽く叩く。
弟を餌にして自分を引くのか。
あるいは自分を黙らせるために、弟を盾にするのか。
だがそこで、キケロの顔から皮肉が少し抜けた。
弟の名が、いつもより現実的に響いたからだ。
クインティウス。
悩みの一つ。
夫婦仲はうまくいかない。
政界でも弁護士業でも鳴かず飛ばず。
愚弟。
そう見なされても仕方がない男。
年齢も四十を超え、扱いようにも困っている。
「……あいつにも」
キケロは小さく言った。
「気分転換は要るか」
舌は残酷になれる。
だが血は、舌ほど冷たくはなれない。
キケロは新しい羊皮紙を引き寄せ、返書を書き始めた。
筆は滑る。
滑るほど、決断は早い。
「承知した」
「弟のことは任せる」
書きながら、彼は思いついたように付け足す。
弟だけではない。
彼のもとには、就職口の世話を頼む若者の手紙が積もっている。
ローマは口が多く、椅子が少ない。
「ついでに」
キケロは独り言のように呟き、文面を増やした。
「他にも面倒を見てくれ」
「若い者たちも」
裏があるのは分かっている。
だが裏があっても、使えるものは使う。
ローマの弁論家は、清廉さよりも結果を愛する。
手紙を畳み、封をして執事に渡した。
「急ぎで届けさせろ」
執事が頭を下げる。
「かしこまりました」
キケロは椅子に凭れた。
そして、ふっと笑う。
自分の舌が、また一つ網を投げたことに。
そしてその網が、どこで誰の足を取るか分からないことに。
その返書を道中で受け取ったカエサルは、馬上で封を切った。
読み終えると、ほんの少しだけ口角を上げる。
笑みは短い。
勝利の笑みではない。
予想通りに駒が動いたときの笑みだ。
「……よし」
カエサルが言う。
随行の者が問う。
「何か良い知らせで」
カエサルは返事の代わりに、視線を北へ向けた。
そこにガリアがある。
そこに反乱がある。
そこに、片付けるべき厄介がある。
「さて」
「戻るか」
「ガリアへ」




