5年の鎖
窓の外の庭は変わらず静かだった。
だが部屋の空気は、静かさを保ったまま硬くなっていく。
同意が形になるときの硬さだ。
ポンペイウスが指先で杯を回した。
回すだけで飲まない。
飲めば、言葉の刃先が鈍る。
クラッススは椅子の背に深くは凭れない。
深く凭れれば、相手に主導権を渡す。
彼はそれを嫌う。
カエサルが二人を見た。
そして、もう一段だけ先の話を持ち出した。
「翌年の執政官選挙だ」
「ポンペイウス」
「クラッスス」
「二人が立候補しろ」
ポンペイウスが、即座に笑うでも怒るでもなく言う。
「急だな」
「だが十年以上、執政官から遠ざかっている」
「スッラの改革にも触れまい」
クラッススが鼻で息を吐く。
「執政官の椅子は、座り心地が悪い」
「敵が増える椅子だ」
カエサルは頷いた。
「敵は増える」
「だが増やせ」
「今はそれが要る」
ポンペイウスが視線を上げる。
「要る理由を言え」
カエサルは、机の上に指を置いたまま言った。
「執政官の一年が終われば」
「前執政官として属州へ出る」
クラッススが、言葉の端を拾う。
「プロコンスルか」
「そうだ」
カエサルが続ける。
「本来、属州はガイウス・グラックスのセンプローニウス法以来、勝手が利かない」
「場所は自由に選べぬ」
ポンペイウスが低く言う。
「執政官が就く前に、属州が決められる」
「選挙の餌にしないための仕組みだ」
「その仕組みを」
クラッススが言う。
「我らは捻じ曲げるのか」
カエサルは平然と答える。
「捻じ曲げるのではない」
「通す」
「このルッカで決めたことを、そのまま突き通す」
ポンペイウスが、わずかに目を細めた。
「そして任期か」
カエサルは頷く。
「慣例を無視して、任期を五年に延ばす」
クラッススが、乾いた笑いを漏らした。
「本当にやりたい放題だな」
ポンペイウスも笑う。
ただし、その笑いは軽くない。
「やりたい放題をやれば」
「それに見合う恨みも買う」
「恨みは買い慣れている」
カエサルが言う。
「恐れるな」
クラッススが指を折るように問う。
「五年の任期だけでは足りぬだろう」
「何を付ける」
カエサルは答えを用意していた。
「各々、十箇軍団ずつ扱える権限を付ける」
ポンペイウスが即座に返す。
「十だと」
「国家が二人に国を渡すようなものだ」
クラッススが、珍しくカエサルではなくポンペイウスに同意する。
「金の匂いがする」
「そして血の匂いもする」
カエサルは否定しない。
ただ、言い方を変える。
「今の俺たちなら、うまくいく」
「元老院への牽制になる」
「属州の隣国への牽制にもなる」
「揺らすのではない」
「固めるためだ」
ポンペイウスが静かに言った。
「固めるための力は」
「固まった後に、戻らぬ」
「戻すつもりもない」
カエサルは淡々と言う。
「戻したら、また崩れる」
クラッススが机を指で叩いた。
その叩き方は勘定の合図だ。
「問題は、当選だ」
「私が当選確実になるには、どうする」
カエサルは即答した。
「選挙の時期をずらす」
「夏から冬にする」
ポンペイウスが眉を上げる。
「冬にだと」
「冬なら軍団兵が動ける」
カエサルは言う。
「俺の兵が応援に駆け付けられる」
クラッススが、半ば呆れたように口を開く。
「なるほど」
「壮大で馬鹿げている」
ポンペイウスが続ける。
「だが問題は」
「確かに、できないことではない」
クラッススが顔をしかめる。
「できる、という言葉が怖い」
「できることほど、後で高くつく」
カエサルは小さく笑った。
「高くつくなら払え」
「払う価値がある」
ポンペイウスが椅子からわずかに身を起こす。
英雄が決断に近づくときの動きだ。
「三頭というものが」
「今やローマを席捲している」
クラッススが渋々頷く。
「お世辞抜きに、若い世代にも影響は強い」
「票は言葉より正直だ」
ポンペイウスはそこで、別の名を落とした。
「キケロはどうする」
「やかましい奴が黙っていられるか」
クラッススが苦く笑う。
「舌は止まらん」
「止めようとすれば噛まれる」
カエサルは視線を動かさず言った。
「まずはポンペイウスが当たってくれ」
「お前の名声なら、彼の舌も一拍は遅れる」
ポンペイウスが皮肉げに言う。
「私の名声を盾にするのか」
「盾は使ってこそ盾だ」
カエサルは笑う。
「それに、俺にも策がある」
クラッススが首を傾げる。
「策とは何だ」
カエサルは答えを隠したまま、笑みだけを置く。
「その時に言う」
ポンペイウスが、からかうように息を吐いた。
「まったく」
「いつの間にか貴様の手の上で踊らされておるわい」
クラッススが、窓の外の庭を見た。
穏やかな枝影が揺れている。
この穏やかさの上に、五年の任期と十箇軍団が乗ろうとしている。
「本当にこの会談が」
クラッススが言う。
「ローマの行く末を決めることになるかもしれんのう」
カエサルは頷いた。
頷きは短い。
しかし否定の余地を残さない頷きだった。
「そうするんだよ」
庭の葉擦れが一つ鳴った。
その音が、決議の拍手よりも冷たく響いた。




