表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第11章 三人の大賢人
134/174

栄光への路

窓の外の庭は相変わらず穏やかだった。

枝の影が白い床に揺れ、遠くの街のざわめきが薄く混じる。

だが部屋の中の言葉は、穏やかさを借りて鋭さを増していった。


カエサルは指を組み、先ほどの「仕組み」という言葉の続きを落とした。


「ローマ繁栄の第一歩は属州の平定だ」


ポンペイウスが即座に噛み砕く。


「外堀を埋めるということか」


「そうだ」

カエサルが頷く。


クラッススは目を細める。

帳簿にない地名を、頭の中で利息に換える目だった。


「属州は広い」

「どこから手を付ける」


カエサルは迷いなく三つ挙げた。


「ガリア」

「ヒスパニア」

「シリア」


ポンペイウスが椅子に深く凭れ、低く言う。


「どれもローマの喉だな」


「喉を守らねば腹が満ちない」

カエサルは淡々と返す。


クラッススが、いつもの調子で数字を求めるように問う。


「それぞれの意味を言え」

「言葉を整えねば、金が出せない」


カエサルは一つずつ、短く切った。


「ヒスパニア」

「イベリア半島を抑えることは、北アフリカへ繋がる」


ポンペイウスが口の端で笑う。


「海は繋ぎ目だ」

「繋ぎ目を押さえれば、船も税も従う」


「シリア」

カエサルは続ける。

「大国パルティアに対する線だ」

「ユーフラテス河を防衛線として守る」


クラッススが小さく息を吐いた。


「パルティア」

「砂と弓の国だ」


「ガリア」

カエサルは最後を置く。

「ライン河の北方を見張る」

「あれを放置すれば、こちらの畑に火が移る」


ポンペイウスが頷く。

その頷きには経験があった。

国境は地図の線ではなく、恐れの線だという経験が。


クラッススはわずかに身を乗り出した。


「つまり、ローマから繋がる大地の要を固める」


「そうなる」

カエサルは肯定し、すぐ釘を打つ。

「別に、俺たちの時代に世界を取りに行く話じゃない」


ポンペイウスが眉を上げる。


「先ほどは世界と言ったな」


カエサルは笑って受け流した。


「言い方の問題だ」

「後の世でもローマに栄光があるように」

「俺たちの時代から少しずつ平定していく」


ポンペイウスが、からかうように言う。


「ふん」

「まったくのおとぎ話ではないらしい」


だが、からかいはすぐ刃に変わる。


「じゃが、その考えこそ保守的になっとらんか」

「昔のお前は、もっと荒唐無稽じゃった」

「尖りがあった」

「夢があった」


カエサルは否定しなかった。

否定の代わりに、声の熱を落として言った。


「そうかもな」

「だが、本当の栄光は自分だけに閉じちゃいけない」

「世界に影響を与えることだ」

「異国に届くことだ」

「後の世代に語り継がれることだ」

「それが栄光だ」


クラッススが静かに受ける。


「その礎を、我らの代で築くというのか」


「ああ」

カエサルは頷く。


ポンペイウスは黙っていた。

沈黙は賛同ではなく、計量だ。

英雄は自分の名の置き場所に敏感だ。


その沈黙を割ったのはクラッススだった。

彼は、わざと不機嫌そうに言った。


「だが肝心なことを忘れている」

「たとえお前やポンペイウスができたとて、わしは商人肌だ」

「属州の平定や戦には向かん」


カエサルは目を細める。

否定する目ではない。

逃がさない目だ。


クラッススは続ける。


「自尊心を捨てたわけではない」

「だが武という点では、逆立ちしても叶わん」

「人気もだ」

「わしは金儲けが上手いだけじゃ」


ポンペイウスが、少し意外そうに言う。


「自分で言うのか」


クラッススは肩をすくめる。


「言わねば、誰かが言う」

「先に言った方が利息が安い」


カエサルがそこで口を挟む。


「だからだ」

「俺やポンペイウスにないものが、あんたにはある」


クラッススが眉を寄せる。


「何だ」


「金だけじゃない」

カエサルは言う。

「執念だ」

「それと」

「お前が昔言った」


ポンペイウスが口を挟む。


「昔とは」


カエサルはクラッススから目を離さない。


「わしに足りないのは戦功だ」

「あんたはそう言った」


クラッススの口元がわずかに動く。

笑いではなく、傷の痛みのような動きだった。


「……言ったな」


カエサルが畳みかけない。

畳みかけず、ただ置く。


「裏を返せば」

「まだ諦めきれていないということだ」


クラッススは少し黙り、やがて低く吐き捨てるように言う。


「だからといって、シリアなど簡単に治まるか」


ポンペイウスが口を開く。


「どうせガリアはお前だろう」

「そしてヒスパニアは、わしだ」


カエサルが軽く頷く。


「自然だ」


ポンペイウスが続ける。


「となれば消極的に、クラッススはシリアになる」


クラッススは苦々しく笑った。


「消極的に、とはいい言い草じゃ」


カエサルが言い返す。


「シリアの何が悪い」

「一番、大陸側へ手を伸ばせる」

「夢のある地域だ」


クラッススの目が細くなる。


「パルティアに、この老商人がどう立ち向かう」


カエサルは即答した。


「お前ひとりじゃない」

「部下がいる」

「必要なら、お前の得意な金で強い兵を集めればいい」


ポンペイウスが静かに加える。


「金は兵になる」

「兵は盾になる」

「盾があれば、剣は遠くへ届く」


クラッススは、そこで初めてほんの少しだけ顔を歪めた。


「……そして息子か」


カエサルが頷く。


「息子もいる」


クラッススはすぐ首を振った。


「息子は連れていけない」

「あれは武に秀でている」

「わしと一緒に行って腐ってはならん」


ポンペイウスが、からかい半分に言う。


「親が子を腐らせるのか」


クラッススは即座に返す。


「親の名は、子の足を遅くする」


カエサルはそこで、先ほどの前提に戻った。

声を強くせず、しかし逃げ場を塞ぐ言い方で。


「だから前提から入ったんだ」

「俺たちはもう、引き返せないところに来ている」


クラッススが唇を噛む。

ポンペイウスは黙って聞く。


カエサルが続ける。


「このまま衰退したら、何も後に残らない」


沈黙が一つ落ちた。

庭の葉擦れの音が、その沈黙を埋める。


カエサルは最後だけ、少しだけ砕けた言い方で言った。


「どうせ好き勝手やってきた人生だ」

「最後くらい、好き勝手やりつつ道を残そう」


クラッススが、ふっと笑った。

その笑いは嘲りではない。

自分の中の古い火種が、まだ消えていないと認めた笑いだった。


ポンペイウスは視線を上げ、二人を見比べた。

そして、短く言った。


「道を残すには、まず道を踏み固めねばならん」


穏やかなルッカの部屋で、三人は穏やかに危険な同意へ近づいていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ