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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第11章 三人の大賢人
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穏やかな始まり

会談は穏やかな間で行われた。

窓の向こうには庭があり、ルッカの街が静かに息づいているのが見えた。

潮の町の湿り気が、香草の湯気に溶けている。

外では人が多いはずなのに、この部屋だけが不自然に静かだった。


最初に「三人だけで会談する」と告げられたとき、集まっていた者たちは唖然とした。

だが抗議できる者はいなかった。

抗議とは力のない者がするもので、ここにいる三人は力そのものだった。


扉が閉まる。

残ったのは三つの椅子と、三つの呼吸だけ。

カエサルが先に座った。

いつも通りに見えるのに、いつもより遅く腰を下ろした。

その遅さが、これから出る言葉の重さを予告していた。


カエサルが口を開く。


「まず、この国の行く末について話さないか」


クラッススの指が杯の縁で止まった。

数字の話ではない、とすぐ分かる止まり方だった。


ポンペイウスが眉を上げる。


「どうした急に」

「らしくないな」

「ルッカの街並みにあてられたか」


カエサルは首を振る。


「違う」

「前提の話だ」

「ここがぶれると、以後の話の意味がない」


クラッススが小さく言う。


「前提とは何だ」

「言葉は金より軽いが、軽いほど人を刺す」


カエサルは視線を窓ではなく二人に向けた。


「俺たちの敵は、元老院でもない」

「大衆でもない」

「属州の者たちでもない」

「ましてやガリア人でもない」


ポンペイウスが椅子に深く凭れる。

それは否定ではなく、続きを促す姿勢だった。


クラッススが問いを置く。


「では何だ」

「敵がいないなら、戦は終わる」


カエサルは少しだけ笑う。

笑いは柔らかいのに、言葉は硬い。


「限界を決めることだ」

「保身に走ることだ」


ポンペイウスが口の端を上げた。


「それは私たち年寄りに向けて言っているのかね」


カエサルはすぐに頷かない。

一拍置いてから言う。


「いや」

「俺もだ」

「年を取ると、世の中が知れた気になる」

「大人になる」

「それで考えが現実的になる」


クラッススが乾いた声で混ぜ返す。


「現実は悪いものではない」

「現実のない改革は、帳簿のない支払いだ」


カエサルは否定しない。

否定しないまま、方向だけを変える。


「現実は要る」

「だが、俺たちの立場に立つ者が、こじんまりまとまってはいけない」


ポンペイウスが目を細める。


「こじんまり、とは」


カエサルの指が机を軽く叩く。

叩き方は命令のそれではなく、合図のそれだった。


「小麦の担当長官になって喜ぶな」

「財界のドンとしてのし上がって喜ぶな」

「そして、ガリアごときを征服して喜ぶな」


クラッススの口元がわずかに歪む。

笑いか、痛みか、そのどちらとも取れない。


「私に喧嘩を売っているのか」

「それとも褒めているのか」


カエサルは肩をすくめる。


「両方だ」

「それで終わりにするな、という話だ」


ポンペイウスが静かに言う。


「では、その先とは何だ」


カエサルは窓の庭を見る。

庭の木々は風に揺れ、枝が擦れて小さな音を立てている。

それが一瞬、遠い戦場の鎖帷子の擦れる音に似て聞こえた。


「その先を見ないといけない」


クラッススがすぐ釘を刺す。


「世界征服でもするつもりか」

「言葉は大きいほど、利息が付く」


カエサルは首を振る。


「いや、そういうことでもない」

「それなら、俺たちはとうの昔のアレクサンドロスに勝てやしない」


ポンペイウスが頷く。


「偉業の影は長い」

「影を踏むだけでは、名は残らん」


カエサルがその言葉を受けて続ける。


「俺たちは俺たちなりのやり方で、歴史に爪痕を残さないといけない」

「ただ戦争に勝つためだけでもない」

「属州を支配していくことでもない」


クラッススが眉を寄せた。


「結局、何が言いたい」

「どうしたいのだ」


ポンペイウスも、今度はからかいを捨てて問う。


「言え」

「望みが曖昧なら、三人で集まる意味がない」


カエサルは椅子の背から僅かに身を起こした。

声は大きくない。

だが部屋の重心が、彼の側へ寄る。


「大ローマ平和時代」

「俺はそう呼ぶ」


クラッススが反射で言葉を返す。


「平和は金が減る」

「軍を動かさないなら、誰が儲ける」


ポンペイウスが低く笑う。


「お前らしい」


カエサルはクラッススの懐疑を責めない。

むしろ、その懐疑が必要だと知っている。


「俺たちがいなくなった後も」

「ローマ自体が栄え続ける仕組みを作りたい」


ポンペイウスの目が細くなる。

それは警戒ではなく、計量だった。

英雄は栄光を欲しがる。

だが栄光より先に、持続を語る男の目は測りにくい。


クラッススが、ゆっくりと息を吐く。

数字に直せない言葉が出たときの息だ。


「……仕組み、か」

「それができれば、確かに」

「私の金も、ポンペイウスの名声も」

「お前の戦も、無駄にはならない」


カエサルは頷いた。

その頷きは勝利の頷きではない。

合意を取りに行く者の頷きだった。


窓の外では、ルッカの街が穏やかに息づいている。

その穏やかさを、三人は奪うのではなく、作り直そうとしていた。

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