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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第11章 三人の大賢人

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帰還する舌

その男は、ローマに追及されていた。

だが九か月ぶりに、追放が解かれた。


エピロス地方。

ドゥラキウムの港で、彼はその知らせを受け取った。

手紙の封蝋を割った瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

怒りとも歓喜ともつかない火が、言葉になる前に足を動かした。


翌日。

彼はもう船に乗っていた。

行き先はイタリア。

ブリンディシウム。

海は灰色で、風が帆を叩いている。


甲板の上で、男は欄干を握りしめた。

潮の匂いが肺に入り、胸がやけに軽い。


「待っとれよローマ。私がどれほど待ちわびたことか」


言った途端、自分の声が風に攫われたのが腹立たしい。

彼はそれすら噛みつくように笑い、次の怒りを探して見つける。


「大体ポンペイウスの野郎も足元を見やがって」

「俺が弱い立場になったら、すぐに手を切ってからに」


舌は止まらない。

言葉は剣より軽いくせに、人の背骨に刺さる。

それを彼は知っている。

だからこそ、己の舌もまた止められない。


「カエサルもそうだ」

「いや……あいつはもともと、そういうやつか」


怒っては、次の瞬間には別の方向へ目を向ける。

せわしなく動く視線の先で、海鳥が一羽、船と並んで飛んだ。

その気楽さが気に入らず、彼は鼻で息を吐いた。


そこへ、同じ船に乗り合わせた男が声をかけてきた。

日焼けした顔。

荷を扱う手。

旅慣れた者の、のんびりした目。


「あんたローマに用があるのかい」


男は振り向き、相手を値踏みした。

値踏みした後、わざと大げさに胸を張る。


「用も何も、わたしやぁ、ローマはローマのど真ん中の人でせぇ」


相手の男は、ふうんと相槌を打った。

波に揺れる船と同じくらい、心が揺れていない。


「へぇそいつぁ高尚なこった」


「高尚」

男はその言葉を舌の上で転がし、すぐ別の形にして返す。


「高尚で結構」

「ただし高尚ってのは、腹が減っても言える者だけの話だ」

「ローマは腹が減るほど人が多い」


「じゃあ腹を満たしに帰るのかい」

相手は面白がって言う。


「違う」

男は即座に答えた。

否定が先に出てしまう癖がある。

否定の後から理由が追いかけてくる。


「腹を満たすのは、勝手に満ちる」

「わたしは名誉を取り返しに帰る」

「それと」

「借りを返す」


「借り」

相手の男は首を傾げる。


「借りってのは銭か」


「銭は紙で終わる」

男は吐き捨てるように言う。

それから、急にあっけらかんと笑った。


「いや……紙で終わらん銭もあるが」


「難しいねえ」

相手の男は肩をすくめた。


「難しいことを難しいと言えるのは贅沢だ」

男は言って、欄干を叩いた。

「ローマは贅沢だ」

「だから腹が立つ」


相手の男は笑った。

船は揺れ、会話は波の合間に続いた。

怒りと冗談が交互に出てくるのを、相手は酒の味見のように受け止めている。

男はそれが気に入らなくもあり、ありがたくもあった。


やがて陸が近づき、港の匂いが濃くなる。

人の声。

荷車の軋み。

綱の擦れる音。

ブリンディシウムの輪郭が、潮の向こうに立ち上がった。


船が岸へ寄せられると、相手の男は最後にもう一度だけ尋ねた。


「ところであんたは誰なんだい」


男は一拍置いた。

名を名乗るのは簡単だ。

だが、今はそれが剣の鞘を抜くみたいに感じられた。

それでも彼は、舌を誇りにして生きてきた。

ここで黙る理由がない。


「マルクス・トゥッリウス・キケロ」

「しがない弁論家さ」


相手の男は目を丸くした。

次いで、港の喧噪より少しだけ大きい声で笑った。


「しがないって顔じゃないね」


キケロは鼻で笑い、足を踏み出した。

板が軋む。

海から陸へ移るその一歩が、九か月分の追放をまとめて踏みつけるようだった。

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