門を割く突撃
角笛の反響が谷を何度も往復していた。
それは合図であると同時に、残った力の数え歌でもあった。
ガルバは柵の上から外を見た。
斜面は黒く、黒は動き、石とテラが雨のように落ちてくる。
未完成の堡塁は傷だらけで、壕はところどころ浅い。
冬営は守りの形をしていながら、まだ守りきる硬さがない。
ウォルセヌスが傍へ寄る。
「閣下、兵の腕が落ちてきています」
ガルバは目を離さずに言う。
「落ちる前に使う」
バクルスが血の混じった唾を吐いた。
「守り続けるのは、もう無理だ」
副官が躊躇いを押し殺して口を開く。
「突撃を」
ガルバは一度だけ頷いた。
「門を幾つも開ける」
「同時にだ」
百人隊長が目を見開く。
「門を開ければ、逆に囲まれます」
ウォルセヌスが低く返す。
「囲まれる前に囲む」
バクルスが笑う。
笑いの形だけが残って、声は掠れている。
「敵は柵を取りに来ている」
「それなら、柵の前に立たせたまま殺してやる」
副官が言う。
「合図は一つでは足りませぬ」
ガルバは言った。
「角笛と旗だ」
「旗が見えぬ者は、隣の背を見ろ」
「背が出たら出る」
命令はそこまでだった。
余分な言葉は、疲労の上に乗れば毒になる。
兵は一息だけ止められた。
水が回り、肩が回り、握りが回復する。
回復といっても、傷が塞がるわけではない。
ただ、槍をまっすぐにする程度の余白が戻る。
谷の外で、敵の叫びが膨らんだ。
柵が崩れかけているのを見て、勝利が近いと信じた声だ。
角笛が短く鳴った。
旗が上がった。
門が軋み、複数の口が同時に開いた。
その瞬間、谷の形が変わった。
守りの輪郭だった柵が、刃の鞘になった。
ローマ兵は命じられた通り、何も考えずに飛び出した。
敵が事態を見て終結する暇を与えないために。
敵がまとまる前に、こちらが裂け目になり、裂け目が牙になった。
「前へ」
「盾を合わせろ」
声が重なる。
声は一つの歌になり、歌は足を揃える。
敵は陣地を取るつもりで近づいていた。
その近さが、今は裏目になる。
押し寄せた者から囲まれ、斜面へ退く道も、後ろへ逃げる道も、互いの背中で塞がる。
「横を取れ」
「逃がすな」
ローマ軍は、門ごとに異なる角度で突き刺さった。
一つの槍ではなく、三つ四つの槍が同じ腹へ入る。
敵は数を誇れたはずなのに、数が繋がる前に切断されていく。
三万と思われた押し寄せが、ここで肉の塊へ変わった。
その三分の一以上が谷底で動かなくなる。
残りは怖気づき、逃げ出した。
峰へ戻ろうとしても、戻る途中で味方に押し落とされる。
留まることすらできない。
「追うな」
ガルバの声が響く。
百人隊長が反射で叫び返す。
「追えば殲滅できます」
ウォルセヌスが怒鳴った。
「谷は夜に牙をむく」
「陣地へ戻れ」
兵は戻った。
武器を拾い、盾を集め、折れた槍を束ねる。
敵がすっかり逃げ去ったのを見届けて、門は閉じられた。
堡塁はまだ未完成だ。
だが今夜は、未完成でも壁になる。
夜。
天幕の中で、火が小さく息をした。
勝利の火ではない。
飢えを遠ざけるだけの火だ。
副官が言う。
「穀物が足りませぬ」
百人隊長が言う。
「敵の武器は山ほどあります」
「しかし食えるものがありません」
バクルスが肩をすくめた。
「勝っても腹は鳴るわな」
ウォルセヌスが静かに続けた。
「閣下、もう一度ここで運命を賭ける必要はありません」
ガルバは頷いた。
ここへ来た理由は冬営であり、路の確保であり、商人の通路だった。
戦争を積み重ねるためではない。
だが谷は、それを許さない。
穀物不足は、勇気では解決しない。
「明日、村を焼く」
ガルバが言った。
副官が目を伏せる。
「講和の地を」
「講和は夜に消えた」
ガルバは淡々と返す。
「ここを冬営地として使わぬと示す」
「そして急いでプロウィンキアへ戻る」
誰も反対しなかった。
反対できるだけの余力は、皆の腕から抜けている。
翌日。
松明が投げ込まれ、家々が煙を吐いた。
谷の空は狭いまま、黒く染まる。
「行軍開始」
副官が声を張る。
「負傷者は中央へ」
「盾は外側」
ガルバの軍団は谷を抜けた。
敵の妨害はなかった。
行軍を遅らせる影もなかった。
昨日折れた胆力は、今日戻っていない。
軍団はナントゥーアーテース族の地へ入り、さらにアロブロゲース族の地へ引き入れられた。
そこで冬営した。
空は広く、道は広い。
だが谷の冷えは、しばらく背中に残った。
この報は、やがて本隊の冬営地へも届いた。
伝令は泥だらけで、声も枯れている。
「ガルバ殿、谷で大戦」
「敵はセドゥニーとウェラグリー」
「三万ほど」
「突撃で撃退」
「翌日、撤収」
ラビエヌスは報告を聞き終えて、短く言った。
「生きて戻ったか」
ペディウスが腕を組む。
「講和のあとに山が動いたか」
「冬は人質より強いな」
クラッスス・ジュニアは地図板を引き寄せ、海沿いの線を指でなぞった。
自分が平定したと報告した土地だ。
だが平定とは、敵が黙っている時間の名にすぎない。
「大西洋沿いも、同じだ」
クラッスス・ジュニアが言う。
幕僚が言う。
「不穏の報せはありません」
「不穏は、報せより先に来る」
クラッスス・ジュニアが返す。
「第七軍団の冬営地を移す」
「アンデース族の方へ寄せる」
「見張りを厚くする」
ペディウスが眉を上げる。
「手間だぞ」
クラッスス・ジュニアは即答した。
「手間で済むなら安い」
命令が走り、兵が動き始める。
冬営が形を変える音が、あちこちで鳴った。
その最中。
荷をまとめながら、テオトニクスが空を仰いだ。
吐く息が白い。
白い息が、また次の行軍を告げている。
「また戻るんかいな!」
テオトニクスがそう叫んだ。




