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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第11章 三人の大賢人
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冬営地、合流

ベルガエの平原で勝報が固まった、と伝令が持ち込んだ夜。

「これで全ガリアは――」と誰かが言いかけて、言葉が火に吸われた。


クラッスス・ジュニアは地図板の上を指で叩き、淡々と告げた。


「冬営地が決まった。カルヌテス、アンデス、トゥロニー――ガリア中西部だ。本陣はそこへ落ち着く。……我らも合流する」


「やっと本隊の鍋が食えるんか」

テオトニクスが言った。

「海の魚より、あっちの粥のほうが恋しいわ」


セリスィンは笑わずに、しかし声は柔らかく返す。

「粥が恋しいと言う剣闘士がいるか」


「お前も恋しいやろ。言わんだけで」


クラッスス・ジュニアは二人のやり取りを聞き流し、命令だけを切った。

「百人隊長。道中、列を締めろ。合流の場で見苦しくするな」


「はい」

セリスィンが答え、すぐ兵へ向き直る。

「荷は軽く。靴紐は二重。遅れた者は列の外に置く」


「置く言うな、置く言うな」

テオトニクスが手をひらひらさせた。

「遅れた奴は俺が尻を蹴って前に出す。――おい、尻は鎧で守れんぞ」


兵が小さく笑い、行軍の空気が締まったまま軽くなる。


冬営地の外縁に近づくほど、ローマの匂いが濃くなった。

伐り出した木材、乾いた土の溝、煙の筋。

見張りの声が規則正しく回り、夜の火は等間隔に揺れている。


門前で止められることもなく、クラッスス・ジュニアの名が通ると、衛兵がすぐ道を開けた。


「クラッスス!」という声が走り、次の瞬間には懐かしい顔が幾つも現れる。


ペディウスが先に出てきた。鎧は傷だらけだが、歩き方は変わっていない。


「生きていたか」

ペディウスが言う。


クラッスス・ジュニアが頷く。

「お前もな。……ベルガエでは色々あったと聞いた」


「色々どころじゃねぇ」

ペディウスは鼻で笑った。

「“平定した”って言葉は便利だな。現場の汗まで平らにしやがる」


その後ろから、サビヌスが姿を見せる。

疲れた顔なのに、目だけが妙に冴えている。


「よく来た。海沿いの遠征はどうだった」


「勝ちました」

セリスィンが短く答える。


テオトニクスが横から言う。

「勝ったし、寒かったし、風が腹立つ海やった」


「相変わらずだな」

サビヌスが笑った。


ラビエヌスも遅れて現れた。

甲冑の音を立てずに近づく癖まで、昔のままだった。


「合流、ご苦労。――クラッスス、よく部隊を保った」


「副将殿も」

クラッスス・ジュニアが礼を返す。

「ベルガエの報は断片しか届かないけど、ペディウス、サビヌスが活躍したと聞いたぜ」


ペディウスが肩をすくめる。

「活躍って言うと聞こえはいいが、要するに“働かされた”ってことだ」


サビヌスが静かに補った。

「敵も味方も動いた。閣下の目が届かぬ距離で、我らが手足にならねばならなかっただけだ」


「その“だけ”が重い」

クラッスス・ジュニアはそう言い、今度は自分の側を示した。

「こちらも報せる。セリスィンとテオトニクスだ。沿岸での働きは見事だった。百人隊長に昇格させた」


ペディウスがセリスィンを値踏みするように見て、口の端を上げた。

「……なるほど。顔が昔より厄介になってる。百人隊長の顔だ」


「褒め言葉として受け取っておきます」

セリスィンが言う。


テオトニクスは大げさに胸を張った。

「どうや、ペディウス。敬礼いるか?」


「要らねぇ」

ペディウスが即答する。

「その調子で戦列だけは崩すな」


ラビエヌスは二人を一瞥し、淡々と頷いた。

「よく耐えた。剣闘士は一対一の場に慣れている。百人隊長は、百の恐怖を束ねる。――その顔は、束ねる側の顔だ」


褒められたのに、セリスィンの喉が少し乾いた。

束ねる、という言葉の重みが、剣より遅れて腹に落ちる。


それでも、合流の火は温かかった。久々に揃った名が行き交い、互いの無事を確かめる声が続く。


そして、誰かがふと口にした。


「……閣下は?」


その一言で、周囲の視線が一斉にラビエヌスへ集まった。

クラッスス・ジュニアも、そこで初めて不在の輪郭をはっきり掴んだ。

天幕の中心にいるはずの男がいない。

いるべき場所が、最初から空白になっている。


ラビエヌスは、答えを用意していた口調で言った。


「閣下はイタリアへ戻られた」


「ここを置いて?」

クラッスス・ジュニアが眉を上げる。


「置いたのではない。任せたのだ」

ラビエヌスは言い直した。

「属州の統治、政務、裁判――それに、感謝祭。十五日間に及ぶ」


「十五日……」

セリスィンが呟く。


テオトニクスが唇を尖らせる。

「戦争の指揮官が、政治も法も祭りもやるんか。ほんま、怪物やな」


セリスィンは同意しなかったが、否定もしなかった。

怪物――その言葉が、別の意味で胸に引っかかる。

アリオウィストゥスの怪物ではなく、カエサルの怪物だ。

人の器の大きさが、時に恐ろしく見える。


クラッスス・ジュニアが問いを重ねた。

「なぜそこまで急がれた。冬営に入り、ようやく息がつける時期だろう」


ラビエヌスは一瞬だけ目を細めた。

「急いでおられた。印象ではない。実際に、急いでおられた」


「何があった」

クラッススが短く問う。


「レーヌス河以東からも、我らの戦勇が響いた」

ラビエヌスが答える。

「人質を差し出すという使者が来た。だが閣下は、受け取られなかった」


「断ったのか」

クラッスス・ジュニア。


「先送りにされた。――『次の夏の初めに来い』と」


その場にいた者たちが、互いの顔を見た。

人質は勝利の証であり、支配の釘だ。

それを“今”ではなく、“次の夏”へ回す。

普通の将なら、目の前の成果を取りに行く。


「それを置いてまで、イタリアへ?」

セリスィンが言った。


ラビエヌスは頷いた。

「属州は兵站であり、金であり、法であり、民心だ。――閣下は戦場の外で戦っておられる。戦場の勝ちだけでは足りぬ、と」


テオトニクスが小さく息を吐いた。

「……ほんまに休む暇ないな。勝っても終わらん」


ペディウスが不機嫌そうに笑う。

「だから厄介なんだ、あの人は」


クラッスス・ジュニアは短く言った。

「我らは冬営を守る。副将殿、指揮は」


「私が執る」ラビエヌスが即答する。

「閣下が戻られるまで、動揺を出すな。噂を走らせるな。――“閣下不在”は、敵にとって蜜だ」


セリスィンはその言葉に、別の熱を覚えた。

戦争は剣だけではない。

席を立つ速度すら、武器になる。


テオトニクスが、いつもの調子を無理に取り戻すように言う。

「ほな、俺らは“蜜”にならんように働くか。……粥、食えるんやろ?」


ペディウスが顎で天幕の方を示した。

「食え。だが食ったら寝るな。冬営は戦場より油断で死ぬ」


クラッスス・ジュニアがセリスィンとテオトニクスを見た。

「明日から訓練だ。百人隊長の肩書きは、盾と同じだ。磨かなければ錆びる」


「はい」

セリスィンが答える。


「おう」

テオトニクスも答え、続けて小声でぼやいた。

「ねぎらいの冬営ちゃうんかい」


その夜、久々の合流の火は賑わった。

だが火の外側で、セリスィンはふと考えた。


カエサルは、勝ってなお急いでいる。

何かが次の季節に待っている――そう思わせる速さだった。

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