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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第2章 剣闘士
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初陣

重い鉄格子の扉が開いた瞬間、熱風がセリスィンの頬を叩いた。


光。砂。乾いた土の匂い。


一歩踏み出すと、割れんばかりの歓声が全身にぶつかってくる。耳が痛い。心臓が速い。


セリスィンは思わず辺りを見回した。


――全員が見ている。


自分たち剣闘士の一挙手一投足を、獲物を見る目で。


事前に言われていた通り、左側へ回る。反対側の扉から現れた二人の戦士のうち、片方が同じようにこちらへ回ってきた。


こいつが相手だ、と一瞬で分かる。


体格は成人男性として標準。セリスィンより明らかに大きい。顔も装具も見慣れない――別の養成所ルドゥスの剣闘士だ。


合図はないらしい。始めるのは自分たちの判断。周囲では、もう片方の組が剣を交え始めていた。


セリスィンは息を吸い、吐き、相手の足元を見る。


じりじりと間合いを詰める。


五歩、四歩、三歩――一パッスス(歩幅)ほどまで近づいたところで、相手が先に動いた。


鋭い剣戟。


セリスィンは受けた。受けた瞬間、腕が痺れる。模擬戦の刃引きとはいえ鉄は鉄だ。衝撃の重さが違う。


相手は間を与えず、二太刀、三太刀と畳みかけてくる。


セリスィンは捌き、耐える。だが自分から踏み込むのが遅れる。


(……緊張してる)


大勢の前で戦う、というだけで身体が言うことを聞かない。


攻めた瞬間に返されて終わったら?


その場で負けるだけならまだいい。だが観客の機嫌を損ねれば、何が起きる。剣闘士は娯楽だ。娯楽を壊した者への扱いは――。


死、という言葉が頭をかすめた瞬間、首筋がぞわりと粟立った。


相手は場慣れしている。動きに硬さがない。勝ち方も負け方も、もう知っている剣だ。


それでも、剣戟を交わすうちにセリスィンは気づいた。


自分の動きが、少しずつ滑らかになっている。


――見える。


観客のざわめき。息の波。相手の呼吸の乱れ。もう一方の組の足音。砂の跳ね方。自分の鼓動。


不思議と、時間が薄く伸びたように感じた。意識は冷え、身体だけが勝手に正しい場所へ動く。高揚でも恐怖でもない。


ただ、冷静さと緻密さだけが残る。


そのとき、場内が湧いた。


ちらりと視線を走らせると、もう片方の組は決着している。勝った剣闘士が腕を上げ、負けた方は膝をついていた。


セリスィンは視線を戻し、呼吸を合わせ直す。


「頑張れ、坊主!」 「負けるな!」


観客の声が、今度ははっきり届いた。


(坊主じゃねえ)


心の中で返しながら、セリスィンは踏み込んだ。


剣戟の速度が上がる。圧が変わる。


さっきまで攻めていた相手が、受けに回る。逆転だ。セリスィンは自分でも気づかないうちに口元を緩めていた。


その笑みが相手を追い詰める。相手の呼吸が乱れ、防具の擦れる音が急に雑になる。


一太刀、二太刀、三太刀。


止まらない。砂を刻む足が止まらない。


相手の剣が、弾かれて宙を舞った。


セリスィンは間髪入れずに剣先を相手へ突きつける。


静寂が落ちた。


次の瞬間、歓声が波になって押し寄せる。


そこでようやくセリスィンの意識が現実へ戻った。三百六十度の観衆がうねっている。見とれてしまう。身体が急に重い。手が痺れている。汗が冷える。


セリスィンは息を吐き、係の誘導に従って通路へ下がった。


◇   ◇   ◇


「やるじゃねえか」


控え室へ戻ると、バナンテが声をかけてきた。


「どうも」


セリスィンは短く頭を下げる。


「初戦を生き残るどころか、勝って戻ってきたじゃねえか」


バナンテがニヤリと笑う。


セリスィンは自分の手を見た。まだ震えが残っている。だが、その震えが嫌じゃない。


「剣闘士ってのは……」


呟く。


「存外、悪くない」


「そりゃいいこった」


バナンテは手をひらりと上げて、去り際に言った。


「腕っぷしも大事だが、戦いを楽しめ。剣士にとって、それが一番だ」


そう言い残し、自分の出番へ向かっていった。


セリスィンは腰を下ろす。


割れんばかりの歓声。剣戟の衝撃。相手の息遣い。


「……これが、円形闘技場か」


うっすら笑みを浮かべたままのセリスィンを、今は誰も気に留めない。


◇   ◇   ◇


それからの日々は、あっという間だった。


バナンテも自分の試合で勝った。


その夜、祝賀の席が設けられた。


腕を折ったカルガンダは二か月後に現場へ戻った――少なくとも、表向きは。


そしてセリスィンは、剣闘士になってから四つの試合と、獣を相手にした見世物をいくつかこなし、勝ちを重ねていく。


名は少しずつ広がった。


“無名の孤児”だったはずの少年が、観客に呼ばれ、賭けの札に書かれ、噂の種になる。


その始まりが、この日だった。

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