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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第10章 そして、冬営へ
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非情

追撃は、終わり方が見えないまま長く続いた。


「まだ走れるか!」

「走れ! 止まったら置いていくぞ!」


ゲルマーニーは敗走しながら、次から次へと倒れていった。

倒れていくのは“兵”だけじゃない。荷、車、旗、声——誇りそのものが地面に落ちていく。


セリスィンは息を吐いて、また前へ出る。

追う側の足音が増えるほど、胸の奥が冷える。勝っているのに、冷える。


そこへ一報が飛び込んだ。


「報告! アリオウィストゥスの——娘一人と、妻一名、殺害!」


伝令の声は事実だけを置いていく。

周りの兵が「よし」とは言わない。ただ、追撃の速度が少し上がる。王の背中に刃が近づいた証拠だからだ。


セリスィンだけが、足の裏に嫌な感じを残した。


「……敵でも、嫌なもんは嫌だ」


テオトニクスが横で短く言う。


「せやけど、追っかけっこは“そうなる”やろ」

「向こうも車に女乗せて鼓舞しとった。戦の中に置いたら、戦の中で死ぬ」


正しい。正しいのに、胃が気持ち悪い。

セリスィンは返事をしなかった。


二、三日は走った気がする。

追い打ちをかけるたびに、距離は勝手に膨れていった。いつの間にか四十、五十キロ。


「……どこまで逃げるつもりだ」


クラッスス・ジュニアが言うと、ペディウスが吐き捨てる。


「逃げるのが上手い奴ほど厄介だ。——だが、逃げる奴は疲れる」


デキムスは言葉を挟まない。馬上で、ただ前だけを見る。

追撃は彼の顔を変えない。


そしてその途中、隊の先が妙な“塊”にぶつかった。


戦士だけじゃない。女と子どもがいる。

逃げ遅れた、というより“逃げてきた”集団。


「止まれ!」


槍が向く。子どもが泣き声を上げる。女が前へ出ようとして、押し戻される。


ヘドゥイーの者が前に出て、ガリア語で問いかけた。返ってきた言葉を聞いて、顔色を変える。


「……閣下、いや、将軍方。こいつら——アリオウィストゥスの、もう一人の妻と娘らしい」


空気が一段落ちた。

“王の家族”は、戦場ではただの捕虜じゃない。矢にも盾にもなる。


デキムスが馬から降り、剣を抜いた。抜き方が静かすぎて怖い。


「どこだ」


通訳越しに女へ突きつける。


「アリオウィストゥスはどこにいった」


女は答えない。娘も答えない。

泣きもしない。ただ、目だけが硬い。


デキムスが一歩詰める。


「お前が黙るほど、お前らの首は安くなる」


女が初めて口を開いた。声は小さいのに、折れていない。通訳が訳す。


「言いません」

「私は——彼と出会って幸せでした」


セリスィンの胸が、きゅっと縮んだ。

敵の妻であっても、言葉は言葉として刺さる。


デキムスは一拍、女を見てから言った。


「……そうか」


次の瞬間、剣が走った。

迷いのない、短い一閃。


女の身体が崩れ落ちる。娘が息を呑み、声にならない声を漏らす。

周囲の兵も、ほんの一拍だけ固まった。


セリスィンの中で、何かが切れた。


「……っ、おい!」


怒鳴り声が遅れて出る。


デキムスの視線が、今度は娘へ滑る。刃が、わずかに上がる気配。


セリスィンは反射で前に出た。


「やめろ!」


デキムスの軌道に割って入り、娘の前に立つ。


デキムスはセリスィンを見ないまま言った。


「どけ」


「どかない」


「お前、また“戦場の外”を持ち込む気か」


「外じゃない。——中だ。中にいるのはお前の方だろ」


テオトニクスが慌てて間に入る。


「おいおいおい、また始まるんか!」


クラッスス・ジュニアも馬から降り、声を荒げた。


「やめろ! 今それやってる場合じゃない!」


だがセリスィンは退かなかった。

デキムスも退かない。視線がぶつからないのに、刃だけがぶつかる。


「罰するなら俺を罰しろ」

セリスィンが言う。


デキムスが低く返す。


「俺が罰を決める立場じゃねぇ。——だが俺が止める立場だ」


「止めるなら、そっちを止めろ!」


刃が、互いの刃へ寄っていく。

また喧嘩が勃発する、その一歩手前。


そこへ、軽い足音が入った。


「おいおい」


カエサルだった。血と土の中でも、妙に軽い声。


「追撃中に決闘か? 元剣闘士らしいね」


セリスィンが息を飲む。デキムスの刃が一瞬止まる。


カエサルは笑って、わざと火をくべるように言った。


「戦え戦え。——どうせなら、勝った方が責任を持て」


「女と子どもを斬る責任か? 守る責任か? どっちでもいい。勝った方が背負え」


その言い方が、逆に冷や水だった。

“勝った方が背負え”は、喧嘩を遊びにしない言葉だ。


テオトニクスが叫ぶ。


「閣下、冗談きついっす! 今は追撃や!」


クラッスス・ジュニアも噛みつく。


「閣下、止めてください!」


カエサルは肩をすくめた。


「止めてるよ。——お前らが止めたいなら止めろ。俺は追う」


その一言で、空気が現実へ戻った。


ペディウスがデキムスの前へ出る。


「デキムス。刃を収めろ。——今は王だ」


テオトニクスがセリスィンの腕を掴む。


「セリスィン。お前もや。……今ここで割れたら、ほんまに終わる」


セリスィンは歯を食いしばり、剣を下げた。

デキムスも、遅れて剣先を落とす。


カエサルが娘を一瞥して言った。


「殺すな。捕虜だ。——鎖をつけろ、だが乱暴はするな。情報は口じゃなく足で運ばせる」


兵が動き、娘は泣き声を堪えたまま連れて行かれる。

女は最後まで、デキムスもセリスィンも見なかった。ただ前を向いていた。


テオトニクスが、セリスィンの耳元で囁く。


「……お前、またデキムスとやり合うとこやったぞ」


セリスィンは息を吐く。


「……あいつが、女と子どもを“壁”としてしか見えないなら、俺は——」


「分かる。分かるけど、今は追うんや」

テオトニクスが強く言う。

「怪物を止めな、これがずっと続く」


セリスィンは前を見る。

逃げる王。逃げる軍。追うローマ。捕虜の列。


終わっていない。

むしろ“終わらせ方”が問われ始めている。


カエサルが前方へ声を投げた。


「行くぞ。追撃を続ける!」


その声で隊が動き出す。

セリスィンは剣を握り直し、走り出した。


冬営へ向かう道は、まだ血で濡れていた。

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