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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第10章 そして、冬営へ
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左翼へ

戦況は極端だった。


右翼――カエサルが入った側は、敵の弱点である左翼へ深く刺さっている。

ローマ優勢。押しているというより、相手の形を壊しながら前へ進んでいる。


中央――さっきまで沈みかけていた線は、セリスィンとテオトニクスが入ったことで持ち直し、今は逆に押し返している。

ゲルマーニー優勢から、ローマ優勢へ。わずかな差だが、差がつけば一気に崩れる種類の差。


だが――左翼。


敵の右翼が、ローマの左翼を押していた。


「左翼がだいぶ押されています!」


伝令の声が裂ける。

盾が鳴り、叫びが重なり、左の方角だけ音の色が違う。沈む音だ。


その報は、右翼のカエサルに届くのも早かった。


「左翼が押されている?」


カエサルは一瞬だけ戦場全体を見渡した。目だけで線を描き直す。

そして即断した。


「プブリウス!」


クラッスス・ジュニアが顔を上げる。


「左翼を頼む」


「了解!」


カエサルは続けざまにペディウスへ向けて言う。


「ペディウス。ジュニアの補助を頼んだ」


ペディウスが頷く。


「任せろ」


クラッスス・ジュニアが馬首を返しかけて、ふっと止まった。


「閣下。一つ頼み、聞いてくれないか」


カエサルは半歩だけ近づき、軽く顎を上げる。


「言え」


クラッスス・ジュニアは戦場の中央を顎で示した。

セリスィンとテオトニクス。二人が入ってから、線が戻った場所。


「あの二人――セリスィンとテオトニクスも連れて行っていいか?」


カエサルは一瞬、目を細めた。計算する目。

次の瞬間、口元だけで笑った。


「好きにしろ。勝つために」


「感謝する」


クラッスス・ジュニアは馬を蹴った。


中央。


セリスィンは盾の縁で相手の槍を弾き、足を一歩だけ前に置いた。

置いた瞬間に味方が詰める。線が太くなる。


テオトニクスが叫ぶ。


「今や! 押し返せ!」


その声に合わせて、ローマの列が息を揃える。


そこへ、鎧の音を切ってクラッスス・ジュニアが飛び込んできた。


「お前ら!」


セリスィンが振り向く前に、クラッスス・ジュニアが短く言い切った。


「左翼だ。サポートに来い」


テオトニクスが一瞬で理解する。


「左翼が押されとるんか」


「押されてる」

クラッスス・ジュニアは視線を左へ投げる。

「このままじゃ割れる」


セリスィンは頷き、すぐ聞き返した。


「……でも、どうやって左翼まで行く。ここから走ったら線が崩れる」


「崩さない」

クラッスス・ジュニアが即答する。

「“運ぶ”」


テオトニクスが眉を上げた。


「運ぶ?」


「こうや」


クラッスス・ジュニアは馬を寄せ、セリスィンの腕を掴む。


「え——」


セリスィンが言い終える前に、クラッスス・ジュニアは力任せに引き上げた。

鎧の重さが一瞬で宙に浮く。馬の背が近い。セリスィンは鞍の縁に手をかけ、歯を食いしばって跨った。


「馬、大丈夫かよ!」


思わず出た声に、クラッスス・ジュニアが笑いながら返す。


「少しの間なら耐えれるわ。うちの馬をなめんなよ」


同時に、ペディウスがテオトニクスへ馬を寄せた。


「お前も来い」


「おいおい、俺もかい!」


「黙って乗れ。落ちたら引きずるぞ」


「ひでぇ!」


それでもテオトニクスは器用に鞍へ上がった。

さっきまで“騎兵ごっこ”していたのとは違う。今は戦場の馬だ。


ペディウスが短く言う。


「掴まれ。揺れたら骨が折れる」


「骨は慣れとる……って言いたいけど、これは慣れてへん!」


セリスィンは手綱ではなく、馬のたてがみに近い部分を掴んだ。

自分の足で動く感覚が消える。心臓が速くなる。だが、左翼へ行く距離は脚より馬が速い。


クラッスス・ジュニアが前を見る。


「行くぞ」


ペディウスが応じる。


「左翼まで一直線だ。——道を開けろ!」


四人は走った。


中央の線を崩さないよう、残された兵たちが瞬時に穴を埋める。

セリスィンは馬上から一瞬だけ振り返り、中央が持ちこたえているのを見て、息を吐いた。


(役目が変わった)


今は“押す”側ではない。

“割れないように繋ぐ”側だ。


テオトニクスが、前方の土煙を見て言った。


「左翼、ほんまにやばそうやな……」


クラッスス・ジュニアが短く答える。


「だからお前らを呼んだ」


ペディウスが吐き捨てる。


「間に合わなきゃ、ここまでの勝ちが全部無駄になる」


馬の蹄が戦場の土を叩き、四人は左翼へ向かった。

そこは、次の“穴”が開きかけている場所だった。

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