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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第9章 ゲルマンの怪物
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新月の前

翌日。


「両方から出す」


カエサルは地図板を指で叩き、命令を落とした。


「小さな陣地と、大きな陣地、両方から部隊を出す。——大きな陣地から僅かに前進して陣を敷け。敵を誘い出す」


ラビエヌスが即座に復唱する。


「大陣から前進、戦陣を見せる。小陣は呼応して動く。敵に“機会”を見せる」


「機会を見せて、飲ませる」カエサルが軽く言った。「飲まなきゃ、それも答えだ」


午前の平原。


ローマの戦列が前へ出る。盾が揃い、槍が並び、旗が揺れる。

“来い”という形の言葉。


だが、ゲルマーニーは出てこない。


騎兵も、軽装も、あの一万六千も、影すら見せない。

遠くの火と、遠くの土煙の気配だけがある。


「……出ねぇな」

百人隊長が唸る。


「なぜ、やつらは出てこない」

誰かが苛立ちを押し殺して言う。


「このまま、何月にも渡って長引かせる気か?」

別の声が続いた。


午前の静けさが、嫌な重さを持つ。

戦陣を敷いて待つ時間は、剣で殴られるより心が削れる。


正午近く、カエサルが手を上げた。


「戻る」


「戻るぞ!」

百人隊長たちが叫び、列が整然と引く。


誘いが効かない。効かないということは、相手に別の狙いがある。


ローマ軍は、もやもやしたまま陣へ戻った。

“勝てる形”を作っているのに、相手がそこへ入ってこない。闘技場ではあり得ない種類の苛立ちだ。


そして、その苛立ちを嘲笑うように――


午後、見張りが叫んだ。


「小陣地だ! 小陣地が叩かれてる!」


「騎兵! 軽装も混じってる!」


アリオウィストゥスが、部隊の一部を出して小さな陣地を襲撃したのだ。

まるで「欲しいところはそっちだ」と言うように。


テオトニクスが歯を食いしばって吐き捨てる。


「……ローマを手玉に取りよる」


セリスィンは盾を握り直す。


「誘いには出ないで、穴には刺す。——いやらしい」


競り合いは激しかった。


柵際で投げ槍が飛び、盾が弾き、土塁の上で叫びが上がる。

戦列は崩れないが、削られる。削られても戻らない。


夕方まで、押し合いが続いた。


「負傷者運べ!」

「水! 布! 槍を回せ!」

「押すな、抜けるな!」


多くの傷を受け、多くの傷を負わせた。

それでも決定打はない。決定打を打つ前に、日が傾く。


日暮れ。アリオウィストゥスの部隊は引いた。

“奪う”より“試す”ように。こちらの反応と疲労を測って帰っていく。


ローマ側にも、追撃の声は出なかった。

追えば、昨日の再現になる。相手の選んだ距離で殴り合うだけだ。


夜。


捕虜が引き出された。

襲撃のどさくさで捕らえたゲルマーニーの兵だ。泥と血で顔が固まり、目だけがぎらついている。


カエサルは火の近くで座り、短く問うた。


「なぜ、アリオウィストゥスは攻めてこない」


通訳が訳す。捕虜が唾を吐き、言う。通訳が、少し言いにくそうに言葉を選んだ。


「……ゲルマーニーの間では、主婦が籤や占いで戦争の吉日を決める習慣があるそうです」


「主婦が?」ペディウスが眉を上げる。


捕虜が続ける。通訳が訳す。


「新月より前に戦えば、ゲルマーニーが勝つことはない、と告げている——そのため、今は大戦を避けているのだと」


その瞬間だった。


カエサルの口角が、今までで一番上がった。

笑いというより、“噛み合った”顔。


「……これだ」


ラビエヌスが目を細める。


「これ、とは?」


カエサルは楽しそうに言った。


「待ってた理由が分かった。——やつのことだから、もっと知的な策略を練っていると思ったが……呪いの類か」


クラッスス・ジュニアが思わず笑う。


「勝ちましたね」


ペディウスも鼻で笑う。


「敵の“作戦”が月待ちってのは、助かる」


カエサルは笑いながらも、指を一本立てた。


「油断大敵だがな」


そして、笑いを切って命令の声に戻す。


「明日、攻め込むぞ」


火の周りの空気が変わる。

さっきまでの“もやもや”が、一本の線になる。


待つ理由が分かった。

なら、待つ必要はない。


セリスィンはその命令を聞いて、胸の奥の重さが少しだけ動いた。

怪物が知的かどうかじゃない。勝てる時に殴る。それが戦争だ。


テオトニクスが小さく言った。


「新月前に勝てへんのやったら……明日勝てばええだけや」


セリスィンは頷いた。


「……ああ。明日、終わらせる」

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