総司令官の役目
「……こんなでかい天幕、久々に見たな」
誰かが漏らした。返事はない。
柱が増やされ、布が二重に張られ、いつもより“会議”の匂いが濃い。
集まったのは隊長格以上――四百三十。
普段なら百三十前後で済む場だ。数が増えた分だけ、空気が重い。重いのに、どこか落ち着かない。噂の残り火がまだ息をしている。
カエサルは中央に立った。椅子には座らない。視線だけで全員を一度なぎ、口を開く。
「まずもって――今回のお前たちには失望した」
ざわり、と来そうなところを、誰も動けない。
言い訳の準備をする暇も与えない速度で、カエサルは続けた。
「アリオウィストゥスは、俺が執政官の時にローマへ“向こうから”友好を強く求めてきた。向こうからだ」
指を二回、空で叩く。強調はするが、怒鳴らない。
「それを今、また向こうから壊そうとしている。……面白いよな」
誰も笑わない。
カエサルは肩をすくめる。
「もし奴が正常な人間なら、ローマとの約束を反故にすることはない。——そして仮に、怒り狂ってきたとて。何を恐れる必要がある?」
天幕のどこかで唾を飲む音がした。
カエサルは歩きながら言う。
「ゲルマーニー人とは、先代のマリウスの時に既に対戦している。キンブリ族とテウトニ族を壊滅した時だ」
古参の百人隊長が小さく頷く。名前は“物語”として兵の背骨に残っている。
「その後、スパルタクスの時はどうだった?」
カエサルはわざと問いかけるように言った。
「俺たちローマから学び取った戦術で、少しは渡り合うようになった。……だがこれも破った」
誰かが、声にならない同意の息を吐く。
カエサルは指を折っていくように、さらに畳みかけた。
「ヘルヴェティ族でさえ、しばしばゲルマーニー人に勝つことがある」
その“でさえ”に、ヘルヴェティ戦をくぐった者たちの肩が微かに動く。
「そのヘルヴェティを破ったのは――どこのどいつだ」
誰かが胸を張りかけて、すぐ飲み込む。張るだけの元気が戻っていない。
カエサルはそこで声の温度を変えた。軽さが消え、刃だけが残る。
「自分の恐怖を、穀物の供給や道の狭さのせいにするな」
「それは“指揮官の務め”を見限って命令するようなものだ。断じて、貴様らの役目じゃない」
天幕が静まり返る。
言い訳の喉が、ここで塞がれる。
「それを心配するのは——紛れもなくこの俺だ」
言い切ってから、カエサルは少しだけ息を吐き、また軽い調子に戻した。
「それで?」
視線が刺さる。
「出撃命令が出ても、俺の命に従わないとか言ったやつもいるな」
数人が背筋を正し、何人かが視線を落とす。
「それは全くもって無視だ」
カエサルは指で自分の胸を指した。
「将軍に兵がつかなくなるのは二つだ。戦略を誤って幸運に見放された場合か、金銭欲に駆られて不正行為に走った場合」
そして、間髪入れずに言う。
「……こんなの俺に関係あるか?」
「ここは笑うところだぞ」
カエサルがそう言っても、天幕は静まり返ったままだ。
笑えない。笑ったら“恐怖を隠した”みたいに見える。そういう顔が並んでいる。
その静けさを、別の声が破った。
「もうええやん、閣下!」
場違いなくらい明るい声。
テオトニクスが、いつもの調子で一歩前に出ていた。
「ビビりは置いといて、俺やセリスィンみたいなん、隊長にしていきましょや。な? 先頭立って走りますわ」
どよめきが走る。
不敬と取る者もいれば、救いと感じる者もいる。半々だ。
カエサルは眉を上げ、次いで口元だけで笑った。
「いいね」
そしてテオトニクスを指差す。
「流石、剣闘士は“猛獣扱い”に慣れているな」
そこで初めて、乾いた笑いが起きた。
喉が渇いた笑いでも、久々に空気が緩むのが分かった。
テオトニクスが言い過ぎたのに、成立した。
ふざけているのに許された。――それは、こいつが口だけじゃないと皆が知っているからだ。
カエサルはその笑いを逃さず、畳みかけるように言う。
「よし。笑えたな」
「なら動ける。笑えない奴は、明日も噂に食われる」
一人、また一人と、顔が上がっていく。
恐怖が消えたわけじゃない。ただ、恐怖の上に“命令”が戻ってきた。
カエサルは天幕を見回し、最後に言った。
「以上だ。噂はここで終わり」
「明日からは足で話せ。——俺が前に出る。ついて来い」
乾いた笑いの余韻が、命令の形に変わっていく。
この場を動かしたのは理屈だけじゃない。叱責だけでもない。
“笑え”という命令と、空気を割ったテオトニクスの一言。
それが、折れかけた背骨をもう一度立て直していた。




