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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第9章 ゲルマンの怪物
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「……ウェソンティオは取った。今日は休め」


そう言われても、休息は“安堵”の形では来なかった。

城内の酒場やいちから、別のものがじわじわ入ってくる。


「聞いたか? ゲルマーニー人は熊みたいな体格だってよ」


「冗談だろ」


「冗談じゃない。見た商人が言ってた。肩幅が人間じゃないって」


「眼がな……眼光が違う。顔つきだけで縮むって」


「力もだ。重荷を軽々持ち上げる。馬みたいに」


兵の輪に、商人が混じる。ガリア人の案内役も混じる。

誰もが“見た”と言い、“聞いた”と言い、最後には“確かだ”と言う。


「……お前、実際に見たのか?」


「見てねえ。でも見た奴が――」


「それが噂だろ」


「噂でも死ぬ時は死ぬ」


笑いが消える。

その夜から、声の調子が変わり始めた。


「百人隊長、お願いがあります」


「なんだ」


「急用です。休暇を。すぐ戻りますから」


「いま“すぐ戻る”と言ったな? 前線で?」


「……家が。親が……」


「親の顔を見に帰って、次は誰の親が死ぬと思ってる」


「……」


別の天幕では、もっと露骨だった。


「おい、靴紐、結べよ」


「……」


「おい。聞こえてんのか」


「……動くと、怖い。動かなきゃ、まだ……」


「まだ、なんだよ」


「まだ死んでない」


言葉が詰まる。


「お前……泣いてんのか?」


「泣いてねえ」


「泣いてるだろ。顔見ろよ」


「……俺、ここで終わりだな」


「やめろ、そんな言い方」


「だって相手、熊だろ?」


「熊に負けたら、俺らは何だ」


「……獲物」


「……」


別の火のそばでは、囁きがひどく湿っていた。


「遺言、書いたか?」


「は?」


「書けよ。書いとけ。書かないと残らない」


「縁起でも――」


「縁起で死ぬなら安いもんだ」


そう言って、板切れに爪で文字を刻む者まで出た。

紙ではなく、削って残す。生き残れない前提の手つき。


それが、若い兵だけの話ではなくなっていく。


「百人隊長ルキウスが……顔色悪いぞ」


「嘘だろ。あの人が?」


「騎兵の指揮者もだ。さっき“馬が嫌がってる”とか言ってた」


「馬が、って……」


「理由を探してるだけだ。怖いから」


経験のある者、血を見慣れた者、列を保ってきた者まで、噂に腹を刺される。

“敵の強さ”より、“自分の知らない強さ”が怖い。


セリスィンは城壁の陰でそれを聞き、唇の内側を噛んだ。

(まただ。剣じゃないところで崩れる)


そこへ、テオトニクスが来た。火の外側の暗い場所まで、わざわざ寄ってくる。


「あーあ……なんやこの情けない面は」


吐き捨てるように言ってから、テオトニクスはセリスィンを見た。


「お前は?」


「……何が」


「怖いんか」


セリスィンは一拍置いた。


「まさか。噂が一番怖い」


「せやな。噂は殴れへんしな」


テオトニクスが笑おうとして、笑えずに鼻で息を吐いた。


翌日、ついに“もっともらしい言葉”として噂が出世した。


副官格の者が、ラビエヌスに言う。


「将軍。進言があります」


「言え」


「アリオウィストゥスのいる方角には大森林があると。補給――物の供給が滞る恐れがあります」


別の者も、声を重ねる。


「陣地を動かしても、前進を命じても、兵が言うことを聞かないかもしれません」

「無理に動かせば、隊列が割れます」


ラビエヌスが淡々と返す。


「兵が“言うことを聞かない”のは、命令の問題じゃない。心の問題だ」


「だからこそ、いま――」


言いかけたところで、奥から軽い声が割って入った。


「もういい」


カエサルだった。椅子に座っていたのに、立ち上がる気配だけで空気が変わる。


「森林? 補給? 兵が動かない?」


カエサルは首を傾げる。


「……お前ら、俺に“動かない軍をどう動かすか”って相談してんのか。面白いね」


誰も笑えない。


カエサルは一歩だけ前へ出て、指を鳴らした。


「もういい」


そして、声を落としもせず、怒鳴りもせずに命じた。


「一度、全百夫長以上を集めろ」

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