イテル・マクシムム
「行軍には三つある」
ラビエヌスが兵の前に立ち、指を一本ずつ立てていく。百人隊長たちがそれを自分の班へ割って伝え、列の空気がじわりと固まった。
「一、通常時の行軍――イテル・ユストゥム。五時間で二十五キロ」
「二、強行軍――イテル・マーニウム。七時間で三十〜三十五キロ」
「三、最強行軍――イテル・マクシムム。日夜問わず、行けるだけ行く」
誰かが小さく息を呑む音がした。三つ目は、言葉として知っていても“来てほしくない”やつだ。
カエサルが軽い調子で割り込む。
「今回は二でいく。まずはイテル・マーニウムだ。足を慣らせ」
冗談みたいな言い方なのに、誰も笑わない。笑ったら息が乱れる。
ビブラクテを離れて三日。
強行軍は、距離を縮めるというより、兵の中の「余計なもの」を削っていく。
歩く、飲む、噛む、歩く。眠りは短く、火は小さい。夜は夜として存在するのに、身体には“続きの昼”として残った。
三日目の昼、伝令が馬を潰す勢いで戻ってきた。
「報告! アリオウィストゥスが全軍を率いて動きました!」
「セークァニー最大の町――ウェソンティオを占領しようと急いでいます!」
「向こうも現在の拠点を出発し、三日の行程で来る見込み!」
ラビエヌスが即座に確認する。
「こちらも三日。向こうも三日……同着だな」
カエサルは肩をすくめた。
「同じなら、勝負は“止まらない方”だ」
その場で判断が落ちる。
「ギアを上げる」
ラビエヌスの顔が変わった。
「閣下、二から三へ?」
「そう」
カエサルは軽く言った。
「昼夜兼行。イテル・マクシムムで行く」
百人隊長たちが互いに目を見交わし、次の瞬間には声が連鎖した。
「荷を軽くしろ!」
「重い革袋は捨てろ、替えは現地で取る!」
「靴紐締め直せ、切れたら終わりだ!」
「寝るなじゃない、歩きながら寝るな!」
セリスィンはその怒号を聞きながら、胃の底が冷えるのを感じた。だが足は前に出た。前に出るしかない速度だった。
ウェソンティオは、ただの“町”じゃない。
セークァニーの案内役が息を切らしながら言った。
「ここには戦に使う物資が揃います。穀物、鉄、革、木、道具……全部です。取られたら、あいつらの腹が満ちます」
ラビエヌスが淡々と返す。
「腹が満ちた敵は居座る。——居座られたら終わりだ」
カエサルが短く言う。
「だから先に取る」
夜も歩いた。夜明け前も歩いた。
兵が「歩く」こと以外を考えられなくなる頃、ようやく城壁の影が見えた。
「……着いたぞ」
誰かがそう言った時、歓声は起きなかった。代わりに、胸の奥から息が抜ける音が列を走った。
“間に合った”という息だ。
カエサルが門を見上げる。
「入る。門を固めろ。——寝るな」
町に入った瞬間から、もう次の手に移っている。
ウェソンティオは確かに“戦場向き”だった。
案内役が川を指す。
「ドゥビス河です」
川が、町を囲っている。横にあるのではない。コンパスで半円を描くように、ぐるりと抱き込む。自然の堀。逃げ道を削る形。
ラビエヌスが目を細める。
「川沿いは守りが硬い。問題は——川が触れていない“出口”だな」
案内役が即答した。
「そこは短い。二百メートルもありません」
セリスィンが目を凝らすと、その切れ目の向こうに山が立っている。城壁ではなく、地形そのものが壁になっている場所だ。
カエサルが、その山を見て言った。
「砦が置ける」
ラビエヌスが頷いた。
「置けます。二百メートル未満なら、土塁と柵で塞げば輪が閉じる。川と山で、町が袋になります」
カエサルが軽く手を叩く。
「よし。山に砦を築け。出口を塞げ。荷は一箇所にまとめろ。——ここを押さえた瞬間、向こうの選択肢が減る」
命令が飛び、兵が動き出す。
疲労で顔が死んでいるのに、手だけは生きている。ローマ軍の怖さはそこにある。
セリスィンは川の曲線を見下ろし、かすれた声で言った。
「……最初から、要塞みたいな町だ」
隣でテオトニクスが短く笑う。
「せやな。ここは“逃げにくい”町や。……だからこそ、先に取らなあかんかった」
セリスィンは頷いた。
逃げ道が少ない、ということは——追い詰めるのにも、追い詰められるのにも向いている。
ウェソンティオを先に取った。
戦場を先に選んだ。
次は、アリオウィストゥスが来る。
古手が来る。その前に新手が来るかもしれない。
最強行軍で得た一日の先行は、ここで命になる。




