ゲルマンの脅威
「閣下、使節です。二組」
幕舎の入口で衛兵が告げると、カエサルは紙束をまとめたまま顔を上げた。
「昨日は脅し。今日は何だ」
ラビエヌスが苦く笑う。
「悪い知らせが続く時は、知らせの方が行軍より速い」
「入れ」
最初に入ってきたのはヘドゥイーの使節だった。汗と土で顔が黒い。礼をとる余裕がない。
「執政官カエサル……!」
通訳が間に入り、言葉を整える。
「ヘドゥイー族より訴え。最近ガリアに移ってきたハルーデース族が領地を荒らしています。村が焼かれ、家畜が奪われ、人が連れ去られています」
ヘドゥイーの使節が堪えきれず、通訳を待たずに叫ぶ。
「我らは人質も出した! なのに、アリオウィストゥスの恐怖支配は止まらない!」
カエサルは肘をついて聞いている。怒っていない。だが目が薄く冷える。
「人質を出したのに、荒らされてる?」
ラビエヌスが確認する。
「“守ってやる”の対価が人質なのに、“守り”がない。つまり支配だけだ」
使節が頷く。
「はい……我らは、首輪を二重にされた」
カエサルが軽く指を鳴らした。
「分かった。で、お前らは?」
次に入ってきたのはトレーウェリー族の使節だ。こちらは言葉が速い。恐怖が背中を押している。
「執政官! レーヌス河岸にスエービーがいる!」
通訳が即座に拾う。
「トレーウェリーより報告。ハルーデースと同じく、ゲルマーニー最強と謳われるスエービー族――その百のパグスがレーヌス河岸に集結しています」
「百のパグス?」とカエサル。
使節が答える。
「百だ。数えた。川沿いが、奴らの煙で曇っている」
通訳が補足する。
「そして彼らは、ナスアとキンベリウスという二人の兄弟が導いているとのこと。渡河の準備を進めている、と」
その瞬間だけ、天幕の空気が変わった。
ラビエヌスですら眉を動かす。書記の手が止まる。
カエサルも、さすがに一拍おいた。
「……スエービーの新手が来る、か」
トレーウェリーの使節が畳みかける。
「もし渡れば、アリオウィストゥスの古手と合流する! そうなれば、もう止められない!」
ヘドゥイーの使節も噛みつくように言う。
「我らの喉元に、さらに刃が増える!」
カエサルは椅子から立ち上がった。軽口は消えないが、速度が変わる。
「ラビエヌス」
「はい」
「急ぐ。スエービーが合流する前に、古手の方――アリオウィストゥスを先に折る」
「折れなければ、合流させない。川の手前で止める」
ラビエヌスが即答する。
「強行軍になります」
カエサルは肩をすくめた。
「いつもだろ。だが今回は“遅れたら終わり”の種類だ」
書記が慌てて尋ねる。
「命令を。補給は……」
カエサルが遮る。
「荷を軽くしろ。余計なものは捨てる。道具は必要最低限、食糧は持てるだけ持って前へ。足が止まった者から死ぬ」
ラビエヌスが冷静に割り込む。
「騎兵を先に出し、渡河点と街道を押さえます。斥候は二重に。誤報で昨日みたいな“見えない山”は作れません」
カエサルが頷く。
「その通り。——今日の報告は“驚くため”じゃない。“走るため”に聞いた」
トレーウェリーの使節が、縋るように言う。
「ローマは……来るのか?」
カエサルは迷いなく言った。
「来る。だが条件がある。お前らも走れ。情報を出せ。道を案内しろ。嘘をつけば、次に踏まれるのはお前らだ」
使節が深く頭を下げる。
「誓う!」
ヘドゥイーの使節も続く。
「我らも協力する。……もう、首輪はいらない」
カエサルは短く手を振った。
「よし。戻れ。村を固めろ。人質の話は——俺が相手の喉を掴んでからだ」
使節が去ると、カエサルは地図板を掴み、ラビエヌスに投げるように渡した。
「準備。今からだ」
ラビエヌスが頷き、外へ出る。
「総員に伝達。強行軍。——列を軽く、足を速く!」
天幕の外で号令が連鎖し始める。
鍋が片付けられ、荷が括られ、革紐が締め直され、馬が集められる。勝利の余韻は、音もなく切り捨てられた。
カエサルは最後に一人ごとのように言った。
「新手と古手が握ったら厄介だ。……握らせない」
その声は軽い。だが、決めた者の軽さだった。




