握りつぶされた文
「まずは、話す席を作る」
カエサルは地図板を指で叩いて言った。
「アリオウィストゥスに使節を出す。協議だ。どこか中間の場所を選べ、と」
ラビエヌスが確認する。
「“中間”と言って、応じますか」
カエサルは肩をすくめた。
「応じなくてもいい。応じないなら、それも返事だ」
書記が筆を構える。
「文面は、どうします」
「丁寧に。だが曖昧にしない」
カエサルは言葉を区切って、使節に渡す口上を組み立てた。
「――我らは双方の国家に重要な問題を話し合いたい。よって中間の場所を定め、協議の席を設けよ」
使節が頷き、出ていく。
数日後、戻ってきたのは“返事”ではなく“言い返し”だった。
使節が差し出した文を、通訳が読み下す。天幕にはカエサル、ラビエヌス、書記、数名の将校、そして呼ばれたガリアの首領たちがいた。
通訳の声が硬い。
「アリオウィストゥスの文――」
「もし私がカエサルに用があれば、そちらに出向く。
もし貴公が何かを望むのであれば、こちらにやってくればよい。
私が占領しているガリアへ、軍隊も連れずに行きたくない。多大の食糧供給など、相応の準備が必要なのは貴公が何より分かっているだろう。
そもそも、私が戦争で取ったガリアに、貴公やローマが何の用があるのか不思議だ」
読み終えた瞬間、ガリアの首領たちの間に、息を呑む気配が走った。
セークァニーの者が小声で言う。
「……あいつは、そう言う」
ヘドゥイーのディウィキアクスは唇を噛んだまま、何も言わない。
カエサルは「ふうん」とだけ言って、文を指先で弾いた。
「つまり、“来い”か。俺に自分の土を踏め、と」
ラビエヌスが低く言う。
「踏めば、周りに“ローマが屈した”と見せられます」
「そういうこと」
カエサルは、軽い声で同意した。軽いのに、目が笑っていない。
「じゃあ、こちらも返す」
書記が身を乗り出す。
「条件を?」
カエサルは頷いた。
「条件というより、筋を言う」
そして通訳と書記に向けて、わざと分かりやすい言葉で言った。
「――自分が執政官の時、元老院はアリオウィストゥスを“王であり友”だと言った。ローマは親切を与えた側だ」
ディウィキアクスが、ほんのわずかに顔を上げる。
カエサルは続ける。
「それなのに、協議に来いと呼ばれても来ない。共通の問題で意見を述べたり聞いたりする必要もない、と思うのなら――こちらにも言い分がある」
ラビエヌスが小さく頷く。書記の筆が走る。
カエサルは指を一本立てた。
「一つ。レーヌス河を越えて、これ以上ゲルマーニーをガリアに入れるな」
二本目。
「二つ。ヘドゥイーの人質を返せ」
三本目。
「三つ。セークァニーから取った人質も返せ」
そして最後に、声の調子は軽いまま釘を刺した。
「ヘドゥイーと、その連合部族にこれ以上ちょっかいを出さないのなら、俺もローマも変わりない親愛と友情を持ち続ける」
一拍置く。
「――そうしないなら、俺たちはヘドゥイーの友邦として、貴公の乱暴を見逃さない」
書記が顔を上げる。
「以上でよろしいですか」
「よし。丁寧語で包んで、刃はそのままに」
使節がその文を受け取り、再び出ていった。
返事は、さらに早かった。
戻ってきた使節は、顔が青い。
「……閣下。文は、読まれました」
「読まれた?」
使節が唾を飲み込み、言った。
「ですが、その後握りつぶされました……」
天幕の空気が一段落ちる。
ガリアの首領たちの肩が、目に見えて強張った。
ディウィキアクスが声を絞る。
「……それが、あの男だ」
カエサルは怒鳴らなかった。むしろ口元だけを少し上げた。
「紙を握りつぶすのは簡単だ。……じゃあ、言葉を持ってきたんだな」
使節が頷き、別の文を差し出す。通訳が読む。
「勝った者が負けた者に、思いのままに命令するのが戦争の掟だ。
ローマだって同じことをしてきただろう。
ローマが我らより指図されたくないように、我らだって貴公らから指図を受けたくはない」
通訳の声が一瞬詰まる。だが続ける。
「ヘドゥイーは戦って敗れた。
人質を返すことも、税の徴収もやめはしない。
だが年貢を納める限りは、ヘドゥイーや連合部族に“不当な”乱暴は下さない。
しかし、それをやめろと言うなら――我らは握りつぶすしかなくなる」
「握りつぶす」という言い回しに、首領たちが小さく身を引いた。
人質の首を、指で潰すように扱う男だと、皆が知っている。
セークァニーの者が震える声で言う。
「聞いただろう……。人質が、今……」
ディウィキアクスが、唇を押さえた。怒りより先に恐怖が出る。
ラビエヌスが通訳に目で促す。
「続けろ」
通訳が最後の一段を読む。
「貴公は“許さない”と強く謳っているが、今まで我らを滅ぼした者は誰もいない。
いつでもお目にかかろう。
我らの得意な戦争という武勇を見せつけてやる」
読み終えると、天幕の中に重い沈黙が落ちた。
カエサルは文を取り、破りもしない。握りつぶしもしない。
ただ、机の端に置いて、軽く指で揃えた。
「……いいね」
その一言に、首領たちが思わず顔を上げた。
カエサルは続ける。
「話が早い。――席を作れと言ったら“来い”と言い返す。条件を言ったら“戦争の掟”を言い出す。最後は“いつでも会う”と言う」
ラビエヌスが低く言う。
「会う、というより……脅しです」
「それがいい」
カエサルは、いつもの軽い調子に戻っていた。軽い調子が、逆に怖い。
「で、ガリアの首領たち」
カエサルはディウィキアクスたちを見る。
「お前たちは、昨日言ったな。“この相談が漏れたら、人質に重刑が課される”と」
ディウィキアクスが声を震わせる。
「……はい」
「今、その脅しを、本人がこちらに送ってきた」
カエサルは肩をすくめた。
「つまり、もう“隠す”段階じゃない。――次は“止める”段階だ」
セークァニーの者が、声にならない声を漏らす。
「止める……本当に……」
カエサルは、言い切らなかった。代わりに、命令を置いた。
「ラビエヌス。斥候を増やせ。アリオウィストゥスの位置、軍の規模、補給線。全部洗い直す」
「ガリア側は、情報を出せ。道、川、村、渡河点。知ってるものを全部だ」
ラビエヌスが頷く。
「承知しました」
カエサルは最後に、文を指先で叩いた。
「“戦争の掟”だってさ。――なら、掟の上で殴り合おう」
首領たちは恐れおののいていた。
だが同時に、その恐れの底で、ようやく息ができる気配もあった。
「助けてもらえるかもしれない」と思ってしまう、その弱さと希望。
カエサルは天幕を出る直前、振り返って言った。
「心配するな。紙を握りつぶす手は、剣を握らせた方が黙る」
その言葉が冗談に聞こえないのは、ここにいる全員が知っていた。




