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新・ガリア戦記  作者: 維岡 真
第9章 ゲルマンの怪物
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握りつぶされた文

「まずは、話す席を作る」


カエサルは地図板を指で叩いて言った。


「アリオウィストゥスに使節を出す。協議だ。どこか中間の場所を選べ、と」


ラビエヌスが確認する。


「“中間”と言って、応じますか」


カエサルは肩をすくめた。


「応じなくてもいい。応じないなら、それも返事だ」


書記が筆を構える。


「文面は、どうします」


「丁寧に。だが曖昧にしない」


カエサルは言葉を区切って、使節に渡す口上を組み立てた。


「――我らは双方の国家に重要な問題を話し合いたい。よって中間の場所を定め、協議の席を設けよ」


使節が頷き、出ていく。


数日後、戻ってきたのは“返事”ではなく“言い返し”だった。


使節が差し出した文を、通訳が読み下す。天幕にはカエサル、ラビエヌス、書記、数名の将校、そして呼ばれたガリアの首領たちがいた。


通訳の声が硬い。


「アリオウィストゥスの文――」


「もし私がカエサルに用があれば、そちらに出向く。

もし貴公が何かを望むのであれば、こちらにやってくればよい。

私が占領しているガリアへ、軍隊も連れずに行きたくない。多大の食糧供給など、相応の準備が必要なのは貴公が何より分かっているだろう。

そもそも、私が戦争で取ったガリアに、貴公やローマが何の用があるのか不思議だ」


読み終えた瞬間、ガリアの首領たちの間に、息を呑む気配が走った。


セークァニーの者が小声で言う。


「……あいつは、そう言う」


ヘドゥイーのディウィキアクスは唇を噛んだまま、何も言わない。


カエサルは「ふうん」とだけ言って、文を指先で弾いた。


「つまり、“来い”か。俺に自分の土を踏め、と」


ラビエヌスが低く言う。


「踏めば、周りに“ローマが屈した”と見せられます」


「そういうこと」


カエサルは、軽い声で同意した。軽いのに、目が笑っていない。


「じゃあ、こちらも返す」


書記が身を乗り出す。


「条件を?」


カエサルは頷いた。


「条件というより、筋を言う」


そして通訳と書記に向けて、わざと分かりやすい言葉で言った。


「――自分が執政官の時、元老院はアリオウィストゥスを“王であり友”だと言った。ローマは親切を与えた側だ」


ディウィキアクスが、ほんのわずかに顔を上げる。


カエサルは続ける。


「それなのに、協議に来いと呼ばれても来ない。共通の問題で意見を述べたり聞いたりする必要もない、と思うのなら――こちらにも言い分がある」


ラビエヌスが小さく頷く。書記の筆が走る。


カエサルは指を一本立てた。


「一つ。レーヌス河を越えて、これ以上ゲルマーニーをガリアに入れるな」


二本目。


「二つ。ヘドゥイーの人質を返せ」


三本目。


「三つ。セークァニーから取った人質も返せ」


そして最後に、声の調子は軽いまま釘を刺した。


「ヘドゥイーと、その連合部族にこれ以上ちょっかいを出さないのなら、俺もローマも変わりない親愛と友情を持ち続ける」


一拍置く。


「――そうしないなら、俺たちはヘドゥイーの友邦として、貴公の乱暴を見逃さない」


書記が顔を上げる。


「以上でよろしいですか」


「よし。丁寧語で包んで、刃はそのままに」


使節がその文を受け取り、再び出ていった。


返事は、さらに早かった。


戻ってきた使節は、顔が青い。


「……閣下。文は、読まれました」


「読まれた?」


使節が唾を飲み込み、言った。


「ですが、その後握りつぶされました……」


天幕の空気が一段落ちる。

ガリアの首領たちの肩が、目に見えて強張った。


ディウィキアクスが声を絞る。


「……それが、あの男だ」


カエサルは怒鳴らなかった。むしろ口元だけを少し上げた。


「紙を握りつぶすのは簡単だ。……じゃあ、言葉を持ってきたんだな」


使節が頷き、別の文を差し出す。通訳が読む。


「勝った者が負けた者に、思いのままに命令するのが戦争の掟だ。

ローマだって同じことをしてきただろう。

ローマが我らより指図されたくないように、我らだって貴公らから指図を受けたくはない」


通訳の声が一瞬詰まる。だが続ける。


「ヘドゥイーは戦って敗れた。

人質を返すことも、税の徴収もやめはしない。

だが年貢を納める限りは、ヘドゥイーや連合部族に“不当な”乱暴は下さない。

しかし、それをやめろと言うなら――我らは握りつぶすしかなくなる」


「握りつぶす」という言い回しに、首領たちが小さく身を引いた。

人質の首を、指で潰すように扱う男だと、皆が知っている。


セークァニーの者が震える声で言う。


「聞いただろう……。人質が、今……」


ディウィキアクスが、唇を押さえた。怒りより先に恐怖が出る。


ラビエヌスが通訳に目で促す。


「続けろ」


通訳が最後の一段を読む。


「貴公は“許さない”と強く謳っているが、今まで我らを滅ぼした者は誰もいない。

いつでもお目にかかろう。

我らの得意な戦争という武勇を見せつけてやる」


読み終えると、天幕の中に重い沈黙が落ちた。


カエサルは文を取り、破りもしない。握りつぶしもしない。

ただ、机の端に置いて、軽く指で揃えた。


「……いいね」


その一言に、首領たちが思わず顔を上げた。


カエサルは続ける。


「話が早い。――席を作れと言ったら“来い”と言い返す。条件を言ったら“戦争の掟”を言い出す。最後は“いつでも会う”と言う」


ラビエヌスが低く言う。


「会う、というより……脅しです」


「それがいい」


カエサルは、いつもの軽い調子に戻っていた。軽い調子が、逆に怖い。


「で、ガリアの首領たち」


カエサルはディウィキアクスたちを見る。


「お前たちは、昨日言ったな。“この相談が漏れたら、人質に重刑が課される”と」


ディウィキアクスが声を震わせる。


「……はい」


「今、その脅しを、本人がこちらに送ってきた」


カエサルは肩をすくめた。


「つまり、もう“隠す”段階じゃない。――次は“止める”段階だ」


セークァニーの者が、声にならない声を漏らす。


「止める……本当に……」


カエサルは、言い切らなかった。代わりに、命令を置いた。


「ラビエヌス。斥候を増やせ。アリオウィストゥスの位置、軍の規模、補給線。全部洗い直す」

「ガリア側は、情報を出せ。道、川、村、渡河点。知ってるものを全部だ」


ラビエヌスが頷く。


「承知しました」


カエサルは最後に、文を指先で叩いた。


「“戦争の掟”だってさ。――なら、掟の上で殴り合おう」


首領たちは恐れおののいていた。

だが同時に、その恐れの底で、ようやく息ができる気配もあった。


「助けてもらえるかもしれない」と思ってしまう、その弱さと希望。


カエサルは天幕を出る直前、振り返って言った。


「心配するな。紙を握りつぶす手は、剣を握らせた方が黙る」


その言葉が冗談に聞こえないのは、ここにいる全員が知っていた。

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