【39:春野日向はお礼を言う】
俺が帰宅すると、なぜか我が家の前に制服姿の日向が立っていた。
少し遠目からでも、さらさらとした栗色のミドルヘアが美しく、すっと背筋の伸びた美しい姿勢とスタイルが目を引く。
いつも料理教室に来る時はトレーナーとジーンズスタイルだから、ベージュのブレザーとチェックスカートという我が校制服姿の日向がここにいるのは、何か少し不思議な感じがする。
「おかえり、祐也君」
「え? あ……ただいま」
日向がニコリと笑顔でいきなりおかえりなんて言うもんだから、新婚夫婦ってこんな感じなのかなぁ……なんて変なことを考えてしまって慌てた。
「あ、あれ? ど、どうしたんだ? 今日は料理教室の日じゃないぞ」
俺がそう言うと、日向は口に手を当ててプッと吹き出した。
「わかってるって。まさかそんなおっちょこちょいはしないよ」
「お、おう。そうか……」
「あ……まさか祐也君、本気で私が勘違いしたかと思った?」
「ああ、まあな」
学校で見る日向は成績優秀でいつもしっかりした感じだから、まさかそんな勘違いをするようには見えない。
けれども料理教室ではおろおろする場面や不器用な所も見ているから、間違えて来たのかと一瞬本気で思ってしまった。
「ええっ? ひっどぉーい」
日向は両手を腰に当てて、頬を膨らませている。まるで拗ねるような仕草。
整った顔の女の子がこんな仕草をすると、それはもう驚くくらい可愛いのだと人生で初めて気づいた。
こんな日向の姿はもちろん学校でも見たことはないし、料理教室でも見かけたことはない。
「でも私、祐也君には何度もおっちょこちょいなところを見られてるからなぁ……そう思われるのも仕方ないか」
今度は「えへへ」とはにかみながら頬を指で掻く仕草。これも恐ろしく愛らしい。
なんだかいつもよりもフレンドリーさが増しているというか、ちょっとテンションが高いというか…… どうしたんだろう、今日の日向は?
「ところで勘違いじゃないなら、今日はどうしたんだ?」
「祐也君にお礼を言いに来た! ホントにありがとう!!」
わざわざお礼を言いに、ここまで来た?
そんなことしなくていいのに。
「あ、いや。俺も日向に言いたいことがあったんだけど、学校ではみんながいたから言えなかった」
「なにを?」
「うまくいってよかったな! おめでとう!! 凄く美味しそうに料理ができてたよ」
「うん、ありがとう!」
日向は目を細めて、本当に嬉しそうにこくんとうなずいた。
「でもそれもこれも、全部祐也君のおかげだから……だから今日のうちにお礼を言いたくて来たんだ」
「そっか……俺もミッションをコンプリートできてホッとしたよ」
「でも偶然とはいえ、クラスメイトが……いえ、祐也君が講師をしている教室に、たまたま来てよかった」
「そうか?」
「うん、そうだよ。そうじゃなきゃ、こんなにうまくいくことはなかったと思う」
「そう言ってくれたら、俺も一生懸命にやった甲斐がある」
「うん。本当に祐也君のおかげ。それに祐也君と友達になれたし……」
日向が少しうつむいて嬉しそうに笑う姿を眺めていると、ふと俺と日向の間に何か白い糸のようなものがつながっているような気がした。
いや、これは本当は単なる錯覚だってことはわかっている。
今まで積極的に友達を作ろうとはしなかった俺だけど、今回同じ目標に向かって協力し合ったことで、日向との間には友達としての絆というか、つながりが結ばれているような気がする。
きっとその気持ちが俺の目に、白い糸という錯覚を生んだんだ。もちろん……赤い糸ではなくて白い糸。
『友情の白い糸』なんてものが存在するのかどうかは知らないけど。
それにしても──やっぱりわざわざここまで来るほどでもないのに、と思う。
だってどうせ次の土曜日になれば、日向は料理教室でここに来るんだから、お礼なんてその時に言ってくれれば……
──そこまで考えて、ふとある考えに行き着いた。
今日の調理実習で日向は、クラスメイトに料理上手なところを見せるという目的は果たした。
日向が料理教室に通おうとした理由はおそらくそれだ。そしてその目的を達成した日向にとっては、もはや料理教室に通う理由はない……
その事実に行き当たって、なぜか頭の中がクラクラとした。そしてさっき見えた気がした日向との間の白い糸が、細くなっていくように感じた。




