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 翌朝、ワンロンとトゥバンは横たわる巨大な獣を見上げていた。赤茶色のぶよぶよした獣は円錘に円柱をくっつけたような体をしていて、円柱の先っちょに小さな頭がついている。タダでさえ小さな頭は、ひしゃげてさらに小さくなっていた。


「トドに似ていますな。」


 ワンロンが二本の刀を馬の背の荷物から引っこ抜く。


「トド?」


「北の海に住む化け物ですよ。絵で見たことがあります。」


 トゥバンは苦笑した。


「……北の海には行きたくないな。」


 ワンロンは微笑んで刀を一本トゥバンに投げる。


「さて、とりかかりますか。」


 そう言ってワンロンはもう一本の刀をスラリと抜いた。


――――――――――――――――――――


 三日後には、テントの中に大量の干し肉が積み上げられていた。


「これだけあれば当分大丈夫だな。」


 そう言ってトゥバンは熱々の焼き肉を頬張る。


「ええ。ノグノラまでは三日ほどの距離ですから、釣りがくるぐらいですな。」


 ワンロンが地図と人球儀(じんきゅうぎ)を見比べながら言う。外から子狼(こおおかみ)とガンザンのはしゃぎ声が聞こえてきた。


「……ガンザン殿も調子が良いようですし、明日(あす)には出発しましょうか。」


 ワンロンが顔をあげる。トゥバンは肉を噛み締めながらこくりと頷いた。


「……うまっ」


――――――――――――――――――――


 次の日、一行は日が昇らない内から慌ただしく準備を終えると、ノグノラに向けて進みだした。夜明け前の空にはまだ星々が輝いて、大地を青く染めている。三日間休んだおかげで馬も人もしごく元気だ。寝込んでいたガンザンもすっかり元気になって、子狼が走り回るのをにこにこと眺めている。子狼の吠え声が響いた。トゥバンはちらりとそっちに目を向ける。と、黒い鳥が岩の上にとまっているのが見えた。


 はぐれカラスだろうか。


 そう思って瞬きすると、鳥の姿は消えていた。気のせいだったのだろう。トゥバンは前を向いた。


――――――――――――――――――――


「この子に名前をつけませんか?」


 夜、焚き火に照らされて眠る子狼を眺めながらワンロンが言った。トゥバンとガンザンが驚いたように顔を見合わせる。トゥバンが口を開く。


「獣に名前をつけるのか?」


「草原では付けないのですか?」


 ワンロンが驚いて聞き返すと、二人は深く頷いた。


「家畜は数百頭もいるから、いちいち名前をつけてられないんだ。」


「なるほど……」


 ガンザンの言葉に、ワンロンは納得したような顔をした。


「ワンロンの馬には名前はあるのか?」


 トゥバンが聞くと、ワンロンは勢いよく首を振った。


「もちろんです。彼には『朝風』という立派な名前があります。」


「朝風、か。ふーん。良い名前だな……名前か。名前ねぇ……。」


 トゥバンは下を向いて黙り込んでしまった。


 夜が明けて日が(のぼ)中天(ちゅうてん)に輝く頃、ずっとブツブツ呟きながら馬を進めていたガンザンがふと顔をあげた。その顔が歓喜の色に染まる。


「見えた!」


 眉にシワを寄せていたトゥバンと、何となく静かにしていたワンロンもパッとガンザンが指差す方を見た。(さび)色の彼方(かなた)に、灰色のカタマリがうっすらと見える。


「あれがラム……ラムラノ……」


「ラムライン山地。」


 トゥバンが笑ってフォローを入れる。


「そうそうそれそれ。」


 ガンザンはにこにこして、灰色の塊を眺めている。


「出発してからもう半月か……。」


 感慨深げにトゥバンが言った。


「草原を出てからはまだ5日だよ。」


「五日……五日!?」


 トゥバンは驚いて日数を指折り数えた。この赤い大地に十日は居た気分だったが、確かに草原を出てから五日しか経っていない。草原で暮らしていたことが遠い昔のようだ。


「色々あったもんなあ。」


 そう言ってガンザンは足元を行く子狼に笑顔を向けた。子狼も嬉しそうに尻尾を振った。ワンロンが笑顔で振り向いた。


「あと僅かです。頑張りましょう!」


 おう!


 二つの声が空に響いた。


――――――――――――――――――――


 それから一日、一行がラムライン山地に近付くに連れて、赤い異世界のような風景は急速に薄れていった。大地の色は茶色へと移り変わり、あちこちに色とりどりの草花や緑の木立が顔を出し始める。木立は一里ごとに数を増し、次第にほかの木立と融合しながら規模を増していき、ついには森となって一行の頭上を(おお)ってしまった。緑の天井をいくら眺めてもラムライン山地の姿は見えない。


 赤い大地が消えたと思ったら今度は緑の空か。


 トゥバンはため息をついて前を向く。そんな彼とは対称的に、ガンザンはしごく楽しそうにしている。小鳥の鳴き声が響くたびにあっちこっちに顔を向け、鳴き声の主を目で探す。たまに口笛も吹いてみる。


「ワンロン、ここは凄いね!どれだけの鳥がいるんだろ。」


 ワンロンは前を向いたままちらりと微笑んだ。


「北の大森林にはもっと沢山の鳥が居ますよ。北の(みやこ)の『鳥京(ちょうけい)』は読んで字のごとく、大森林から鳥が沢山飛んで来るから『鳥京』という名前になったんですから。」


「へぇ~。面白いね!そんなに鳥がいるのかぁ。……行ってみたいな。」


「ぜひ一度行ってみると良いですよ。とても良いところです。……っと。」


 ワンロンが手綱を引いた。


「ワン!」


 走り回っていた子狼が立ち止まる。トゥバンも馬を止めて顔をあげた。


「遂にラムライン山地か……」


 一行の目の前には、濃い緑の木々に象られた黒々とした大口が開いていた。今にも一行を呑み込もうとしているように見えて、トゥバンは少し身震いする。


「行きましょう。」


 再びワンロンの馬が動き出した。トゥバンもあとに続く。その後ろをガンザンがついていく。


「クゥゥウン……」


 ガンザンがか細い鳴き声に振り返ると、お座りした子狼がすがるような目を向けてきていた。


「どうした?来なよ。」


「クゥン……」


 子狼はまたか細い鳴き声をあげた。ガンザンは困ったような顔をしてちょっとの間子狼を見つめていたが、自分を呼ぶ声に慌てて前を向いた。


「はいはーい。今行く~!」


 ガンザンは大口の薄闇のなかに消えていった。子狼はそれからしばらく大口を見つめて座っていた。やがて不安げな表情のままそろりと体を起こすと、頼りない足取りで大口まで歩いていく。そこでひょいと後ろを振り返ると、また一つか細い鳴き声をあげて大口の闇に駆け込んでいった。


 子狼の尻尾が薄闇に溶けたちょっと後、緑の天井がガサガサと動いたかと思うと、一羽のカラスが大口の前に舞い降りてきた。カラスは探るような目をして辺りをピョンピョン跳びまわり、あっちこっちに首を傾ける。最後に大口の暗闇をじっと見つめると、一声カァと鳴いた。


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