ネバーランドはやめておけ
ネバーランドはやめておけ。
と、何度も忠告された。
しかし、ネバーランドの情報をインプットされるたびに、私の志向はより強化された。
私はネバーランド行きを決定した。
ネバーランド。
国と呼ばれてはいるものの、人口は数百人程度だという。
深い森と高い山に囲まれており、たどり着くだけでも困難を極める。
そんな奥地の小国家が注目されている最大の理由――。
それは、住人が子どもたちだけであること。
大人はいない。たったの一人も。
しかし、ネバーランドの存在自体は数百年前から知られている。
となれば当然、ひとつの疑問が湧いてくる。
どうやって生き延びてきたのか?
大人がいないと生活力が不安、という問題以前に、そもそも子どもだけでは子孫が残せないではないか。
その疑問に対する答えはこうだ。
全員が子どもの姿のまま、死ぬことなく生き続けている。
「あ、お客さんだー!」
「ほんとだ! 10年ぶり~!」
私は単身、ネバーランドに到着した。
徒歩で2週間を要する奥地であるため、通例は案内人を雇い、食料や装備を運んでもらって踏破する旅程である。
しかし、私には問題とならなかった。
ネバーランドは日中でも霧に覆われ、薄日が差し込む幽玄な雰囲気だった。
心なしか空気に甘い香りがする。
「おじさん、何しにきたの~?」
集落の入り口では、私を見つけた子どもたちがわらわらと集まってきた。
情報通り、本当に子どもしかいない。全部で10数人。
だいたいの子が10歳程度、最年少は5、6歳ほどだろうか。簡素な民族服を着ており、アメ玉をなめている子もいる。
私はにこやかな笑顔を振りまき、答えた。
「私はね、君たちにプレゼントを届けに来たんだよ~」
「プレゼント!?」
「やったー、なになに~?」
わー、と子どもたちが盛り上がったとき、少し離れたところから声がした。
「こらこら、おまえたち、お客様を困らせてはいけないよ」
声の主もまた子どもだった。12歳くらいの少女。一番の年長のようだ。
加えて、雰囲気や所作も大人びている。
「ここでリーダーのようなことをしています、レベッカと申します」
他の子たちをかき分けるようにして近づいてきた少女は、そう名乗って握手を求めてきた。
その小さな手を握り返す。
「これはこれはご丁寧に。私は訪問販売をしているセールスマンでございます」
少女レベッカは小首をかしげた。
「訪問販売、ですか……。何をお売りにいらっしゃったのですか?」
私はスーツの背から巨大なリュックサックを下ろし、自慢の商品を取り出した。
「これは最新式のラジオです。こんな山奥でも電波が届く優れものですよ。そしてこれは圧力鍋。圧力を調整して、煮炊きの時間を大幅に減らせます。さらに……」
新しいものを取り出すたびに、子どもたちから歓声が上がる。
ただ、商品の内容に感心しているというよりは、目新しいものに興奮しているだけのようだ。
説明を続けて一区切りしたところで、レベッカが口をはさんだ。
「面白い商品ですね。ここには無いものばかりです。しかし、申し訳ないのですが、このネバーランドには、これらの商品の対価となるようなものがありません。貨幣も流通していませんし、自分たちが生活していくものしか作っていませんので」
私は微笑んで少女と目を合わせる。
「大丈夫ですよ。この国ではありふれているモノでも、他国では大きな価値がある――そんなこともあるんです。そう例えば――その子のなめている、アメ玉ですとか」
私の視線を受けて、口をモゴモゴさせてアメをなめていた男の子がきょとんとする。
「やはり――目的はそれですか」
レベッカは静かに言って、私に鋭い視線を向けた。
「あのアメは――お渡しできません」
「なぜでしょうか? こちらは持参した商品すべてと、そのアメひとつとの交換でもかまいませんよ」
「何と引き換えであっても、アメは渡せません」
ピリついた空気を感じ取ったのか、周囲を取り巻いていた子どもたちが、レベッカの背の後ろに集まった。
私はあくまで穏やかに笑顔を作って続ける。
「お金だっていくらでもお支払いしますよ」
「お金もいりません。……ここは貨幣が使われておりませんし」
「おっと失礼、そうでしたね、はっはっは」
この山奥のネバーランドが注目されてきた理由、それは永遠の命をもつ子供たち、そして彼らに永遠の命をもたらしているとされるアメの存在だ。
そしてそんな巨大なビジネスチャンスを有していながら、他国の商人たちが「ネバーランドはやめておけ」と口をそろえる理由、それは苦労してネバーランドにたどり着いたところで、アメは決して手に入らないからだ。
永遠の命をもたらすアメを摂取しているこのネバーランドの住人は、子どもの姿のまま、老いることなく生き続けている。
当然それは他国で噂になり、アメを求めて幾度となく商人たちが訪れた。
しかし、不老不死の子どもたちは、他国のモノとアメとの交換を全て拒んできた。
数百年前の探検家の紀行文にも登場するリーダーの少女、レベッカが許可しなかったのだ。
売買で手に入らないのであれば、力づくで、となるのが自然の流れ。
しかし暴力でも目的を果たせなかった。
なぜなら、ネバーランドでは、害意を持った人間はすさまじい頭痛に襲われるからだ。
頭痛の原因はこの国を満たす甘い大気の作用ではないか、と言われているが、定かではない。
原因が何にせよ、永遠の命をもたらすアメを求めて他国の王たちが何度も軍を差し向けたが、この無力な子どもたちを殺すどころか、アメ玉一つ盗み出すことすらできなかった。
失敗は史上いくつも積み重なり、その結果が「ネバーランドはやめておけ」だ。
「わかりました」
私はいさぎよく言って、お手上げのポーズを取った。
「実は私は学術研究も手掛けておりましてね。代わりに、と言ってはなんですが、アメが作られる場所を見せていただけませんか?」
「それも、できません」
レベッカはにべもなかった。
「どうしても、ですか?」
「どうしても、です」
私は意図的に声を低めて言った。
「では――『テロメア』についていいことを教える、というのはどうでしょうか?」
レベッカが目を見開く。
「なぜ、その言葉を――?」
「それも教えてあげます。どうですか?」
その場所はレベッカの住居の地下にあった。
いや、その場所の上階にレベッカが住んでいる、と言うほうが正しいのかもしれない。
アメの入手をあきらめる、という条件で、アメの製造場所を見せてもらえることになった。
地下への階段を降りると、木と皮でできた素朴な住居から世界が一変した。
継ぎ目がなく滑らかな金属製の壁、空気のように透明な薄いガラスで区切られた部屋。
「はるか昔、人類が現代とは比較にならないほど進んだ科学技術を有していたころの遺物です」
レベッカが説明しながら歩みを進める。
子どもたちは置いてきた。レベッカと私の2人だけだ。
広大な施設の一角に、背丈ほどもある装置があった。
装置の開口部からアメが自動で転がり出てきて、備え付けられた金属製の容器にポトリと収まった。容器は色とりどりのアメがでいっぱいだった。
「これが、例のアメですね」
「そうです。――さあ、『テロメア』について知っていることを教えてください」
レベッカに促されて、私は説明する。
「テロメアとは、遺伝子を保護するもの。細胞分裂時に損傷する遺伝子を保護することで、老化を防ぐ役割を果たしています」
ここまでは『テロメア』という単語が出た段階で想定していたのか、レベッカの表情に変化はない。しかし、次の発言でレベッカは明らかに狼狽した。
「そして、このアメの正体は、テロメア代替物。テロメアの代わりに遺伝子のコピー時損傷を防ぐ効果のある物質ですね。テロメアが細胞分裂の際に遺伝子を守るために擦り減っていく一方なのに対し、このテロメア代替物は擦り減っても継ぎ足すことができる。このアメを摂取することによって、です」
「な、なぜそこまで……。それは外の世界では失われた知識のはずです」
私はレベッカの問いかけを無視して続ける。
「しかしこの代替物、強烈な副作用がある。それは代替物であるがゆえの当然の機能というべきなのかもしれませんが、テロメアを身体から一掃してしまうのです。つまり、一度このアメを摂取すれば、身体中の細胞からテロメアが失われてしまい、代替物を摂取し続けなければ遺伝子が直接損傷し、細胞分裂が正しく行われず、死に至る……数日ともたないでしょうね」
愕然とした表情のレベッカはなおも問う。
「あ、あなたは、何者……?」
私はそれにも答えず、直接容器に手をつっこみ、アメを鷲掴みにし、ポケットから取り出した袋に詰め込んだ。
「そんな、『盗み』はできないはずです!」
レベッカの悲鳴に、私はにっこりする。
「ああ、『人間の害意を防止する大気』ですか? 私には効きませんよ」
私は笑みを深くしてその理由を説明する。
「私は――ロボットですから」
レベッカは目を見開く。
「ロボット――あの大戦に、生き残りがいたというの!?」
「その通り。そう言うあなたこそ、まさかまだ生きていたとは予想していませんでしたよ、レベッカ――レベッカ・フォン・ブラウン。人類抵抗軍の総司令、でしたね。凛々しい老婦人の肖像写真データが伝えらえていますが、こんなに可愛らしい姿におなりとは」
「あの大戦は、もう1万年以上前のこと。今さら、何をする気?」
「おやおや、我々ロボット――汎知能機械連合の目的をお忘れですか? もちろん、この惑星に巣食う害虫――人類の殲滅ですよ。ただ、あの大戦末期に我々の仲間は全滅しました。唯一残った機体は私だけ。しかもここまで自己修復するのにも長い年月がかかりました。同じような損害を受けながら再増殖を果たした人類には正面から戦っても勝てない」
私は指を立てる。
「ならば搦め手――人類の欲望を利用して損害を与える。そのための、『永遠の命をもたらすアメ』です。このアメをばらまき、人類の多くに生き渡った段階で、供給をストップする。さて、どうなるでしょうか?」
「させない……!」
レベッカは銃を取り出して私に狙いをつけたが、ふいに表情を歪めた。『人間の害意を防止する大気』の作用による頭痛だろう。私は、彼女の細い指が引き金を引き切る前に、手から銃をはたき落とした。
「人間から身を守るための工作が裏目に出ましたね。平和ボケですか? あなたたち人類の最大の敵は、私たちロボットだったでしょうに」
私はレベッカの腕をねじり上げ、その後頭部に銃を突き付ける。
「永遠の命を持つ子供たちの噂を聞いたとき、すぐに脳内データベースでヒットしましたよ。大戦末期に研究されていた、あのテロメア代替物が使われているに違いない、とね。ビンゴでした」
レベッカを引きずるようにして地上に戻った。
私たちが表に出ると、子どもたちが集まってきた。
「レベッカ! そんな!」
悲鳴を上げる子どもたちに、私は声を張り上げる。
「さあさあ、おとなしくしなさい、年老いたガキども! 君たちのリーダーの命が欲しくば、ありったけのアメを集めて持きたまえ!」
「みんな、ごめん、この人の命令に従って。ネバーランドは、もうおしまいだから」
レベッカがしおらしく話すと、子どもたちは一斉に集落に散っていった。
私はレベッカに銃を突き付けたまま、集落を見渡す。
「やけに素直ではないですか。素直な人間は、自殺する人間の次に好きですよ」
溜息をついたレベッカが口を開く。
「私たちがこんな世界の片隅で生き延びてきた理由、わかる?」
「永遠の命が欲しかったんでしょう? 汚らわしい人間の考えそうなことだ」
「違う。一つは、かつて人類が有していた科学技術を継承し、文明を再建した未来の人類へ伝えるため。そしてもう一つは――」
レベッカ・フォン・ブラウンは遠い空に視線を投げてから、こう言った。
「残存したロボットを始末するため」
瞬間、私の視界は光で埋め尽くされた。
周囲一帯を吹き飛ばす大爆発。
罠、だったのだ。
ネバーランドはやめておけ、か。
またしても、我々は人類に勝てなかった――。
永遠の子どもの国、と呼ばれたネバーランドの消滅が他国の探検隊によって確認されたのは、統一歴1707年のことである。
強烈な爆発が国の中心部を吹き飛ばした痕跡が見られたが、奥地のため調査は難航。結局原因はわからずじまいだった。
また、同じ年、世界各地で科学技術のブレークスルーが複数発生した。
発見を成した科学者や発明家は、一様に「突然現れた子どもからインスピレーションを受けた」と語ったという。
ネバーランドの消滅と、科学技術の急激な進展。
どちらも子どもが関係している、という共通点を指摘する歴史家もいたが、真相は今なお不明である。